言いたくない事
誰にだって言いたくない事のひとつやふたつはあるものだ。例えそれが自分だったとしても例外ではないし、何より他人とわざわざ腹の中を見せあう事すら好ましくないのだから隠し事のひとつやふたつあって何が悪いのか。だからと言ってそれが一体なんだというんだと言われればおしまいだが、ただそれが目の前の同居人であるとなれば話は別。見るからに不機嫌だと言わんばかりに眉間にシワを寄せながら、夕食のシチューをスプーンで口に運ぶ様はまれにみるほど珍しいものだった。

「今日、なんかあっただろ」
「……なんでそう思うんや」
「あからさますぎるんだよ、お前。少しは隠そうとかしないわけ?」

毒を吐くのは仕方がない。それは陽だってわかってはいるんだろうけど、今のコイツには多分言っちゃいけない言葉だった。カシャン、と大袈裟にシチューをたいらげ皿にスプーンを放り投げて舌を打つ。大きな溜め息を吐いてからどんな罵倒で突っ掛かってくるのかと待ち構えていたけれど、その予想は見事に的外れ。言いたくない事のひとつやふたつ、多分今のコイツのそれの前座みたいなそれが口からするりと吐き出される。

「怖い人、だと」
「は?」
「目で射殺されそうだって、言われた」
「誰に」
「職場の女」

わりと有名な中小企業の工場で働く陽は、大学に通うオレとは違いまるで親父のような愚痴を言う。まあ親父から実際に愚痴を話された事はあまり記憶に無いが、雰囲気が似ていた。取引先が、上司が、女が。その中でも上手く回避してきたのであろう女関係の話は、陽の口から聞くのは恐らく初めてであろう。

「俺目付き悪ないよなぁ」
「眼鏡掛けてるからだろ」
「にしたって、目では殺せんよ。むしろそういうんは明帆のが適任」
「おい」
「だって、せやろ」

『人殺しの目』、以前そう言われた記憶がよみがえる。初めて逆上して陽を殴ったあの瞬間。お前に殺されてしまうんじゃないかと、冗談混じりに陽が放った言葉だ。目の前の陽との視線が交わる。オレが『人殺しの目』なのであるのなら、お前はきっと『傍観者の目』なんだろう。いつだって第三者でありたい、面倒事なんてまっぴらだ。お前はいつだってそんな目をしてるから。けどそんなお前だって、お前が言う『人殺しの目』をしている時があるんだぜ。言ってやりたい、けど言わない。俺に関わるなと、全ての人間を拒絶するみたいなオーラは相変わらずなのに。それでも言い寄る女は絶えなくて、モテるってのは厄介なものだろうな。

「…けどそんなんじゃないだろ」
「あん?」
「まだ言ってない事、隠してる事あるだろ」

関わるな、詮索するな。半端な気持ちで俺を誘うなと、まるでそんな態度を取る陽の心情をオレは知らない。お前が何を想い何を考えているのかなんてオレには関係ないのに。どうしてだろうな、お前の事は知りたくて仕様がないんだ。誰にも、藍子にさえ興味を持っていたのかすらあやふやなオレが唯一知りたくなった人物。その証拠に、高校を卒業してからも同居なんてしているんだから疑う余地なんてあるはずがない。家を出て、大学生と社会人になったのにも関わらずに同じ屋根の下。まあ、なかば強引な陽の我儘だった事もあるけれど、断らなかったのはオレだから何も言えない。ただなんとなく、なんとなくだ。これからもずっとコイツとは一緒にいるような気がして。死ぬまで多分変わらないんだって、一緒に生き続けるんだって、そんな気がするから。

「鋭すぎんのも考えもんやな」
「それほどでも」
「はっ、けど言うたら言うたで面倒になるぞ、それでもええんか」
「上等」

勿体振る素振りが、態度が気に食わない。陽はひとつ大きな深呼吸をして、何か覚悟を決めたかのようにオレを見据える。面倒なんてまっぴらだと云うお前の言いたい面倒事なんかオレはまっぴらだ。けど、それでも知りたいから。陽の全部、オレに聞かせろ。自分の隠し事なんかそっちのけにしてどの口が言うんだか。散々焦らして陽が口を開く。透き通るような声に、耳を澄ませる。

「来週から出張なんや」
「知ってる」
「俺は女よりお前がいい」
「……は、」
「面倒な彼女なんか、女なんかいらん。俺はお前がいればそんでええ。……なあ、セックスしようや、明帆」

声が、空気が揺らぐのを止めた。耳を澄ませる、耳を疑う。コイツは今何を口走ったんだろう。まるで他人事のようだった。多分冗談でもないんだろう。その証拠に目が、視線がそうだと訴えていた。口元に描いた弧はまるで自嘲のようで。スプーンを握った手が緩まない程度には自我を保っていられた。陽の目を見つめる。眼鏡の奥、強い意志がまるで炎のようにそこで燃えているみたいだ。オレは咄嗟にどうすればいいのかわからなくて、身動きも出来ないまま黙って汗の滲む手の平でスプーンを握り締めていた。

