燻るもの
空が薄暗く澱んでいた。しとしとと降り注ぐ雨音に耳を傾けながら臥所からゆっくりと上半身を起こす。深い眠りから目覚めぼんやりと窓の外を眺めながらおぼつかない足取りで地に足をつけた。軽い目眩にどれくらい眠っていたのか、などと定まらない思考に肩を落とす。思った以上に無理をしていたようで、それでも国の為なのだから仕方無いなんてのは脳内の独り言。本音で愚痴を吐けるような相手など数少ない、けれど嫌々公務に励んでいるわけでもない。それが自分の役割なのだ、と深い息を吐く。


―――ガチャ


不意に施錠した部屋の扉からではなく逆の方角から音がする。普段鍵を掛けない窓ではない、そちらもちゃんと施錠したはずだった。けれどその窓が開き、いっそう大きく響き渡る雨音とともに見知った人物が窓辺から姿を現す。到底普通の人間になど登れないような位置にある窓にだ、まあ彼なら可能である事に違いないのだろうが。だがその予想外の人物に、思わず目を見開くのはきっと正しい反応だろう。

「…これはこれは、また随分と珍しい客人だ」

本来は平静を装うような、ましてや寝首を掻かれるような相手だ。彼は…刃はゆっくりと床に降り立ち寝具の傍らで私を見下ろした。雨に打たれた小動物にしてはいささか逞しすぎる、どちらかというと肉食獣のようなその眼光に射貫かれる。雨に濡れた髪からぽたぽたと雫が落ちれば濡れた肩にこのままでは風邪を引いてしまうよ、などと口が滑ってしまう前に彼が口を開く。

「…大事無いようだな」

それは幻朧との激戦の末に気絶するように眠りに落ちた私が目覚め、掛けられた最初の言葉にしては妥当だろう。けどそんな自分を気に掛ける相手にしては予想外極まり無い。誰がこの部屋に運んだのかも知らない、あの後の出来事など知る術もない。そんな自分にだ、あの星核ハンター『刃』がだ。懸念したとでも云うのか。上手く逃げたんだろうと、思っていたのに。…これではまるで、目覚める事を悟って私に逢いに来たようではないか。

「なんだその顔は」
「え、ああ…いや、予想外すぎてとても…驚いているんだ…はは、面目ない」

驚きに、胸の鼓動が速まるのを抑えきれない。思わず片手で口元を覆う。積年の、募りに募った想いが溢れてくるようだった。胸の内に秘めた淡い心だ、それは今となっては忘れ形見のようなものだったのに。彼が遺した心だった、想い出にしては酷く歪んだその心を知る者はいない。深く根付いたそれを封じたのは紛れもない自分で、けれど閉ざした扉はいとも簡単に破られてしまう。それはその心を抱いた当人に、それはかつての彼の面影を遺した彼ではない君に。

「それにしても…意外だな、君が私を心配してくれるだなんて」
「心配などではない、戯言をぬかすな」

少し不機嫌そうに眉間にシワを寄せて。まるでもう用は済んだと云わんばかりに踵を返そうとする、彼は本当に私の様子を窺いに来ただけのようだった。些細な事だ、本当に。言い逃れようのない、そんな彼を引き留める為に思わず両腕を伸ばした。手に入らぬモノを強請る子供のように、その背中に縋り付くように抱き締める勇気など持ち合わせてはいなかったけれど。

「待ってくれ、刃」

嗚呼、これほどまでに自身の欲を曝け出した事などあっただろうか。これほどまでに、心の底から切望した事などあっただろうか。「行かないで」などと、駄々を捏ねるつもりはなかったのに。喉につっかえた言葉を飲み込む。黙ったまま彼は動かない、裾を掴んだ手を振り解こうともしない。それに甘えて絞り出した声は自分でも驚くほどにか細かった。

「…少し、そのままで…」

弱音を吐くように、その背中に額を押し付ける。じわりと、目の奥が熱くなるのを感じる。物言わぬ躯に成り朽ち果てる事すら許されない、魔陰の身に侵されながら苦しむ姿に彼が罪人である事を知りながらそれでも。今、ここに確かに存在する彼に安堵する。どうか昔の彼と君とを重ねてしまう事を許して欲しい、どうか今の君に彼の面影を感じては緩む頬を許して欲しい。涙などとうに枯れ果てた、泣くことすらおこがましいとさえ思う。きっと君を想う資格すらないのだ、もう逢えない彼に未だに恋情を抱いている自分は諦めが悪いだけなのだから。例え戯言だと罵られようとも、もう居ない人間なのだと咎められようとも。

「……応星」

私にとっては大差ない、どちらも未だ代わることのない想い人。応星だろうと刃だろうと、姿が変わろうとも私は今目の前にいる存在に恋情を抱いているのだ。未練がましい想いに呆れていた、でも長年の想いは募るばかりで消えやしない。きっとこの身が果てるまで、それは共に墓場に眠る想い。

「景元、だからその男は…」
「うん、わかってるさ、わかってる…すまない」

打ち明ける事すら出来ずに、今もまだこの胸の内に燻り続けるそれがたとえこの先私を苦しめようとも。この苦しみがあるだけで、私はまた長い明日を生きていけるから。ただ、それだけのことなんだよ。



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