あぁ、今日も
昼時のざわめく廊下を一際騒がしく歩く二人の姿は、十二番隊舎内では日常である。
「いい加減に機嫌直してよね、そりゃ私だって曳舟隊長の方が良いって思ったけどさ」
隊首室をひよ里曰く改造していたらしい浦原隊長の文句から、八つ当たりを受けるのも何度目か。
「何や!海子は過去形かっ!!あんのハゲっ!信じられへんっ、模様替えレベルやないんやぞっ!!」
地団駄を踏む友人に、海子は頭を抱える。
「そう言えば、平子隊長が呼んでたよ。猿柿副隊長」
敢えて役職で呼ぶのは、熱を引かせる為に会得した長年の技だ。
「何で俺がお前に会いににいかなあかんのや、隊長やぞっ」
地獄蝶の意味は無く、二人が食堂から戻れば、平子は応接用の長椅子に寝転んでいた。
「何の用や、ハゲ真子」
踏ん反り返るひよ里、彼女の頭を思わず、はたきたくなるのを堪えた海子は自分を褒めた。
「マユリで済ませたわ、何やアイツ文句言いながら、しっかりやってくれたで」
ずるいなぁ、マユリさん
私だって平子隊長と話したいのにさ
選ばれた者が身に着ける白、弱くなった陽の光にチラチラと光る金色の髪の主とは、ひよ里のお陰で世間話するくらいになれた。
好きになるなんてこれっぽっちも思っていなかったし!と顔をしかめる海子に、ひよ里が百面相やめろと突っ込む。
「ごめん。平子隊長お時間大丈夫ですか」
つい、と指差す時計は昼休みを終えている。
「惣右介おるでええよ」
何処が良いんだろう、自分の趣味を疑えば、ひよ里はニヤニヤしている。
「ウチ、喜助叩き起こしてくるで」
昼寝中のプレートが風に揺れてカタカタと震えている。
「はよ、起こしてこい」
平子の言葉にイラッとしたひよ里は、完璧な跳び蹴りをかます。
「ありがとさん」
平子の言葉に、そんな趣味ないやと海子は一人思う。
「海子、話し相手なってや、俺に捕まったってことで」
起き上がると、平子の髪が揺れた。
「あー、仕方ありませんね」
羨ましいな、と思いながら無意識に髪の毛に手櫛を入れる海子。
「緊張するような相手ちゃうやろ」
海子が髪の毛を触った為に、緊張していると思った平子は阿呆かと言う。
「平子隊長の髪は綺麗ですよね」
違いますよと否定すると、平子は海子の顔をジッと見つめる。
「海子は癖っ毛か」
短い部分が跳ね、後ろで結っている分は傍目からは分からない。
「髪の毛、触り放題の特権教えたろか」
何を思ったのか、平子は体を起こし、座り直す。
「何ですか、それ」
やっぱり、何で好きになったんだろ
「海子だけに教えたるわ」
ニィと笑う顔も、お世辞に格好良い訳ではない。
どちらかと言えば、愛嬌があるのかな…
「あ、彼女ですね」
平子との会話、脳内での会話を同時に成立させる海子。
「つまらんやっちゃなぁ、まぁええわ。せやから海子にだけ、触らせたるわ」
支離滅裂だな、気を遣ってるのかなと海子は、我ながら失礼だなと思うも、きちんと返す。
「彼女さんに失礼ですよ」
自分で言ったにも関わらず、少しイラッとする。
「おらんわ」
口を尖らせる平子が可愛いなぁと、髪に伸ばし掛けた手を左手で押さえ込む。
「未来の彼女さんに」
即座に指をさす平子に、指をさすなと言いたくなるもお前と彼の口が動く。
「はい」
無論、自分に都合の良いように解釈しそうになるのを振り払う。
「そうや」
「またまた」
平子は先程より真剣な顔になり、海子に身体を乗り出す。
「二度は言わんぞ、海子、傍にいてくれ」
そうだ、初めて会った任務の時もこんな顔だったけ
「私ですか」
夢なら覚めろと覚めないでと、矛盾した祈りを捧げる。
「おお」
そよりと冷たい風が平子の髪を揺らす。
「今更、撤回出来ませんよ」強気な言葉と裏腹な表情に平子はニヤリと笑う。
「そのまんま返すわ」
平子に寄せられた顔の近さにドキドキしながら、先を望む。
「くっつくのは構わんけどな此処でイチャつくなハゲっ」
