呼吸


少しばかり曇天で、小雨が降ったり止んだり不安定。いつものように海子は上司からの書類を片付けていた。床が湿っており、ほんの少し不愉快な日。

一角と海子は、同期で上司の檜佐木のお陰で付き合うことになった。

「そういや、一角さんとはどうなんだ?」

普段は立場上、斑目と呼ぶ上司がこう言うのならば…と海子は答える。

「相変わらず鈍い…なのにちゃっかり嬉しくなるようなことするの」

ムキになって話す海子にふっと笑みを浮かべながら、副官室に向かう。

「書類の仕分け手伝って」

そこの山、と指差す先には膨大な量の書類湿気のせいか心持ち重い気が、と思いながら海子は運ぶ。

座れと促す檜佐木の向かいに座る。

「上手くいってんじゃん、これミス」

束から書類を抜き出しながら分けていく。

「自分では分からないよ」

檜佐木が積み上げる書類を更に仕分けながら返す。

しばらくすると、雨が強くなり窓を叩きだす。

「なんだそりゃ」

混じっていた原稿に溜め息を吐く。

「一角さんて十一番隊じゃない?」

おぉと相槌を打つ檜佐木に海子は続ける。

飲み会も仕事だよね、その一言にパタリと手を止め、海子の顔を見た檜佐木は何となく悟る。

まだ雨は強くなる。

此処暫く、一時間も近くに居たことがない。

とは言え、夜の予定をわざわざ九番隊に来てまで告げに来ることを考えると、気持ちが離れた訳ではないと思うと海子は檜佐木に話す。

「一角さんは手先は器用だが、そっちはそんなことないと思うんだけどな」

分けられた山にうんざりだと思いながら答える。

「でも…」

そう言いかけて止めた海子の表情に、近付く霊圧に気付く。

よ、と顔を覗かせた話題の人物である斑目一角。

「顔パスだな」

そう言う一角に檜佐木はやっぱり謎だと思った。

「悪いんだけど、今日も飲み会なんだよ」

頭を掻きながら話す一角に、海子はバッっと立ち上がる。

「分かりました、楽しんで来て下さいねっ」

胸の前で握り締められた拳の意味を知る者は少ない。

「檜佐木副隊長、これ戻しておきます」

檜佐木の返事を待たずに飛び出す海子。

「一角さん、飲み会に連れて行けば良いじゃないですか」

「連れて行けるかよ」

ギュッと心臓が掴まれた気がした。その言葉は海子に聞こえていた。

それから海子は定時近くになると、九番隊にいないようにした。全てが飲み会ではないことも、食事に誘っているのも檜佐木に聞いて知ってはいた。それでも、一角に会う勇気が無かった。どうしても抜けられない時は、檜佐木に頼み居留守を使う。

「お前、いい加減にバレるぞ」

海子が一角の言葉を聞いていたとは知らない檜佐木からすれば、考え物な態度。それでも海子は言わなかった。

キリキリと痛む身体を自身の拳で握り締めながら。


「そう言えば、松本副隊長が今日は隊で飲み会をするんだって!」

嬉しそうに話す十番隊と思しき女性死神。

「良いなぁ、日番谷隊長も?」

食い付く彼女に楽しそうに返す。

「らしいのっ!それに斑目三席と綾瀬川五席と檜佐木副隊長もだって」

「良いなぁ…松本副隊長だからだよね」

そうそうと楽しそうに会話をする彼女たちの横を通りすがる海子。既に、息が出来ないそう思えた。隊に戻ると、檜佐木が忙しなく指示を出していた。

「悪いな、断ってきた分のツケが」

申し訳なさそうに仕事を仕上げて、松本副隊長ですからねと言った三席に苦笑いを返す。

「お、海子配達終わったか。それなら後はこれを片付けてくれるか」

檜佐木は良いタイミングだとばかりに海子に割り振る。はい、と受けながら海子は檜佐木に尋ねた。何処に行かれるんですかと。墨を散らさないようにサラサラと書き付ける檜佐木の字は流れるように綺麗であった。

「確かお多福だったか」

その横で捺印をする三席。そうですか、呟く声は三席による副隊長のミス発見にかき消された。

がらりと重い引き戸を開くと、どす黒くなった心を圧迫するような賑やかな声が海子を襲う。

いらっしゃいと愛想の良い店長に何とか笑顔で返し、一人で席に着く。場所はお多福。

ぼんやりと冷や奴をつつきながら、耳は騒がしい奥座敷。

「斑目三席はお付き合いしてる方みえるんですか」

やんやと騒ぐ声の中、離れた場所で沈み込む心臓。

「あぁ、一応な」

大したことじゃない、言葉の使い方だもの、海子は自身に言い聞かせながら呼吸をする。明らかに落胆する声に、ほっとする自分がいるのも海子はイヤだった。

「あの、連れてみえないんですか」

檜佐木のお陰で松本乱菊とは割に親しいのだが、どうにも彼女は別で楽しんでいるらしく、このやり取りに気付かない。

「連れてくる必要はねェだろ」

食い下がる女性に一角は言った。こんなとこに連れて来られねぇよと。最後の一口、最後の砦は簡単に崩された。くしゃりと崩れた冷や奴をごめんなさいと店主に返す。上手く呼吸が出来ない。

