名前を呼んで

仲が良いって云われると、其れほどでもないと思う。顔を逢わせれば喧嘩なんて当たり前だし、何より彼奴が僕を嫌いな事なんて解りきった事であるし。何度も共闘を繰り返す内に出逢った当初よりは幾分も表情が読めるようになったものの、僕と居る時は極って不機嫌でいる事は事実だ。これでよく『双黒』が成り立っているなあと思うのは一度や二度ではない。…尤も、犬猿の仲である嘗ての『双黒』、太宰さんと中原さんには足許にも及ばないのだけど。

「(嗚呼、そう云えば彼奴の名前も知らないんだよなあ)」

出逢って間もない訳でもないのに。彼奴は彼奴で僕の事を未だに「人虎」と呼ぶから。呼び方なんてどうでもいいと思うけど、やっぱりそろそろ「人虎」はやめて欲しい。…最近思うようになったのは、もっと芥川の事が知りたいと云う事。仮にも相棒なんだから、もう少しくらい互いの事を知ってみてもいいんじゃないか、なんて。まあ彼奴に云うまでもなく返答は「必要無い」なんだろうけど。其れ以前に相棒の名前すら知らないなんて、其れこそ問題外だ。太宰さんにでも聞いてみようか?けど態々「芥川の名前って何ですか」って聞くのもまるで仲が悪い事を証明しているようだし、何より太宰さんが面白がるのが目に見えて解る。やっぱり直接本人に聞くのが手っ取り早いかなあ、なんて思うのも束の間に。太宰さんに名を呼ばれて考える事を止めた。



+++



『この人厄介だから気を付けてね』
『何時もは賢治君にやってもらってる依頼なんだけど』
『若しもの時の為に助っ人を呼んであげるから』
『身の危険を感じたら、この名を口にするんだよ』

厄介な人、身の危険。不穏な単語が次々と太宰さんの口から紡がれて、挙げ句助っ人とやらは聞いた事のない人の名前。誰ですか、と聞いても「逢えば解るよ」と愉しげに僕を送り出す太宰さんに一瞬殺意が湧いたのは云うまでもない。国木田さんや中原さんもこんな気持ちなんだろうか、と今更ながら同情心が芽生えてしまう。…依頼人が厄介な人、と云うのも。彼は何度か探偵社に依頼をしてくるらしいのだが直接本人は本社には赴かず、指定された場所に社員が一人依頼を受けに行くといった特殊な遣り方であるらしい。しかも依頼人が毎度指名してくるのが賢治君で、彼の異能を知っても尚二人で密会したがるのだとか。

『其れが賢治君には今日別の仕事を引き受けて貰っていてね、先方には其の事を伝えてあるのだけれどどうやら敦君の事が気になっているみたいなんだよ、だからこの際顔合わせにどうかな?なんて思っちゃって引き受けちゃったウフフ』

……思い出しただけでもイラッとする太宰さんの笑顔は確実に面白がっている其れだった。まるで都合の良い玩具を見つけたかのような…まあ兎に角だ。僕が遣るべき事はさっさと指定された場所に行って、迅速にこの任務を終わらせる事。成し遂げた後の茶漬けはきっと美味しい筈だ、否絶対に。嫌な事は考えずに真っ直ぐに僕は突き進む。指定された場所がなんだ、どうにでもなれ、たかが一寸お高い旅館じゃないか。……………旅館?

「(……太宰さん、これ多分僕じゃ駄目なやつです)」

あと一歩が踏み出せない。サアッと血の気が引く音がした。約束の時刻に遅れる訳にはいかないのに、脚が動いてくれない。嗚呼どうしようか。抑何で旅館なんだろう。依頼人が厄介って若しかして特殊な趣味の人?だから賢治君?賢治君なら何か過ちが起こりそうになっても大丈夫だろうさ、けどこれ僕多分無理だよ異能使ったら依頼人死んじゃうよ…?

「何をしている」
「ひえっ!?、え……なん、で…?」

背後からの声に振り返る。仮にも指名手配犯なんだからもう一寸隠密に現れて呉れないと困るんだけど、何て云ってる場合じゃない。私服に眼鏡なら多分バレないだろう。だから芥川、縋るように、今だけは。

「…ったすけて」

僕の貞操を見守っていて貰おう。



+++



「君に逢えて嬉しいよ、敦君」
「え、いや其の…賢治君じゃなくてすみません」
「いやいや今日は敦君の為に用意した部屋なんだからゆっくりしていきなよ!」

依頼人は陽気なオジさんである。僕の為に用意した一寸お高い旅館の一室は大変広々としており過ごしやすいとは思うのですが僕は早急に帰りとう御座いますので何卒御理解して頂きたく存じ上げます。

「(表で芥川が聞き耳立ててくれてるから過ちは起きないと思うけど…)」

太宰さんが云っていた助っ人とやらと鉢合わせるのだけは避けたいのだがこの際仕方がない。芥川ならきっと上手く遣ってくれる筈だ、多分。其れより先ずはこの人から依頼内容を聞き出さないと。

