小説 | ナノ
彼女の髪
※紅先生やミライの髪の長さについて捏造しておりますので苦手な方はご注意ください。


 母みたいな人になりたかった。
 美しくて、強かで、いつまでも一途に亡き父のことを想う、母みたいな女に。


 ミライがようやくひとりで留守番ができるようになったまだ幼い頃。母は仕事で帰りが遅く、いつものようにひとり寂しく布団に包まって眠っていた。
 ふ、と目が覚めて寝ぼけ眼を擦りながら布団の中から顔を出すと、母が鏡台の前で髪を梳かしていた。ゆるやかに波打つ美しい黒髪は背に垂れており、その髪を大切に大切に櫛を通していく。何故かはわからなかったが、その姿があまりにも美しく、切なく、ミライの幼い心をきゅっと鳴かせた。
 暫しの間、母のその姿に見惚れていると、ミライの視線に気付いた母は振り返り「起しちゃった? ごめんね、ミライ」とゆるやかに微笑みミライのくしゃくしゃの黒髪をかき混ぜた。心地良い母の手の動きがミライは大好きだった。
 されるがままに身を委ねていたのだが、ミライはその母の手の動きにハッとする。
 母の長い髪と自分の短いくしゃくしゃの髪。同じ髪なのに、全然違う。
「おかあさん」
「うん? なあに、どうしたの?」
 落ち着いた母の声は、色で例えると部屋の隅にある淡いオレンジ色の間接照明みたいだ。
 紅は手に持っていた櫛をことりと鏡台に置いた。
 脇の下に手を入れられ、ミライは軽々と母に抱き上げられる。
 母の膝の上はミライの特等席だった。特等席という言葉は小さい頃からよく遊んでくれるシカマルに教わった言葉だ。
「なんで、ミライのかみ、おかあさんといっしょじゃないの?」
「髪? ミライの髪、お母さんそっくりじゃないの。黒くて癖っ毛でやわらかくて」
「ううん。ちがうの。ミライの、おかあさんのかみのけみたいにツヤツヤしてないし、ながくない」
 ミライは肩から胸元へ流れる黒髪に手を伸ばし、幼い小さな手の中でくるくると弄んだ。
 短くてくるくるで、跳ね放題のミライの髪とは違うそれはしっとりと手によく馴染み、つい頬擦りしたくなる。

 紅は、そんなミライの様子に胸がくすぐられた。
 幼い愛娘のその姿が、今は亡き愛する人と重なったからだ。
 ミライが生まれてくる前、彼がまだ生きていた頃。彼もまたそうやって紅の髪をよく褒めた。
 鏡台に置かれた繊細な花の模様が彫られた櫛は彼が送ってくれたものだ。
 その髪が好きだから、と面白いぐらい顔を真っ赤にさせてぶっきらぼうに渡してくれたのは何年経っても色濃くその胸に残っていた。
 娘もまた、あの人と同じように自分の髪を好きと言ってくれるのはとてもうれしい。彼の面影をひとつ、娘から見つけてうれしくなる。
 ミライは自分の髪があまり好きではないようであった。昔の自分にそっくりで、彼女が鏡の前でしょんぼりと眉を垂らしている姿を見るとつい口元に笑みが浮かぶ。
 紅もそうだったのだ。幼い頃はこの髪が嫌いで、長く伸ばしていないと跳ね放題でちっともおさまってくれない。けれども、そんな髪をあの人は好きだと言って褒めてくれた。カサついた無骨な指で梳いて、撫でてくれた。
 ミライはまだ幼いけれども、きっといつかは、自分の髪を褒めたあの人のような素敵な人が現れてくれるだろう。
「……うーん。じゃあ、ミライも髪の毛伸ばすのはどう?」
「のばす?」
「うん、そう。お母さんとお揃いで長く伸ばすのよ。お母さんの髪はね、お父さんが綺麗だねって褒めてくれた大切な髪なの。ミライにも、いつかきっとそう言ってくれる人が見つかるわよ」
 紅にそう言われ、ミライはたちまち笑顔を咲かせた。
「シカマルにいちゃんかな!?」
 紅は娘の言葉に少しだけ胸が痛んだ。彼女が純粋にシカマルのことを好いているのは理解できる。けれども、それを拗らせてしまわないか心配だった。
 ミライのおでこに自身の額をこつりと合わせ、苦笑を浮かべる。
「……どうかなあ。でも、きっと素敵な人よ」
「へへへ、じゃあミライもおかあさんとおそろいにする!」
「うん。よし、じゃあもう遅いから寝なさい? お母さんも一緒に寝るから」
「わかった!」
 にこにこと笑みを浮かべながら膝から飛び降り、布団の中へ潜る娘に笑みがこぼれる。
 紅は鏡台の端に置かれた写真立てにおさまる人へと一度視線を向け、眦を下げてから娘の待つベッドへと足を向けた。


