キス
中学三年生の私は少しだけ成長をした。そのお陰で高校生になった私には「彼氏」という人が出来てしまった。
出来てしまった、というと語弊がある。きちんと言うと「彼氏」がいます!かな。
私の彼氏は柳蓮二くん。中等部だけでなく進学した高等部でも全国レベルのテニス部で幸村くん、真田くんに並んでレギュラー。一年生なのに先輩からも「三強来たれり!」と騒がれていたのは入学式の後の部活勧誘。
それに蓮二くんは頭も良くて、入学してすぐの実力テストで学年一位。私は真ん中より上くらいでチエちゃんよりは上だった。人柄も良い。優しいし、面倒見が良くてしっかりしてるから先生からも信頼されている。
反対に私は勉強は嫌いじゃないけど、運動は苦手。新しいクラスでもチエちゃんがいなかったらと思うと恐ろしくて。
そんな私はこっそりと蓮二くんとお付き合いをしています。
私のクラスにはテニス部が何人かいる。それも個性が強い面々で、ジャッカルが好きなチエちゃんは文句ばっかり。私も実は、蓮二くんと同じクラスが良かったなぁって思ってる。
「泡子さん、おはよう」
「ゆ、幸村くん!おはよう!」
中性的な顔立ちなのに体つきはやっぱり男の子だなぁと思わされる幸村くん。幸村くんはこのクラスで最初に喋った男の子。
「いい加減慣れてね、なんて」
「うん!頑張るよ!」
私の隣が幸村くんで、荷物を片付けながら笑われた。何を頑張るのやら?って。
あまり男の子と話したことのない私にとって幸村くんは大きなハードル。ジャッカルと蓮二くんは特別。
「そうだ、ゴールデンウイークね珍しく休みなんだよテニス部」
「珍しいの?」
「うん。本当なら練習試合とか入れたかったらしいんだけど、コートと顧問の都合でね」
残念そうな幸村くんは数学のノートを取り出して、辺りを見回す。そして、丁度良く登校してきた銀髪の仁王くんと帽子を脱いだ真田くんに手を振る。
このクラスには三人もテニス部がいる。
「おはよう、泡子」
「真田くん、仁王くん!おはようっ」
「相変わらずナリ…おそよ」
モチャモチャと手を忙しくさせている仁王くん。手の中身は知恵の輪だった。昨日は細工箱、一昨日はルービックキューブ。いつも何かしてる。
「幸村、またやっていないのか?」
「違うよ、答え合わせ。ほら、仁王ノート」
「ほれ…」
カチャカチャと輪と持ち手を入れ替える作業に集中している仁王くんは鞄を置いて、自分の席へと行ってしまった。
たわけが!と憤慨する真田くんもまた自分の席へ。二人を見送った幸村くんは私の机を叩いた。
「なに?」
「だからね、ゴールデンウイークさ出掛けたら?」
「え……」
「柳と」
私と蓮二くんが付き合っていることを知る人は少ない。幸村くんはその一人だ。
面白がるように言ってくれれば私も「いやだなぁ〜」と返せるのに、幸村くんは優しく微笑んでる。なんで……?
私の疑問を見透かした幸村くん。私は幸村くんのこういうところに憧れていて、ちょっとだけ怖いなと腰が引ける。だって、手に取られているみたいなんだもの。
「テニス部なんて休みないでしょ」
「頑張ってるもんね」
「それに校内でも顔を合わせることが少ないだろ」
「あ……」
幸村くんはそこまで言うと答え合わせをしていた二冊のノートを閉じた。
結局、シャープペンや消しゴムを使わなかったところを見ると合ってたんだ。仁王くんて数学が出来るらしい。
「泡子さん」
「なに…?」
幸村くんは体の向きを変えて、私の方へと向く。私も椅子を移動させて真っ正面から向き合う。蓮二くんとは違うドキドキだ。
「本当はさ、寂しいんじゃないの?」
「そ!あ!…そんなことないよっ……」
全く寂しい訳じゃない。それでもたまに目が合えば声を掛けてくれるし、メールだって少ないけどする。私のことを気にかけてくれてる。
私のことを彼女扱いしているのかって聞かれたら、自信はない。蓮二くんが悪いんじゃなくて私だ。
私が蓮二くんの彼女として顔を上げていられる勇気、度胸がないから隠してる。蓮二くんにはそんなことバレてるのにね。
「柳、楽しみにしてるかもよ」
「そう、かな……」
当たり前だよ!幸村くんがいつもより熱く言うものだから私もついつい、そうかもしれないなぁと小指の爪ぐらいには思った。悪い意味じゃないなくてね。
昼休み、私は蓮二くんのクラスに行った。蓮二くんのクラスにはジャッカルがいるからってチエちゃんが着いてきてくれた。小心者の私には心強い味方!
