義勇軍と隊長と
テントから少し離れた木の陰で。平穏すぎるこの時間帯に少しばかり気を抜いたのが悪かったのか、気配に気付かず突然頭上から声を掛けられてビクリと身体が強張った。急いで顔を上げる。

「っお前…!?」
「やっぱり怪我してる」

呆れと、その上での苦笑。義勇軍隊長のこのウザったいくらいのしつこさには敬意を示してもいいかもしれない。だからといってうざい事に代わりはないのだが。わざわざ気配を消してまで俺に近付く図太さはどうにかしてもらいたいものだ。ほら、と言いながら腕に触れる。

「触るな」
「聞き入れられないな」

煩い、黙れ、俺に触るな。幾度となくこの男に叫び続けた言葉だった。そのたびに気落ちした表情をするのは茶飯事で、なのにそんな事気にもとめずに腕を掴んでくるのも毎度の事だ。しつこくて頑固者でお節介にも程がある、いっそ突き放してしまおうか。

「くっ、離れろ…!」
「っとと…まるで猫だなあ」

へらへらした笑顔が気に食わない。見ているだけで苛々する。そんなに俺が嫌がるのが楽しいのか、悪趣味め。そう思うたびに、俺はこんな男に助けられたのかと落胆するのだ。けどこいつはそんな事微塵も思っていないのだろう。本気で俺を手当てしようとしている、本気で俺を助けようとしている。嘘も偽りもなく、ただ純粋に俺を癒そうとしているのだ。笑わせる、とんだ偽善者め。そんな事俺は求めていないのに、誰が傷を癒せと言った?これでは借りが増えるばかりだ。

「スルスタン、手当てさせろ」
「必要ない、放っておけ」
「そうはいかないな」

いつもならここで引き下がるはずだった。だから「また来る」と言って易々と背を向け去り行く姿も見慣れたものだった。なのに今日に限ってそんな素振りを微塵も見せない目の前の男。いつもと違う対応を疑問に思いながら、こいつは何を考えているのか、どういうつもりなのかを考える。そもそも無理矢理手当てしようとするやつが悪いのだ。掴まれた腕を一瞥し、表情を窺おうと再び顔を上げる。

「…?っおい、お前…!」
「え?」

いい加減腕を離せ、言い掛けた言葉と同時に目に映るそれ。真っ白な、この男が今まさに俺の腕に巻こうとしているものがこいつの首を覆い尽くしていた。

「その首…!」
「ああこれ?フィーナ達にも心配されたけど大したことないよ」

昨日こいつを見た時にはなかったものだ、それにこれと云って大きな戦闘もなかったはず。ならばいつ、こいつはそんな怪我をした?しかも首だけだ、他に怪我は見当たらない。

「…せろ」
「へ?」
「見せろ」

なかば無理矢理奪おうとした、剥ぎ取ってやろうとした。俺の知らない所で、状況で。勝手に怪我をするなと見張ってきたのになんだその有り様は。伸ばした手、なのにそれを掴む寸前にパシリ、と叩き払われる。男が首を押さえていた、真っ赤な顔で。

「い、いいから…っごめん」

焦りと狼狽え、そして羞恥からか。それが怒りのせいじゃないと確信した時、振り払われた手が無性に虚しく思えた。逃げるように去っていく背中、足音。見慣れた姿のはずなのに妙に胸騒ぎがする。振り返ると破壊魔がそこに立っていた。

「あーあ、逃げられてやんの」
「…なんだ、貴様」

気だるそうに去り行く姿を眺めつつ、クツクツと笑い声をあげる破壊魔。何がそんなに可笑しいのかわからない。散々笑ったかと思いきや今度は舌を打ち、我が儘も大概にしろ、と怒気を含ませた声音で呟く。

「我が儘だと?」
「そうだ我が儘だ。差しのべられた手を取ろうともしない、癒しの手すら拒む。目障りなんだよ、正直てめぇみたいな怪我人に戦場を彷徨かれると。邪魔なんだ、虫酸が走る」

挑発的な口調で随分と勝手な言いぐさを言うものだと思う。それに嘲笑うかのように見下げる姿も気に食わない。どの口が、俺を我が儘だと言うんだ。どいつもこいつも、我が儘なのは貴様らだろう。

「貴様の方が我が儘だろうが」
「あ?」

殺気を含む眼差しと、額に浮かぶ青筋。単に俺が気に食わないだけなんだろう、ならばいっそ殺せばいい。そう思い、武器を手に取る。負けるつもりはなかった。

「ふはっ、んなわけあるかよ」

再度息を吐き出したかと思えば歯を剥き出しにして笑う。笑ったり怒ったり、表情の安定しない男だ。

「てめぇの方が我が儘だ」
「貴様いい加減に…」
「いいや、違いねえ」

まだ認めようとしない男に募る怒り。いい加減にしろ、失せろ。言い掛けた言葉は男の言葉に遮られる。

「アレは俺のもんだ」

その言葉で、ようやく全てを理解する。その言葉で、それが警告だと理解する。俺のもの、所有物。誰だって自分のものを勝手に奪われればいい気はしないだろう。俺はそんなつもりはなかった、あの男が勝手に俺に寄ってきたのだ。とばっちり、八つ当たり。こいつの怒気はそれだ。義勇軍の隊長ともあろう者が、こんな破壊魔に飼い慣らされているとは。

「構ってもらいたけりゃ他をあたれ、人のもん欲しがってんじゃねえよ」

いい加減にしろ、失せろ。先程自分が言い掛けた言葉がそっくりそのまま返ってくるような感覚と、むせ返るような嫌悪感。嫌いだ、この男が。本能が、細胞がこの男を拒絶していた。金輪際、仮に仲間と呼ばれる間柄だとしてもこいつとは到底馴れ合いなど不可能だろう。成程、これが嫉妬か。なんて黒くて禍々しいものなんだろう。

「(俺は、あの男に借りを返さなければいけないんだ)」

別に構われたいわけじゃない。助けて貰った恩、それを返し終わったらここからは去るつもりだ。以前あの男は言った、「借りなんて幾らでもつくればいい、仲間なんだから」と。そんな事を言っているからいつまでたっても俺がこの義勇軍から去るが出来ないのだ。甘さを捨てろ、あの男に身を委ねるな。常にそう思っていた、なのに。

『スルスタン』

名前を呼ばれるたびに、触れられるたびにあの男が欲しくなるのだ。だから無理矢理にでも振り払おうとした、だから借りなどこれ以上作りたくもなかった。これはあってはならない感情、恋慕。なのに俺のそんな気も知らずにあの男はずかずかと容赦なく踏み込んでくるのだ。甘い囁き、誘惑。そろそろ感覚が麻痺してきたのかもしれない。こんな風に、あの男には人を惹き付ける力があるのだろう。

「おい、聞いてんのか」

だからこいつもその内の一人に過ぎないのだ。あの男に、引き寄せられた一人に過ぎないのだ。なら、俺にだってその権利はあるはずだ。この破壊魔が云う、あの男を手に入れたという事実。あの男の傍にいれば、そうすればいずれ手に入るかもしれない。恋に修羅場はつきものだ。

「…確かに、我が儘は俺の方だな」

単純で欲望に忠実な破壊魔よりも。俺の方が優れていると知らしめてやろうじゃないか。まずは身を委ね、腕を差し出そう。甘さも借りも関係無い。あの男を欲し、こいつから奪ってやる。それがこれからこの義勇軍にいる為の理由だ。とんだ我が儘だと、破壊魔につられるように今度は俺が笑った。



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