おねだり


遂にやってきたこの日、そう呟いた海子はクラスを見回す。冷たい風も強くなり、ブレザーや学ランの袖や裾から覗くセーターが増えた。海子もその一人。

黒板の日付を確認するのは、登校して一時間も経っていないというのに五回目。トートバックに入っている小さな紙袋が、ガサリと傾く、十一月九日。

朝からそんな調子の海子は、古典の時間に散々京楽に訳を突っ込まれ、笑われた。

「海子ちゃん、珍しいねぇ。君がそんなに間違えるなんて」

笑う京楽に、すみませんと顔が赤くなる。かと思えば、数学に関してはただでさえ苦手だと言うのに指名。

「ほんなら、解いて」

市丸の笑みに、海子は泣きたくなった。白墨を持ち、黒板の前に立ち往生。

「仕方ないなぁ、このプリント帰りに持ってきてな」

藁半紙を摘むと白墨の痕が付いた。


「皆、風邪に気をつけるんだぞ」

そんな一日を過ごした海子は、担任の浮竹の言葉を合図に苦笑いを浮かべたクラスメイトに別れを告げて、廊下へと向かった。

長い一日の挙げ句に散々な日、それでも口元が綻ぶのは、ちょっとした楽しみのせい。

ひとまず、式の組み立てさえままならぬ数学のプリントをファイルに挟み、鞄に入れて足早に廊下を歩く。

職員室のある階を素通りし、静かな三階に足を踏み入れる。海子が、目当ての社会科準備室に向かうと騒がしい。

「何で?」

深呼吸をしながら近付けば、どうやら剣道部員が押しかけたらしい。

「先生、ちゃんと使って下さいね」

道着姿の男子生徒が押し出されるように、廊下に広がる。

「悪いんだけどよ、今日は顔出せねェから頼むな」

分かりました、と頭を下げた部員達とすれ違う海子に一角は言った。

「海倉、プリント早く持ってこい」

二人だけの暗号に顔がにやけた。

「ほらよ」

差し出されたマグカップには、ティーバックの紅茶の湯気がたつ。

「何を貰ったんですか」

被ったんじゃないか、と辺りを見回す海子に一角が手渡したのは、手拭いが詰まった箱。

「去年は鍔止めだったな」

ギイギイ軋む椅子に背を投げ出す。

「一角先生、お誕生日おめでとうございます」

とてとて歩く海子の手を引き寄せれば、小さな紙袋を差し出された。

「お小遣いだから…」

恥ずかしそうに俯く海子の頭を引き寄せる。器用にテープを外し、中身を出す。カラリと姿を見せたのは、シンプルな銀色のシャープペンとボールペン。

バイトもしていない海子は、黙り込む一角の顔を見られずにいた。

「大体、海子のことだからバイトもしてねぇから…ってことだろ?親の金じゃぁってな」

海子には、声が体から響くように聞こえる。

「これなら、持ち歩けるな」

カショ、カショと手の中で転がるシンプルな二本。

「ごめんなさい…」

ジワジワと目に涙が溜まるのが分かった海子は、更に俯く。

「海子から貰うもんは何でも嬉しいんだよ。ほら、膝に乗れ」

ニヤリと笑う様が容易に想像出来た海子は、そろりと離れようとした。逃げるなよ、と呟いた一角は海子の足を掬い上げる。

「う、わぁっ」

必然的に両手でしがみつく海子に、よしっと一角は笑う。一角の顔を見上げれば、眉間による皺。

「先生…重いですよね」

自分の言葉に落ち込むと、全く関係のない言葉が飛び込む。

「セーター…」

一角の視線の先には、セーターから覗く小さな手。

「海子、セーターの袖は折れ」

紺色のセーターを摘むと、一角は丁寧に折り曲げる。生活指導ですかとモコモコする袖口を見つめる海子。

「ちょっと立て」

トンと立てば、一角は頭から足の先まで眺める。

「先生?」

呼び掛けに反応したのか、眺めるのを止めると口を開いた。

「スカートはそれ以上短くするな」

海子のスカート丈は、膝が見えるか見えないくらいで、指導で引っ掛かることはまず無い。

「大丈夫ですよ。朽木先生に捕まったことないですから」

へらっと笑う海子に、一角は溜め息を吐く。

「阿呆、身体を冷やすな。男に足を見せるなって意味だ」

ぽかんとする海子に分かったのか、と問えばみるみる赤くなる頬。満足した一角はドアを開け放ち、廊下を見渡す。

籠った熱の代わりに、冷たい空気が流れ込む。カチャリと鍵を掛けた一角はソファに凭れ、ちょいちょいと海子を座らせる。

「あれ、お揃いか」

一角が海子の胸ポケットに視線を移す。こくりと頷く海子に一角は可愛い奴、と一人笑う。

「よしっ、もう一つプレゼントが欲しい」

何かを悟ったような不安と期待が海子の胸に渦巻く。




「ねだれよ」


自分を見る切れ長の目に海子はあぁ、大人はズルイなと思う。





「目、瞑って下さい」


瞑った目を開かぬように、柄にもなく胸が高鳴るのを押さえる。




ひんやりとした感触、それは一角が期待したものでは無かった。





>>>左の目元に当たる感触に片目を開ける。


目の前には緩やかな曲線を描く胸元。

そうか…




一角は海子の腰を引き寄せ、尋ねた。


「だって…恥ずかしいですから」



まだ慣れねぇってか


「だけど、海子の唇な冷てぇぞ」





赤いシャドーに触れた何も塗られていない冷えた唇、何てことのないそれに、一角はやたらと魅かれた。



有無を言わせずに膝に乗せ、小さい身体を抱き込む。



落ち着かない海子の顎を持ち上げる。






>>>軽く触れた冷たい唇から、一角のそれを少しだけ離す。




「暖めてやる」


息のかかる距離の海子の瞳には期待しかない。



もう一回な、と一角が呟けば触れ合う唇。





次第に薄く開くそこに、舌を侵入させる。



海子の鼻に掛かる声は、一角を高ぶらせ、キュッと握り締められたワイシャツは皺になった。





>>つい、と一角が唇を離せば、海子は身を乗り出した。



赤い小さな舌を震わせて。


「海子、煽るな」


お揃いにおねだりとは最高だな、一角の口角が上がる。



その舌に噛み付くように、一角は海子の後頭部に触れた。





聞こえるのは帰宅の音楽と野球部の挨拶、小さな声だけ。





外のライトに光る銀色の二本の影は、ぼんやりとしていた。




⇒オマケ


>>>オマケ:

「お揃いって、これで良かったんですか」

「おう、こっちの方がよく使うだろ」


「ふふっ、良かったです」




「それより、海子数学のプリントは出したのか」

「え…何で」




「市丸先生が珍しく、業後に残ってたからよ」

「まだ終わってないです、よ」



「ったく、出せ。教えてやるから」


「う…」




「やっぱり、おねだりは駄目だな」

「おねだり…下手ですか」

「抑えが効かなくなるからな」



「う、えっ」

「無意識かよ」



「そんなっ!」




「不安だな」



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