幸福心中
事故で両親を亡くしたのは、物心がついたばかりの頃だった。当時は瀕死の状態で悲しむ余裕もなく、それどころか自分の身に何が起こったのかすらあやふやで。運が良いのか悪いのか、親戚も身内も居ない天涯孤独となった自分を引き取ったのは搬送先の医師だった。身体中が痛い、一体これからどうやって生きていけばいいのか。先の見えない人生に、幼いながら絶望したのは云うまでもない。右も左も白に包まれた手を見つめ、漸く自分の脚で歩けるようになった頃合いに出会ったのは。自分と同じように両親を事故で亡くし、同じように医師に引き取られた同い年の少年だった。まるで全てを見透かしたような、年相応と云うよりかは大分大人びた風貌の。自分よりずっと多くの白に包まれているのに、その表情はどこか飄々としていたのを今でも鮮明に覚えている。

「よろしく、ちゅうや」

きっと医師から聞いていたのであろう、随分と馴れ馴れしく名前を呼ばれて。もうどうにでもなれとその日からひとつ屋根の下、まるできょうだいのように共に過ごし育った。いつだって、一緒に居たのだ。幼いあの日から約十年、恐らく片時も離れずに。両親を亡くした事を漸く理解した時も、手を握り寄り添ってくれたのは紛れもないこの男だった。幼少の戯れ、記憶も薄れているであろうが初めて永遠を誓ったのもこの男だった。ずっと一緒にいようだなんて、今思えばこっ恥ずかしい事この上無い。心の底から信頼し、愛するのもきっとこの先この男が最初で最後なのだと。きっと自分は死ぬまでこの男と寄り添い遂げるのだと。そう、思っていた。思っていたのだ、さっきまでの自分は。だから尚更後悔し、ただひたすらに悔しかった。

「あ」

そう、ただひと言声を漏らす。それはまるで長年の呪いが解けたかのような感覚だった。ごく自然に、その瞬間は突然訪れる。学校からの帰路だった。なんの変哲もない日常だった。何の前触れもなかった。ただこの男と、太宰と他愛の無い会話をしていただけだった。いつも通りだった。

「中也?」

聞き慣れた声音に名前を呼ばれる。出会ってから今の今まで何の変化も無い呼び名だ。なのに今、それは、その声は。一体どちらに語りかけられているのかわからない、わからなくなった。自分の名である事には代わり無いはずなのに、その名は『現在』の自分なのか、はたまた『前世』の自分なのか。今の自分は『女』であるはずなのに、蘇る記憶の自分は『男』の中原中也だ。そして理解するのだ、これが『生まれ変わり』だと云う事を。そして隣のこの男もまた、太宰治の『生まれ変わり』なのだと。いつだったか、自ら傷付こうとする太宰の行動の意味がわからなかった時がある。堪らず腕を掴んで袖を捲り、手首を確認する。巻かれた包帯、見上げれば首にも。それが身体中を埋め尽くしているのを知っているのは紛れもない共に過ごした自分である。嗚呼そうだ、意味なんて理解する必要もない。根本からこの男は、初めから死にたがりだったのだ。かつて双黒と呼ばれた元相棒。当時の自分はマフィアであった。組織の裏切り者、こいつはオレの大嫌いだった青鯖だ。嗚呼そうだ、そうじゃないか。なんで今更、今。…なんでおれは、思い出したんだ。

「…なあ、いつから、」

いつから、手前の記憶は有ったんだよ。いつから、おれがおれだと解ってたんだ。なんでおれはもっと、もっと早く思い出さなかったんだ。なんでおれは、お前を。

「おれは、手前の目に…どう映ってたんだ」

さぞかし愉快だっただろう、滑稽だっただろう。前世の元相棒が今世で女として生きてんだ。弱い自分も曝け出した、笑顔も振り撒いた。そりゃそうだ、添い遂げる覚悟でこちとら手前に接してたんだからな。血の繋がらないきょうだいだった、紛れもなく愛してた。さっきまでは、そう、さっきまでだ。なのになんでこんなに苦しいんだよ、なんで、こんなにもまだ手前を想う自分が居るんだ。前世でおれは男だったんだ、それを思い出したんだ。なのになんで気持ちが変わらないんだよ。手前なんか大嫌いだ、糞太宰。死にたがりの青鯖野郎。きっと自傷癖だと思い込んだ時よりずっと前から手前は手前だったんだろ。多分あの日、出会ったあの瞬間より前から手前には記憶が有ったんだ。だからあんなにも馴れ馴れしくおれの名前を呼んだんだ。あんな飄々とした表情を、年相応とは言い難い風貌で。そんな手前の隣で今の今まで何も知らずに生きてきたおれは、莫迦みたいに『女』として生きてきたんだ。そんなおれを手前は一体、どんな気持ちで。

「どうって…可愛らしくて可憐な女性にしか見えないけれど?」
「…は?」
「それにやっと…私の知る中也になってくれたみたいだから。私に想いを寄せる素敵な女性が目の前に居るのに、心中しないなんて勿体無いと思わない?」

言ったでしょ、君、私と心中してくれる美女を紹介してくれるって。だから永遠を誓ったんだよ、と。太宰はおれの手を取り口付ける。

「君はちゃんと約束通りに、私の目の前に現れてくれた」
「…誰が美女だ、誰が…心中なんかするかよ」
「でも君、私の事好きでしょ?私も中也の事愛してるんだから、心中するほか無いじゃない」

それとも本当に死ぬまで添い遂げてくれるのかい。驚くほど穏やかな声音に、体に熱すら灯らない。ただ嗚呼やっぱりそうなるよな、なんて。こんな結末を望んだ訳じゃないのに。手前は判っていながらそれでもおれと一緒になる事を選ぶんだな。おれの事美女だとか、適当な理由つけやがって。やっぱり何考えてんのか判んねぇよ、太宰。

「『前世』では手前が嫌いで仕方なかったんだけどな」
「なら尚更『今世』で私を好きになればいいだけだ」
「ハッ、それしか無ぇんだろ、どうせ」
「勿論、それしか無いのだよ」

じゃあもう後先なんか知ったこっちゃねぇや。どうせこの死にたがりをどうにか出来るヤツなんておれしか居ないし、今更、コイツ以外の誰かとどうこうなりたいだなんて事も思わない。根本なんて女に生まれ変わったところで何も変わりはしないのはおれも同じだ。今世で再び巡り会ったのがその証拠だろう。おれも手前も死んでも結局同じ場所で生きる事に変わりはない。

「(心中なんて御免だけどな)」

それでいて離れられずにいるのはきっと互いに気狂いしたからなんだろう。何も知らずに誓ったあの頃とは違う、何年か振りに同じことをもう一度。この男と添い遂げて、愛を誓い合う。手前と心中するくらいならいっそ今生くらい添い遂げてやるって半分ヤケになりながら、紛れもない愛の言葉を囁いた。



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