そうか、私と居ることすら必要のない時間なんだ海子は目頭を押さえる。

「一角さん、海子のこと」

「関係ねェだろうが。第一アイツ避けてんだろ。潮時かもな」

だから理由をと言い掛けた檜佐木は、弱まる霊圧に気付いた。今まで気付かなかった自分に腹を立てながら振り向く。

海子、その名前に振り返る一角、と同時に静まり返る座敷。

「潮時ですね。今まで、ごめんなさい」

それだけは滑るように口から流れ出る。

海子、優しいその声は優しく見守っていた弓親で、海子の視界は揺らいだ。

「お邪魔して申し訳ありませんでした」

あと一言、大切な一言だけは出なかった。頭を下げ、急ぐ気持ちとは裏腹に縺れそうになる足をどうにか動かして店を後にする。

「一角、言い方の問題だよ。君の責任だからね」

弓親は静まり返った中、一角に言う。

「一角、海子の性格を考えなさいよ」

赤い頬でも、目は真直ぐ渦中の人物を捉える。

「海子に会いに行かないんですか」

檜佐木の言葉にも一角は返さずに一人机を離れた。弓親と檜佐木がそれを追う。障子で隔離された座敷は松本の元、活気を取り戻す。

店横の路地に置かれた長椅子に腰掛ける海子に、頭上から声が降る。

「どうした」

どちらかと言えば低いのだけれど、幼さがどことなく残る声に海子は顔を上げる。

「日番谷、隊長…」

涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を手拭いで拭っていると、日番谷は隣りに腰を下ろした。

「なんだ、斑目か」

呆れた顔と労る声に海子は改めて呼吸をする。

「松本はお前らは仲が良いって言ってたんだがな」

松本の伝てであったようで、あまり知られていない二人の付き合いを知っていることも頷けた。

「なぁ、十番隊に来い」

事情を聞いた日番谷は、珍しく不敵な笑みを浮かべる。

「でも、檜佐木くんが」

「言ってやるから心配するな」

そう言うと立ち上がり、海子の顔を覗き込む。

「別れるつもりでも困らせてやれよ」

目をしばたかせる海子に気をつけて帰れと言うと、お多福に手を掛けた。

「一角さん、海子のことどう思ってるんですか」

溜め息混じりの檜佐木に、弓親も溜め息を吐く。

「そりゃあ…」

弓親はその後を引き取る。

「好きなんだろう、だったら何、あの態度は」

眉間に皺を寄せる一角を見る。

「海子に言われて付き合い始めて、アイツのことを前より好きになってたんだよ」

「過去形なんですか」

檜佐木は惚気られているような気持ちになりながらも、適切に突っ込む。

「アイツが避けるからじゃねぇか。別れるつもりはねェぞ」

弓親も檜佐木も一角なりに悩んでいることは分かった。がしかし、状況は最悪だという結論も理解した。暫くして、一角は先に帰ると謝りながら、店を後にした。

丁度、擦れ違いざまに日番谷に頭を下げながら。

日番谷は檜佐木と弓親に用件を話した。

「まぁ、どっちにしろ人手が足りなかったからな。編集は終わったんだろ」

日番谷の問いに檜佐木は仕方ないと了承をした。

それから、海子は松本の見張りを兼ねた書類整理に勤しんだ。勿論、松本も状況を知っている。

一角は飲み会の翌日、九番隊に行くも十番隊への派遣がされていることを知ると、十番隊へ通うようになった。

とは言え、海子が会う気、会う勇気がない為に会えずに終わる。
「おい、斑目が呼んでるぞ」

本日三度目の呼び掛けに首を振る。

「海子、あんたもしっかり話をしなさい」

松本の言葉に顔を上げる。今やっと、呼吸が出来ているのにと恨めしく。
一角は苛立ちを隠すことで苛立ち、普段の稽古も、より荒くなっていた。

「一角、話はしたのかい」

弓親が夕涼みをしながら、汗を拭く一角に尋ねる。温い風が髪を揺らす。

「海子が会いたくねぇんだとよ」

ちきしょうと呟くと、手拭いを握り締める。弓親は立ち上がると執務室を後にした。向かった先は九番隊で、恐らく例の二人が居ると踏んで。

「あら弓親」

長椅子から顔を覗かせる手には三日月形の煎餅。増えた、と苦々しい顔をする檜佐木に悪いねと言いながら、遠慮することなく松本の隣りに腰掛ける。

そこで弓親は檜佐木から海子が悩んでいたことを知り、溜め息を吐いた。

「まぁ、隊長が会わせないかもしれないけど、一角には十番隊に来させなさい」