世の中そうは上手くいかないものだなと、海子がチラリと平子を見れば、はたかれた頭を押さえていた。
「ひよ里さん…」
叩き起こされた浦原は、更に飛び掛かろうとするひよ里を何とか羽外締めにする。
「ウチのお陰やってこと忘れんなよ」
腕をどうにか解放したひよ里は腕を組みながら、平子を見下げる。
「分かっとるわ」
むくりと立ち上がった平子は、海子の髪に触れた。
「あ…いや、ありがと、ひよ里」
口をついた言葉に自分でも驚くも、仕組まれたことをやはり感謝する。
ケッと少し頬を赤らめる友人が好きだななんてふと思う海子だった。
九年後、昨夜は真子との約束は無かったが、海子はつい癖で真子の部屋に使い込まれた合鍵で入った。
翌朝、普段なら離さないとでも言うように絡まれた腕はなく、布団には海子自身の温もりだけだった。
とろとろ歩く海子が駆け出したのは、隊員たちのざわめき。
「いない?」
大方の話は隊員たちから聞き、昨夜の騒がしさを理解するも、理解したくない言葉を浮竹から聞くことになる。
「あぁ、暫くしたら後任の隊長も決まる。それまでは涅くんが指揮を取る。補佐は海子だ」
浮竹の辛そうな表情と説明は、海子の呼吸を荒くする。
「浮竹隊長」
真子と海子の関係を知りながら、十二番隊の状況説明をする浮竹自身も海子の呼び掛けに息を吸わねば、返事が出来なかった。
「大丈夫だ」
そう言うしかないのだ、海子は握り締めた鉄臭い塊を握り締めた。
百一年後、あれから海子は髪を伸ばし続けたが、決して解くことはしなかった。
浮竹や京楽、卯ノ花やマユリの前以外では。
錆び付かぬように手入れをし続けた鍵は、既に鍵としての受容場所をとうに失っている。
「海子、五番隊から補助願いだヨ」
「マユリさん、どうすれば良いのかしら」
二人きりだからと遠慮をしなくなったのは、あの時からか、海子は昔馴染に答える。
不愉快だと言いたげな表情を隠すことなく、マユリは書類を摘む。
「フン、今の状況を考えれば古株の海子が呼ばれるのは、仕方のないことだヨ」
古株と言うのは彼なりのお茶目だと知ったのも、あの時からか、と書類を受け取る。
「分かりました」
ギイギイと鳴く椅子から立ち上がったマユリは、海子に背を向けた。
「すぐに戻ってきたまえヨ」
マッドサイエンティストなのにね、海子は笑みを隠さずに立ち上がる。
「ふふっ、はい」
「雛森副隊長」
やつれた上司を思わず呼び止めたのは、置いていかれたことを重ねたからで、海子は些か呼び止めたことを後悔した。
きっと、きついことしか言えないだろうと。
「海子さん」
執務室奥の小さな休憩室に籠った二人、口火を切ったのは雛森である。
「藍染隊長が裏切るなんて…きっと、きっと…」
キリキリと握り締める手は、細く白く痩せていた。
「裏切りを口にして去っただけ幸せよ。何も言わずに去るよりはね。憎めるなら憎めば良い。貴女がアノヒトに選ばれた能力は真実。故の立場を忘れてはね」
予想より遥かに大きな声に、海子自身肩を震わせる。
「海子さん」
少し微笑んだ仮初の上司に胸が痛くなり、呼吸がし辛くなるのをどうにか安定させる。聞き流してくれて良いから、と
絞り出した声は掠れていた。
「京楽隊長」
執務室を後にした海子の目の前にはどのくらいの付き合いになるのか、京楽が相変わらずの衣装で立っていた。
「済まないね、涅くんが探していたよ。現世だってさ」
笠を上げて微笑む彼の仕草は、海子の心を和らげた。
分かりました、海子は強張った頬を緩めた。
「そう、お土産よろしくね」
恐らく海子が雛森に対して話したことは、薄々感じているのだろう。大丈夫だよ、と声に出さず口が象る。分かってますよ、そう微笑む海子に京楽はそうだねと呟いた。
ねぇ、どうして私には何も分からないの?
お願い、憎ませて
こんなに愛しくなるくらいなら
あぁ、今日もあの毎日を思い出すんだ
使われない鍵は、鍵束の中で鈍く光っていた。
<<あぁ、今日も
古//新