 ミライはその日から髪を伸ばすようになった。
 父が綺麗だと褒めた母と同じこの髪を、自分が大好きな人に褒めてもらいたかった。
 見よう見まねで母と同じように鏡の前で伸びた髪に櫛を通す。絡まる髪に小さい頃は悪戦苦闘していたものだが、もうあれから何年経っただろう。
 随分と慣れたものだな、と鏡の中に映る自分にミライは自嘲の笑みを浮かべた。
 母の髪を褒めた父のように、シカマルにも褒めてもらいたい。この髪を好きだと言ってもらいたい。幼いながらそんなことを思って母みたいになりたくて髪を伸ばしてきた。
 けれども、あの日から数年経って、それは叶わないことだということをミライは知ったのだ。
 彼には想い人がいた。自分とは全然違う、太陽に照らされてキラキラと輝く金色の髪。高い位置に二つに括られた髪はミライと同じ癖っ毛だが、自分とは全く異なる髪だとミライは思った。

 ふたりの恋は大切に大切に育まれ、実り、やがてひとつの種を落とし芽吹く。
 ミライはその様子をずっと見てきた。
 伸ばした髪を何度も何度も切ろうと思った。けれどもその手は鋏を持つことを躊躇った。躊躇ったままずるずるとその恋を引きずり生きてきてしまった。

 だが、もう限界だとミライは悟った。
 苦しくて苦しくて、心臓が潰れてしまいそうだった。
 ミライはもうあの頃のような幼い子供ではない。たくさんのことを学び、知りった。
 もう子供ではないのだ。まだまだ子供だとあの人には頭を撫でられるが、それでも。それでも、子供と呼ぶには躊躇うほどに成長した。
 鏡に映る自分は、どこからどう見ても子供ではなく女の姿をしている。髪だって、幼い頃綺麗だと思った母と同じ背の中頃まで伸びた。
 この髪を好きな人に綺麗だと言って欲しかった。好きだと言って欲しかった。
 でも、そんなの叶いっこない独りよがりな願いだ。

 ――もうお終いにしよう。

 ミライはとうとうその手に鋏を取った。
 この髪と共に育んだ大切な初恋も、今日でお別れだ。
 ザクリザクリと、刃が髪を断ち切る度に、ハラハラと涙がこぼれ落ちた。
 緩やかに波打つ長い黒髪が涙と共に床へと落ちる。
 私の初恋も、この髪と一緒に、断ち切らなければ。
 気付けば、ミライはしゃくり声をあげていた。背の中頃まであった美しい黒髪は跡形もなく、白い首が曝け出されている。
 終わったのだ。断ち切ったのだ。この恋を。
 大切な初恋とサヨナラをすべく、床に落ちた自身の髪をかき集め、胸に抱きしめ涙を流す。暫し、ミライはその場から動けなかった。

 その夜、紅は娘のさっぱりとした髪を見て、切なげに目を細め「似合うじゃないの」と一言こぼした。むず痒くてたまらなかったが、ミライは笑顔でそれに返すことができた。

 翌日、仕事のため家を出ると、アカデミーへと向かうシカダイに出会った。
「おはよう、シカダイ」
「おはよう、ミライ姉ちゃ……っ!?」
 シカダイは振り返ると母親そっくりな緑色の目を大きく見開いた。
「どうしたんだよ、その髪!」
 案の定な反応にくつりと笑みを漏らし、ミライは小首を傾げてみせる。
 そりゃあ、いきなり長い髪を切ったらどうしたのだと驚いてしまうだろう。自分が彼の立場でも驚く。
「うーん、邪魔だから切っちゃった。似合わない、かな?」
「……いや、似合わないってことは……ねえけど……」
「けど?」
 シカダイは言葉尻を濁し、ミライから視線を外した。耳がちょっとだけ赤い。
 どうしたのだろうとミライはますます首を傾げ、彼の視線に合わせるように身を屈ませる。
 顔を覗き込もうとすると、シカダイは突然がばりとこちらに顔を向け、至近距離で目が合う。シカダイの頬も耳と同じく真っ赤に染まっていた。

「オレ、ミライ姉ちゃんの髪、好きだから、ちょっと残念」

 ミライは驚き目を見開く。

「ミライ姉ちゃんの髪、すっげぇ綺麗じゃん」

 ボリボリと乱雑に首の後ろを掻くと、シカダイはそれじゃ、と一言残し走り出した。
 呆然と離れていく小さな背中を見つめ、彼の背中が見えなくなった頃、ミライは吹き出した。
「なんだ、勿体ないことしちゃったな……」
 私の髪を好きって、綺麗って、言ってくれる人。
 ミライは短くなった自身の髪を撫でた。
「また伸ばさなきゃ」
 彼が大きくなった頃には、私の髪、腰ぐらいまで伸びてるかも。
 そんなことを考えて、ミライはくすりと笑みをこぼし、上機嫌で通い慣れた道を歩いていくのであった。


 私は母みたいな人になれるのだろうか。
 美しく、強かで、一途な女に。

 ザッと強い風がミライの髪を撫でた。
 その風は、会ったことのない父のような気がした。
 俺と紅の可愛い娘なんだから、大丈夫。
 そう言って、短くなった髪を撫でてくれているようで、ミライは心地よさに瞼を閉じた。


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