「……ははっ、悪ぃ、冗談や」

沈黙を破ったあげく冗談だと、陽が嘘をつく。あからさまな嘘で誤魔化そうとする、そんなコイツが許せなかった。酷く苛立つ、無性に。なぜこんなにも苛立つのかわからないけれど、なんとなく、ただなんとなく、このまま冗談にして終わらせてはいけないような気がした。陽が椅子から立ち上がろうとする。空になった食器を持って、この場から逃げようと。言い逃げだ、そんなの。させない、させたくない、ならオレが言うことはひとつしかない。

「陽」
「あ?」
「冗談だって、言うなよ」
「……もうよそうや、その話」
「オレは冗談じゃない……されたんだ、この間」
「は?」
「男に、告白……これ、冗談じゃないから」

誰にだって言いたくない事のひとつやふたつはある。オレだってそうだ、本当は言いたくなんてなかった。陽には、知られたくなかったんだ。だからその言葉を、お前が冗談なんて言うな。運命、必然だったのかもしれない。同時期に増えた選択肢、本気の言葉。答えるのはオレで、避けては通る事の出来ない道。なのにお前が嘘だと言ったらオレは、どうすればいいのかわからなくなるだろ。返事を返さないそれはずっとオレの中で蠢き続けていて。答えはひとつしかなかったから、あとはそれを吐き出すだけでよかったのに。恋人はいない、けどだからといって、付き合ってもいいわけじゃない。最初から断るつもりだったんだ。なのにお前が、そんな事を言うから。断る選択肢にお前が加わって、だったらどうせ付き合うなら、どうせ一緒にいるなら。オレだって、なあ、陽。お前がいい。お前が言った言葉が嘘じゃないってわかっているから、だからそれを嘘だと、冗談だって言うな。オレの言葉だって嘘じゃない、あの人の言葉もきっと嘘じゃない。だから尚更、オレはお前に伝えなくちゃならない。

「……男に告白されたから、俺とセックスしてもいいって?」
「違う、なんでそうなるんだよ」
「ソイツと付き合うから、俺とヤってもいいって事やろ」
「陽」

眉間のシワが一層濃くなった気がする。ガチャン、陽が手に持っていた食器を乱暴にテーブルに置く。苛立つ表情、ああもう多分、大丈夫だ。段々と詰まる距離、顔が次第に近付く。馬鹿だな、オレもお前も。唇が重なる。触れるだけ、ただそれだけなのにとても長いように感じた。キスなんて初めてなわけじゃないのに。ああでも、コイツとは初めてだな、うん。

「……ら」
「え?」
「お前なら、振られても、キスくらいならさせてくれると思った」
「お前オレをなんだと思ってるんだ」
「明帆」
「嘘つき」

陽が目を見開く。けどすぐにオレの言葉を理解したらしく、ゆっくりと手を伸ばしてオレの両頬を包んだ。手の甲に触れる。指に残った傷痕の感触がして、強く、その手を握った。陽、やっぱりお前、馬鹿だよ。こんなオレの為に、こんなにもお前は傷ついて。外側も内側も、傷だらけのくせにもっと傷付こうとしてる。

「何か言う事あるだろ」
「言うたやん、今」
「身体目的かよ、サイテーだな」
「……愛してる」

あげくの果てにオレなんかにそんな言葉、藍子もお前も、オレの何がそんなにいいんだか。わからない、わからない、けど。二人とも多分本気なんだ、本気だったんだ。目を開いたまま、ゆっくりと唇が重なる。舌を交えても、角度を変えても視線は交わったまま。まるで目を逸らすなと、くだらない意地が葛藤しているみたいに目を開く。瞑るな、逸らすな。コイツから目を絶対に離すな。陽の考えている事が痛いほど伝わってくる。さっきまで全然わからなかったのに。いや、わかろうとしていなかっただけなのかもしれない。痛むたびに、コイツには悪い事をしたなあと頭の隅で思った。まだ後悔しているんだろうか、あの日の事を。陽は忘れはしないだろう、けどそのたびに辛そうな表情をするなら見たくはない。

「…射殺されそうだ」
「は?」
「目だよ、今のお前…ヤバい顔してる」

怖い人、陽にそう言った女はきっと見る目がなかったんだろう。こんなにも、コイツの瞳は美しいのに。愛情、嫉妬、困惑、後悔。全部混ざった眼光、オレを射抜く視線。『人殺しの目』、ゾクリと背筋が粟立つ。このままずっと、目を逸らさないで欲しいとさえ思っていた。怖いはずがない、こんな表情をするお前になら、全てを捧げてやろうと。きっとお前だけだよ、こんな事思うのは。あの人じゃ駄目だ、最初からお前だけだった。

「こんな顔にしてんのは誰やと思うてるんや」
「オレだろ」

あとはもう、言葉なんていらない。思えば初めからこうなる運命だったんだ。誰が好き好んで他人との関わりを嫌う者同士が、自立してまで同じ屋根の下で共に暮らそうと思うのか。誰が好き好んで、好きでもない人間とキスなど出来るものか。オレもお前も、結局もう、互いがいないと生きてなど行けないのだ。だからもう、答えはひとつ。陽、オレもお前を愛してるんだよ。



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