一生慣れるもんか
「エース」

ベッドのスプリングが軋む音と共に、熱の籠った声音で名前を呼ばれる。目の前のそいつの視線が、オレの姿を捕えて離さないのが嫌でもわかるのがなんとなく居心地が悪かった。…熱を含んでオレの名前を呼ぶ事が、いつの間にかこいつが『ソウイウコト』をしたい時の合図になってしまった事もあるせいかもしれない。それは周りに誰もいない二人きり、もしくは同室の他の二人が寝静まった深夜。オレを呼ぶならどっちかにしろ、なんて冗談混じりにそう言ったつもりが単純なこいつは馬鹿正直にオレの言うことを聞くもんだから。高確率で深夜を選ぶしでやっぱり本能で生きてんだなあと身をもって感じるのは今に始まった事じゃない。

「……ん」

わざわざ人のベッドに乗り上げて、こっちは寝てるってのに。今何時だ、なんて時計すら見ないくせにそんな事を内心気にするふりをする。会話は二人が起きるから、短く。そしたらもう言葉なんかいらないってくらいには手慣れた動作でデュースが無言でオレの頬に手を添えた。躊躇いとか一切無しの、触れるだけのキス。まあ、そこで終われば苦労はしないし冗談で済んだんだろう。

「(飽きねぇよなあ…)」

人の事は言えないけど。キスの合間、離れるのと同時に唇を舌がなぞる。痺れる感覚につい口を開けば舌を捩じ込んまれて。静かな部屋に異様に響く唾液の混ざる音と無意識に荒くなる息。バレない方がおかしいんだよな、そんな事を思いながら絡まる舌に意識を集中させた。上昇する体温と眩暈のするような感覚にもどかしさを感じる。それはいつもの事だった。



+++



「__え、お前あの映画観た事ねぇの?有名じゃん」

結構王道な、誰もが一度くらいは観た事のある映画の話をし出したのはオレだった。ふと脳裏に思い浮かんだ名シーンは今思い出しただけでも興奮するようなアクション映画、なのだが。

「いや、その…」

もごもごとどもりながらばつが悪そうに目を泳がせて、唸り声をあげたかと思いきや落胆して肩を落とす。自称優等生だが仮にも元ヤンがあの映画に魅了されないわけがない。何か特別な理由でもあるんだろうか?とか思っているうちに開いた口からは意外な一言で。

「…き、キスシーンがあるから…」
「は?」
「あまり得意じゃないんだ…」

得意とか得意じゃないんだとかそれ以前にだ。今時そんなシーン無い方が珍しいだろ。それこそオレとしてはあるから何?って感じで、けどこいつにとっては大層重要な案件……て、いやいや純情乙女ですら憧れるようなもんよ?どんだけピュアなんだよ。笑い話通り越して憐れだわ、うん。同情する。

「な、なんだよ…笑うな!」
「いや笑う以前の問題だろお前」
「そんなにか…?」
「そんなにだよ」

まあ誰だって苦手なものがひとつやふたつあったっていいだろ、なんて言ってる場合じゃない。健全でお年頃な男子校生がキスシーンのひとつ見れないとか舐められて当然だろ。興味無かったのか?単純に機会が無かったとか?ヤンキーの世界観なんか知らねぇし知りたくもねぇけどちょっとこれはからかうのも躊躇うくらいには可哀想だ。どうすっかな。軽く頭を悩ませて、ああそうだ、とひらめく。

「オレが耐性つけさしてやろーか?」

貸しをつくる絶好の機会、逃すには惜しい状況。内容も内容だしオレ以外に頼めるやつもいないだろうし、いやこのまま放っておいても頼みそうもないしな。変な方向で気合いだとか根性だとか言われても困るし…この脳筋め。なら貸しのひとつくらいつくっても、なんて。

「ま、オレに任せればお前だってすぐ「本当か!?」

思ったら、予想以上にえらく食いぎみに眼前に迫るもんだから思わず身を引いた。いやそんなに乗り気で来られても困るんだけど、びっくりだわ。…まあ兄弟いないんだっけか、オレには兄貴がいたしな。隠れてコソコソする…余裕があったら峠攻めてるよなこいつ。やっぱ機会が無かっただけか。適当にエロ本見せ…って寮にそんな物あったら首撥ねられてるっつの。オレに任せろなんて言っておきながらオカズが無いんじゃどうしようもない。どうすっかな。そもそもキスシーンが苦手なんだよな、なら…いや、でも。

「…あー…デュースお前さ、」
「なんだ?」
「……オレとキス出来る?」

効率としてはこれが一番手っ取り早い、んだけど。それ以前に男同士だし、いや言っておいてなんだがこれは無いだろ。キスシーンに慣れる為に男同士でキスするとか何言ってんだオレ。あまりの衝撃にネジぶっ飛んだかな…まあ今なら冗談だ、って言っても、

「出来る」

セーフだろ、て。…予想の斜め上の返答に思考が停止する。オレの聞き違いじゃないのか、とか思ってるうちに両肩を掴まれて痛みに顔を歪める。

「わ、悪い!加減がわからなくて」
「っただでさえ馬鹿力なんだから気をつけろって、そんなんじゃ女子ともまともにキス出来ねーよ?」
「だ、だからお前が慣れさせてくれるんじゃないのか?!」
「いやそうだけど!」

そうだけど、こんなつもりじゃなかった。やるなら別の方法だって探せばあったはずなのに。今更後にも引けないわこいつはこんなだしで、貸しをつくるつもりが流されてるのは結局オレじゃん。映画の話はどこへやら、たかがキスくらいでこんな事になるなんて思いもしなかった。

