困った顔で笑うきみ



彼はいつだって困った顔で笑った。

土曜日の早朝、辺りはしんと静まり返っていた。
金曜の夜、仕事帰りに急遽仕事友達と飲んで朝帰り…なんてよくある話。実家に住んでいれば多少親の目があり気にするところなのだが、幸い口うるさい存在は居ない。そういえば飲み会の席でも「一人暮らしって気楽で良いよ。」と言う同僚と「実家は何もしなくて楽。」という先輩が話していたのを思い出す。そんな私は一人暮らしをしたことがない。が、実家に住んでいるというわけでもなかった。

玄関をガチャっと鍵で開け、無造作にバックを床に置いてリビングに向かえば机に突っ伏して眠る同居…じゃなかった、同棲人の姿。

(こんな所で寝ないで、ちゃんとベッドで寝ればいいのに。)

ラップのかかったご飯が置いてあるということは、夕飯を作ってずっと此処で待っていてくれたのだろう。しかもご飯は二人分…つまり彼は自分も食べずにずっと待っていたということだ。…仕事場から流れに流れて飲み屋に行ったので連絡するタイミングをすっかり逃してしまったことを少しだけ後悔する。

「…ん、」
私の気配に気づいたのか、彼はゆっくりと起き上がる。眼鏡がずれて視点の定まらない彼はボーっとこちらを見て、私の存在を認識すると直ぐに眼鏡を掛けなおして慌てて立ち上がった。

「…やぁ!おかえり!」
ニコニコ笑って迎えてくる彼の笑顔が、


…最近どうも気に食わない。


「…ただいま。」
「朝ごはん食べる?昨日の夕飯で良ければすぐに…「いらない。朝からハンバーグなんて無理。」
ラップを外しながら話す彼の言葉を遮ってそう言えば、一瞬表情を暗くしたがすぐに元通りのヘラヘラした顔に戻った。

「そうか…なら簡単なものを今から作ろう。少し、そこで待っていてくれないか?」
飲んだ帰りだというのにハンバーグなんて重いものが胃に入るわけない。不機嫌な顔で伝えれば彼は直ぐに理解して朝食を作るべくキッチンに移動する。半分ラップの取れかかったハンバーグはもう何時間も放置されていて、見るからに冷めて不味そうだった。…それでも、きっと温めれば美味しい彼の料理。

同棲を始めた頃の彼の料理ときたら、それはそれは悲惨なもので…このままだとキッチンが爆発して私は火事で死ぬんじゃないかとまで思ったぐらいだ。それを理由に「一緒に暮らせない。」と言えば彼は必死に料理を勉強始め、男のくせに女の子たちと混ざって料理教室に通い始めた。「…浮気なんてしてないからね?」と毎回の如くいう彼に「馬鹿じゃないの。」と、私も毎回同じ言葉で返し、そんなやり取りがしばらく続くと気がつけば彼の料理は私なんかより美味しくなっていた。

そう、彼は昔から努力家だった。

だから努力して料理も上達した。部屋の片付けだって本来苦手だった筈なのに、周りを見渡せばゴミ一つ落ちていない。私が汚い部屋なんて嫌だ、と言ったからだ。実家に居た頃の部屋なんて壁にまでデータを書き込んでいたというのに、真っ白な壁が保たれているのは彼の努力のお陰。…全部全部、 彼 の 努力。

「出来たよ。」
そう言って胃にやさしいたまご粥を差し出す彼。

「私、病人じゃない。」
「うん、でも胃には良いかな…って思って。」
「………もう、いい。」

まだ酔いが冷めず寝不足の頭では味なんてわからない。ただ、彼の優しさが詰まったこの料理を食べると吐き気がした。

「そうか…すまない。」
しゅんとした彼は、困った顔で笑う。

「貞治が謝ることないでしょう。もう、寝たい。」
「いや、いいんだ。…あ、ベッドのシーツは新しくしてあるからね。」

…そう言って彼は昨晩作ったハンバーグをゴミ箱に捨てた。

彼自身の分と、私の分。きっと彼はこの後私が一口だけ食べたたまご粥を朝食にするのだろう。私が寝た後、一人リビングで……


「……なまえ?」
寝室に向かうわけでもなく、ボーっと彼を見つめていると、ふと何かに気づき彼が私の顔を見てビックリした。

「どうしたんだい?いきなり涙なんて流して…もしかして、具合でも悪いのかい?」
慌てて私の方に寄り、おでこに手を当て熱を計る。お腹でも痛い?もしかして、さっきのお粥そんなに不味かった?など眉を下に下げて必死に聞いてきた。

そこで初めて私は涙を流していたことに気づいた。
わからない。どうしてこんなにも悲しいのか、わからない。

「……なんで、怒らないの?」
「は?」
「怒ればいいじゃん!どうしていつもいつもそうやって笑って許すの?貞治がそんなんだから、私はこんな人間になっちゃったんじゃない!」

彼の態度にいい加減苛々してくる。
怒ればいいのに。いい加減にしろ、って怒れば私だってこんな思いをしなくて済んだのに。そうだ、全部全部彼の所為。私がこんなにどうしょうもないのも、学生時代からずっと付き合い、今もこうして同棲している、貞治の所為。

あの頃は…付き合い始めた頃は、こんなんじゃなかった筈。いつもだらしない彼の世話を私がして、その度にヘラヘラ笑う彼を叱り付け、それでも二人一緒に居て楽しくて幸せだった。いつから?いつから、彼が私の世話を焼くようになったの?

私の言葉に、ふと彼は一瞬だけ表情を消した。真剣に、真っ直ぐに、こちらを見る。眼鏡越しじゃわからない彼の視線が、私を捕らえて離さない。


彼が少し顔を下げた。そして、

「……怒らないよ。だって、君は必ず俺の元へと戻ってくる。わかるかい?君はもう俺無しじゃ居られないんだ。今更他の男と幸せになんてなれやしない。世界中探しても、君と一緒に暮らせる男はもう俺しか居ないだろうな。」

だから、俺は満足だよ。

そう言って顔を上げた貞治は、やっぱり困った顔で笑っていた。


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潮様、ありがとうございます!
これからも乾、乾と言い続けたいと思います!

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