「あの、じゃあ取り敢えず依頼内容を伺いたいんですけど!」
「えーもう仕事の話?そんな事よりオジさん君の事が知りたいなあ」
「え、いや、あの…?」

そんな事?この人依頼の事そんな事って云った?真逆依頼ってのは口実で本来の目的は僕?だから旅館なの?過ちを実行する為に?嗚呼駄目だ、そんな事は無いだろうって云いきれない事がこんなにも恐ろしい。拳を握り締めると手袋にまで汗が滲むようだ。この状況を打破できる術が、頭が僕には無い。太宰さん、本当に恨みますよ。

「敦君お腹空いてないかい?喉は渇いてる?」
「…あの、やっぱり依頼内容を…」
「そんなのあとあと!オジさん君の為なら何でもしちゃうよ?」

僕の為に、なら早く依頼内容を教えてくださいよ。芥川は表でほくそ笑んでいるんだろうか。憐れだって、所詮人虎には何も出来ないって。きっとそう思っているんだ。助けてなんて痴がましい。こんな事ならいっそ、芥川に助けなんて頼むんじゃなかった。

『身の危険を感じたら、この名を口にするんだよ』

太宰さんの言葉が脳裏に過る。助っ人だなんて、此処には依頼人のオジさんと芥川しか居ないじゃないか。

「(……あれ?)」

依頼人の名ではないのなら、此処には『芥川』しか居ない。……真逆。

「敦君?どうしたの?」
「…………す…」
「え?」

あの人には全部お見通しだったんだろうか。僕と彼奴の仲も、僕の内心も。全部解っていた上で。……なら相当質が悪いなあ、本当に。

「りゅうのすけ」

言葉が、無言の部屋に響く。呼んだ瞬間、依頼人の後ろの障子が勢いよく開いて芥川の姿が現れた。嗚呼何でこんなにも安心するんだろう。芥川が口許に手を充てて咳払いをひとつする。

「な、何だ君は!」
「其れは此方の台詞…貴様、其奴は僕の所有物故、引き取らせて貰う」
「所有物?真逆君、敦君の恋人かあ!」
「……然り、…僕らはこの後逢い引き故、」

あれ、コイツ今サラっと凄い事云った?芥川の威圧に圧された依頼人と芥川を交互に見比べると、不意に芥川と視線が交わる。

「行くぞ、……敦」
「!!」

芥川が放った僕の名に、一瞬にして胸が高鳴る。締め付けられるような、激しい胸の鼓動。感動って云うのかな、芥川から人虎以外呼ばれた事が無いから。嗚呼何だろう、なんだか泣きそうだ。

「…っすみません」

依頼人の横をすり抜けて、芥川の手を取る。これじゃあ本当に逢い引きしに行くみたいじゃないか。



+++



旅館を飛び出した後、芥川と人気の無い広場に着いた。冷静になって気付いたのは、依頼の放棄と芥川の手を握ったままだと云う事。比べる迄もなく依頼の放棄などもっての他、太宰さんに…特に国木田さんにはどう説明すればいいのやら。芥川の手をゆっくりと離す。交わる視線に、芥川は溜め息を吐いた。

「僕の手を煩わせるな」
「えーでもお前、太宰さんに頼まれて来てくれたんだろ?それは感謝するよ」
「……然り、だが彼のような事は聞いておらぬ」

芥川は明らかに不機嫌そうだった。まあ無理もない、太宰さんから何も聞かされていない上に僕と恋人宣言したんだから……って。

「そうだよ…僕ら此れからあの人に恋人同士だって思われ続けるんじゃないか…!」
「貴様が悪い」
「僕は無実!悪いのは太宰さん!……はあ、けどまあ…」

色々遭ったけど全部が悪いってわけじゃない。太宰さんの思惑通りってのが納得いかないけど…、

「…りゅうのすけ」

知りたかった芥川の名前が知れて良かったし、何より今回の事で少し仲良くなれた気がする。癪だけど、太宰さんに感謝しないとな、癪だけど。

「りゅうのすけ、ふふ…りゅうのすけかあ」
「何が可笑しい」
「だって、名前で呼び合えるって…なんかいいなって」

太宰さんが中原さんを名前で呼ぶみたいに、僕だけでもコイツの事を名前で呼べたらなって。芥川は先刻の、きっとあれっきりしか僕の名前を呼んでは呉れないだろうから。

「僕は呼ばぬ」
「解ってるよ、りゅうのすけ」
「……」

若しも芥川が僕の名前を呼んでくれるなら。それは僕らが今よりずっと仲良くなったって云う証拠だろうから。だから今は未だ、

「……貴様、其れほど迄に僕に名を呼ばれたいか」

一寸ずつでも芥川の事を知れたら其れでいいかなって思ったんだけど。

「彼の男が云うような関係に僕らが成るのであれば、呼んでやらん事もない」
「え、それってどう云う…」

芥川の表情で何を考えているのか、幾分か読めるようになった。だから今コイツが何を考えているのかも、何をしたいのかも解ってしまうから。其れ故にまた、胸が高鳴る。芥川が、笑ってる。見た事の無い表情で。

「云ったで有ろう、貴様は僕の所有物だと」

芥川の顔が近い。接吻だ、此れ。 ねぇ太宰さん。貴方はこんな展開まで予想していたんでしょうか。芥川の服の裾を握り締める。くらりと眩暈がした矢先、芥川が僕の名前を呼んだ。



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