三人が話し込んでいる時、一角は緩やかに沈む夕日の中、十番隊にいた。

「斑目、書類なら受け取ったぞ」

何用だと日番谷は一角を見る。

「日番谷隊長、海子いますか」

海子の霊圧を感じている一角、理解している日番谷の間には愚問である。

「何で俺が十番隊に呼んだか分かるか」

ふっと息を吐くと、日番谷は自身の机に片肘を着く。

いえ…と苦々しい声に日番谷は答えた。

「松本から、いくらか聞いていたんだよ。お前と海倉のな。仲が良いだとか、羨ましいだとかな。仕事はやらねェし、人様の話しかしやがらねェ。そうでもねェか…」

眉間に皺を寄せ、副官を思う。

「俺には色恋なんか分かんねェ。だけど、お前らみたいなのも良いもんだなって思ってたんだよ。勝手に理想にしてたんだろうよ」

恥ずかしげもなく、ぽんぽんと飛び出す言葉に少し面食らいながらも一角は聞いた。

「それで…」

「言葉が足らねェのは分かるが、海倉にお前から聞くなりしてやれ。檜佐木に相談していたみたいだぞ」

出てきた名にピクリと動く目を見た日番谷は微笑んだ。

「そんな顔出来るならちゃんと言葉にしてやれよ。隊主室にいるぞ。余分なことはするな」

頭を下げ、扉に手を掛けた一角に日番谷はニヤリと釘をさす。


隊首室、海子はピリピリした一角に自然と俯いた。

「悪い…あれはそういう意味で言ったんじゃねぇんだ」

更に体を縮める海子を抱き締めたい、一角はそう思ったが出来なかった。そんな思いをさせたのは自分だと。

「聞いてくれ、あの時の言葉の意味を」

一角の言葉に期待をする自分がイヤになる、海子はそれでも俯き続けた。

「海子を酒の場に呼んで、男に捕まるのがイヤなんだよ。いくら、俺がいるっていってもだ…。大概、お前と俺のことを知らねェ奴ばかりじゃねぇか」

海子は少し顔を上げる。籠った空気が動く。

「独り占めしてェんだ。晒したくねェんだよ…檜佐木にだって嫉妬してんだ。だから、毎日海子の所に顔を出しに行ってんだ」

自分の名を呼ぶ一角の声、いつもより籠った低い声、あの真っ直ぐな目全てが海子を捕らえる。

掴んで離さない。呼吸は何処か。

「一角さん…信じて良いんですか」

少し掠れた声、汗ばむ頬、張り付く髪、握り締められた手の全てが一角を見つめる。

「あぁ。別れたくなんかねぇんだ。これだけ言っても駄目なら、困らせるつもりなんざねェ」

一角は握り締めた拳を前に出し、するりと指を解く。

「一、角さん」

軋む床を踏み締め、一歩一歩近付いた海子は一言、ごめんなさいと言った。

眉間の皺は解かれ、手は握り締められた。

馬鹿野郎だな、と一角が自分自身に悔しさを感じた時、腰回りに温もり。

「海子…」

思わず、離れないように海子を抱き寄せる。

「やっと、呼吸が出来た…。一角さん、大好きです。週一で良いから私と会って下さい」

くぐもる声はゆるゆると言葉を紡ぐ。

「悪かった。そうだな」

海子の顔を覗こうと身体を離そうとした一角に、イヤとばかりに抱き付く海子。初めて見るその姿、顔がにやける一角であった。

やられてばかりは性に似合わぬと、一角は海子の前髪をつ、と上げると口付ける。

「んな…」

頬を染めたのは、この暑さか、否、当然俺だろ

⇒オマケ

「おい、斑目」
「日番谷隊長…」
「疚しいことをするなと言っただろう。海子、呼んでるぞ」
「ひ、はい。すみませんっ」
「日番谷隊長、名前…」
「あぁ、松本の許可の下だ」
「意味分かんねェっすよ」
「保護者だ」
「え」
「松本、檜佐木、綾瀬川に俺、泣かせるなよ」
「ぐ…」
「更木もだな、草鹿に気をつけろよ」
「あぁ、隊長たちは知ってるんすね」
「おぉ、まぁ命知らずな隊員にも気をつけろよ」
「当たり前ですよ」


「あら、隊長何してるんですか」
「仲直りだとよ。和解か」
「へぇ、隊長が焚き付けたんですか。珍しいですね」
「そうか」
「まぁ、隊長の理想ですからね」
「何でだ」
「隊長、二人の話を聞く時、楽しそうですよ」
「そうか。あ、」
「隊長?」
「どうしたの、海子」
「え、日番谷隊長に呼んでるって言われたんです」
「あ、ははぁ…。そうそう!今日の夜さ…」



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