これがもし幸村くんだと「幸村くんと仲良いの?」という視線がブスブス刺さるので困ってしまう。
「一緒に?」
「うん。だから、図書室にいるね。終わる頃になったら降りるから」
「分かった。ありがとう」
ジャッカルとチエちゃんの背中に隠れて一緒に帰る約束をすると、蓮二くんは私の手を握った。
バレては困る!というのと嬉しさがないまぜになって、わたわた、パクパクしてしまう。こんな私を見ても蓮二くんは微笑んでくれる。
部活が終わるチャイムに合わせてテニスコートに向かう途中、丸井くんとやらに出会った。
私の名前を確認すると「柳があっちで待ってるってよぃ!」と教えてくれた。
面識のない丸井くんに覚束ないお礼を述べて、教えてくれた場所に急いだ。私から誘っておいて、待たせるなんて!
蓮二くんは部室棟の前にいた。幸村くんや真田くんは私を見ると手を振って、私が来た方向へと向かう。
久しぶりに蓮二くんと二人きり。バクバクと飛び出しそうな心臓をぎゅうっと押さえ込む。
しどろもどろになりながらも、何とか蓮二くんと会える日があるだろうかと伝える。
これで用事があったりしたら、私はどうしたら良いんだろう……。幸村くんに食ってかかる勇気のない私が蓮二くんから目を逸らすと、ならば、と蓮二くん。
「映画でも良いか?」
「うん!あ……ホントにいいの?」
私が吃ると蓮二くんは口を噤んだ。ほんの少しの沈黙のあと、蓮二くんは大きく大きく息を吐き出した。素直に喜びたいんだがな、と蓮二くんは私の頭をくしゃりと掻き混ぜた。
悪い意味ではないらしい。
「泡子は俺が信じられないのか」
「ちが…うけど」
「泡子の言いたいことは分かるが、たまにはきちんと言葉にして欲しい。ゆっくりでいいからな」
「ん……」
ひりひりと感じたのは蓮二くんの気持ちだった。自惚れてるって思ってたけど、蓮二くんは私のことをきちんと見ていてくれた。
それなら私もきちんと答えなきゃいけない。そうでなかったら蓮二くんに失礼だもの…。
「会えないのは寂しいような気もするんだけどね」
「あぁ…」
「でもね、火曜日の移動教室で蓮二くんのクラスの前を通る時に目が合って、笑ってくれるのがすごく嬉しくて…楽しみなの」
「俺もだ。たまに弦一郎が遮るのが気になるがな」
「あ!ふふっ…そうだね。あとね、夜にメールくれるのが嬉しいの。私から送ろうとするとね蓮二くんからメール来て、いっつも嬉しくなっちゃうんだよ。知ってた?」
「それは知らなかったな」
「あとね…蓮二くんに泡子って呼ばれるのが、好き…かな」
「そうか。俺も泡子に蓮二と呼ばれるのが心地好い」
蓮二くんの穏やかな表情とは裏腹にしっとりと熱を帯びたような目に、吸い寄せられる。
そっと私の頬に触れた蓮二くんの指を綺麗だなって思った瞬間、自然に目を閉じた。
人の肌と触れることがこんなに緊張するとは思わなくて、唇が震えているのは自分でも分かった。
あまりの恥ずかしさに顔を上げられないでいると、蓮二くんの両手で頬を包まれた。
「泡子はキスする度にこうなるのか」
「は、初めて…だから…」
「俺もだからそう照れるな」
くすりと笑う蓮二くんの耳が赤い。蓮二くんもドキドキしてるのかな?そう思ってつい、蓮二くんの胸に手を当てる。ブレザーのせいであまり分かんない…。
「こら。泡子の前では余裕でいたいんだよ」
「ドキドキする?」
「答えになっていないな」
きょとんとするな、と傾げた首をそのまま戻されて、ほんの少し違う角度に傾ける蓮二くん。
「もう一度だけ」
耳元で囁かれたお願いを断る理由なんて、私は持ち合わせていない。
ゴールデンウイーク明けの月曜日、廊下の掲示板に『参謀に彼女!データマスターは恋もマスター!』と妙ちきりんな見出しの新聞が張り出されていた。
「うそ……」
「精市か」
やられたなと溜め息をつく蓮二くんだけど、楽しそうに笑顔を向けてくる。
その笑顔に弱い私はそっと繋がれた手を解こうなんてこれっぽっちも思わなかった。
「柳の裏切り者ー!」
丸井くんがお菓子を撒き散らしながら横をすり抜けた時は流石に、困ったけど。
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