小説 | ナノ
夜夜中
「好きだ」

 男の吐息混じりの愛の囁きが鼓膜を揺さぶる。
 鼓膜を揺さぶり、脳がその言葉を認知した途端、胸の奥底から黒い靄が立ちこめる。その靄は形などないのに、鋭さを持っていて内部からテマリの胸を傷つける。奥歯を噛み締めてその痛みに必死に耐えるのはこれでも何度目のことだろうか。
 耳をべろりと熱い舌で舐められ、くちゃりと水音を立てながら嬲られる。
 くすぐったさに似た快感がぞくぞくと背筋から首筋へ駆け抜け、顔を背けようとするも、彼の大きな節くれだった手によって押さえつけられてしまう。こんな男の力、いつもなら簡単に振りほどけるというのに。どうしてか彼の場合だと、テマリはそれができずにいた。
 絆されているのだ。年下の切れ者、木ノ葉の頭脳なんて呼ばれるこの男に。
 耳の裏筋に舌を這わされ、鼻にかかった甘い声が空気に溶けていった。
 念入りに耳の形を確かめるように舐められ、ようやく離されたかと思い瞼を持ち上げたことがまずかった。
 宵闇の中でも爛々と輝く黒い瞳が切なげにテマリを見つめていた。じりじりと喉が焼けてしまいそうな感覚がテマリを襲う。
 熱っぽく、焦がれて仕方ないというようなその視線。一瞬その瞳にひた隠しにしてきた恋心ごと飲み込まれ、すぐさま頭を振って否定した。勘違いしそうになる。この男が自分を好いている、と。
 その目を見るたびにテマリは全てを飲み込まれ、食われてしまいそうになるのだ。そして、それから逃れるように目を瞑る。
 そうすると、男はいつも決まって名前を呼ぶ。
「テマリ」
「…………」
「目、開けろよ」
 絶対に嫌だ。
 そう言うみたいにさらにぎゅっと瞼に力を込めて顔を背けると小さなため息が首筋をくすぐった。
「テマリ」
 また、名を呼ばれる。口の中で飴玉を転がすみたいに甘ったるい音で呼ばれた名は、自分のものではないように聴こえた。
 首筋に吐息を吹きかけられ、ぞわりと全身の産毛が逆立つ。
 男の指先がするりと確かな意思を持って内腿を撫でた。慌てて足に力を入れて閉じようとするが、もう遅い。男の足がその動きを封じていた。
 ハッと目を開けると、またあの目とかち合う。
 熱に浮かされたような真っ暗闇。幻術使いじゃないというのに、あの目に見ると彼の術中に嵌ってしまったような感覚に陥る。
「テマリ、好きだ……」
 真摯な眼差しで、信じられない言葉を男は紡ぐ。
 男の唇が肌けた胸元に落ちる。舌先で肌をくすぐられ、背を浮かせると浴衣をガバリと脱がされた。鎖骨を甘噛みされ、かすかな痛みに眉根を寄せると下から掬うように唇を重ねられた。
 ぬるり。舌先が下唇を舐め、隙間から咥内へと入ってくる。
「……っ」
 まずい、と思い舌を引っ込めるも、すぐにとらわれてしまう。しつこいくらい舌先を吸われ、舌の裏側を擦られ、互いの唾液を絡ませる。男の手が心臓のある左胸を揉み込むのを冷静な思考の一部が認識し、力が抜けた。
 抵抗なんか鼻から建前だというのに、何度この男と肌を重ねても身体が強張ってしまう。彼に唇を奪われ、舌を絡められ、ようやく力が抜けるのだ。
 身を硬くしてしまう理由なんてとうの前から理解している。罪悪感があるからだ。

 この曖昧な関係にテマリは罪悪感を抱いていた。
 望んだのは自分だ。
 愛の言葉などないまま、シカマルに抱いてくれと頼んだのだ。そして、この男は辛そうな顔をしながらも了承し、私を抱いた。
 一度目はよかった。お互い言葉などなかったから。
 しかし、よかったのはその最初の一度きり。
 シカマルは二度目に自分を抱いた時から、こうやって今のように愛の言葉を囁くようになった。
 その言葉を聞き、テマリは胸が引き裂かれそうな痛みに苛まれた。まるで、暗い暗い穴倉に背中から突き落とされてしまったかのような、そんな感覚。
 そこで初めてテマリは誤ちを犯したことに気づいたのだ。
 きっと、彼は自分を抱いてしまった罪滅ぼしからそんなことを言うのだ。
「テマリ」
「んっ、ぁっ……」
 暴かれた胸元のぷくりと膨らんだ小さな飾りがシカマルの熱い咥内に含まれる。
 びりびりと背筋に快感が駆け抜け、身を震わせた。ころころと口の中で遊ばれ、身悶える。
 必死に下唇を噛み締めて声を抑えていると、シカマルの指が許さないと咥内に二本突き入れられ、舌を捉えられた。
「んぅっ!」
 苦しい。
 苦しいなら、その指を噛んでしまえばいいのに、女々しく舌を絡ませて愛撫してしまう自分にほとほと呆れてしまう。
 この男の前だと自分の知らない女の部分をまざまざと見せつけられているようで、嫌だ。こんな自分は知らない。知りたくなんてなかった。
 指先が下着へと伸び、するりとクロッチの上から秘部を撫でられる。くちゅりと水分を含んだ音が耳に入り、カッと頬が熱くなる。
 シカマルはほっと安堵の息をテマリの胸元へ落とした。
 下着を脱がされ、彼が満足のいくまで思う存分喘がされ、身悶え、何度も達した。シーツには汗なのか自分が滴らせた愛液なのか最早わからないほどぐしょぐしょになってしまっている。
 衣擦れの音が聞こえ、シカマルが何をしようとしているのかを察す。
 ぼんやりと霞む思考のまま、彼を見つめていると目が合った。理性の箍が外れ、半分夢見心地のまま、男に向かって手を伸ばす。
 シカマルは、瞳を揺らめかせ、テマリの手を取り、口付け、自身の指先に絡ませた。
 唇が開かれるのをただただ見つめる。頼むから、言わないで。そう心の中で願いながら。
 しかし、その願いは叶わず。

「……愛してる」
 泣きそうな顔で、シカマルはそう言った。
 頭を振る。
 やめろ。そんな顔して、そんなことを言うな。
「好きだ」
 やめろ、やめてくれ。そんな傷ついた顔で、言わないでくれ。


「……っ、なんで、泣くんだよ……っ!」
――テマリッ!!

「え?」
 シカマルの言葉を聞き、テマリはようやく自分が泣いていることに気づいた。
 はらはらと頬を伝い、耳や髪を濡らすそれは、間違いなく涙だった。
 繋がれていない片方の手で、涙を拭ってみる。しかし、それは拭っても拭っても後から後からこぼれ落ち、テマリの顔を濡らした。
「……ごめん」
「……謝んないでくださいよ」
「ごめん、シカマル……ごめんっ」
「……謝んなって言ってんだろ!」
 ハッと視線を持ち上げると、男の涙がテマリの頬に落ち、二人の涙が混ざり合った。

 そこでテマリはようやく、自分の本当の誤ちに気づいた。
「好きだ、愛してるんだよ、テマリ……っ!」
 最初からこの男は自分を想ってくれていたということに。
 罪滅ぼしなんかではなかったということに。
「……っ、ごめんっ」

 夜夜中はまだ終わらない。


150330
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