「…で、どうすればいい?」
「どうすればって…」

キスしたらいいんだろ?見るのとやるのじゃわけが違う、まさかこんな状況でファーストキスの相手がデュースになるなんて。いや、今ならまだ後戻り出来んじゃね?なんてのは一瞬、歯と歯がぶつかる音と痛みに目を瞑る。まだなんの心の準備も出来てないのに勢いでキスしようとすんな。

「痛ってぇ!」
「わ、悪い加減が「加減の問題じゃねーから!!」

こいつ勢いで生きすぎだろ、せっかちにもほどがある。あーほらみろ、唇切ってんじゃん…血出てるし。

「唇切ってる」
「え?ああ…」

ぺろり、と慣れたように唇を舐めるデュース。痛くねぇの?なんて聞いたら「殴られた時よりマシだ」とか返ってきて拍子抜けした。オレ的には痛いのより気持ちいい方がいいんだけど。まあキスが気持ちいいなんてわかんねぇよな、相手デュースだし。

「焦んなよ」
「わ、わかってる…」
「お前もう何もすんな、オレからすっから」

こういうのは勢いだ勢い、じゃなくて。んな事したらこいつの二の舞になんじゃん…やっぱオレも緊張してるみたいだ。気を取り直して、さっきの事故のおかげで躊躇うのとかはあんましねーかな、うん。嫌悪感無いのが自分でも驚いてんだ、逆に心臓の鼓動がうるさいくらいで。

「…目、とじろよ」
「ああ、どんと来い!」
「なんだそりゃ」

変なところで潔いよな、お前。オレら付き合ってるわけでもないのに。いやそれ以前に男同士だっての!これ以上こんな状態続けてたら雰囲気に飲まれておかしくなりそうだ。デュースの肩を掴んで息を吐く。ゆっくり顔を近づけた。

「(…少しくらい警戒してくれりゃいいのに)」

信用しきっちゃってまあ、オレがキスしないで逃げるとか思わねーの?馬鹿正直に目瞑って、受け入れて。案外やわらかい、とか堪能してるオレもオレだけど。…お前だから。

「(お前だから、平気なんだ)」

ああ、オレも結構単純かも。心臓の鼓動が、脳に直接響くくらいに激しくて。肩を掴んだ手に力が入って震える。こんな事で自覚なんてしたくなかった。…好きかも?なんてな。きっと麻痺してるんだ、浮かれてる。一回限りなんて、嫌だ、嫌だ?何言ってんだろ。

「っ…どーよ」
「……い、」
「へ?」

一回だけじゃ、慣れそうもない。熱に浮かされてそう聞こえた気がする。空耳、だったらこんな表情してない。デュースの顔が、赤かった。多分オレもそうだけど。



+++



そのまま流され成り行きで、今の状態がこんな感じ。デュースは見事キスを克服したようで、今では合間に舌を捩じ込んでくる始末だ。

「(いやでも慣れすぎっしょ)」

そんなオレだってデュースほどではないが慣れたんだ、けど。キスのついでに力加減もタイミングも覚えたこいつに壊れ物みたいに扱われるオレの気持ちなんか誰も知らない。やたら優しい手付きなのが余計に期待しちまって、もしかしたらキスの先も…なんて思い初めている辺り幾分か余裕はあるしやっぱ物足りないもんは足りない。

「(だから付き合ってないんだっての)」

硬派なこいつが付き合ってないやつとそんな事するわけがない(キスはしてるけど)。ていうかキスが苦手だってのにその先なんか無理じゃん。期待するだけ無駄、だけど。…仕掛けるくらいなら、なあ?

「!?エっんむ」
「(うるさい)」

強引に口を塞いだ、他の二人が起きたらどうすんだよ。デュースの慌てた顔を見ながら、ヤツの股間を弄る。前々から苦しそうだなとは思ってたんだ。いつもキスしながら、我慢してんの?なんてそんな事聞けるはずもなくて。横目でそわそわしながら眺めてたんだけど。…ズボン越しに触っただけでさっきより荒くなる息に、内心緊張しながらも胸が高鳴る。抵抗もしなけりゃ体を離したりもしない。キスしたまんま、無抵抗でデュースはオレにされるがまま。それに気を良くして、調子に乗るのがオレの悪い癖。そのままズボンどころか下着に手を突っ込んで、中のソレに直に触れた。熱いなあ、こんなのいれたらどうなっちゃうんだろうな。ゆっくりと目を開く。目前にはデュースのなんともいえない余裕なさげな顔。目が合うと、あ、無理だ、て思った。

「(あ、やば、好き)」

好き、とか。急に絡めた舌の感触が鮮明になる。気持ちいいなんてわからない、そんな事を思っていたのは最初だけだ。歯列をなぞる、他人の舌がこんなに気持ちいいなんて知らなかった。漏れる声に我慢しなきゃって思うのに。手、離さなきゃって思うのに。それをしないのは、出来ないのは。オレがデュースを好きだから。きゅぅ、と胸が締め付けられるような痛み。これが恋患いなのかもしれない。唇同士が離れる。離したのはデュースだ、名残惜しいな。そんな事思うのも束の間に抱きしめられる。力加減覚えたんじゃなかったの、なあ、痛ぇんだけど。

「大事に、する、から」

耳元で、囁くように。熱い息がかかると体が震えた。抱きしめられる苦しさですら心地いい気がする。静かにゆっくりと押し倒されて、余裕ない表情で見下ろされるのも悪くないな、なんて思った。





「好きだ」
「え、遅くない?」

身体中好き勝手した後に告白て(まあ最後までしてないんだけど)。触るだけ、なのに全身舐め回された気分だし(実際そうだった気もする)。もしこれでオレが振ったらお前どうなすんの?

「だ、駄目か…?」
「いやあんだけ許して駄目とかただのセフレじゃん」
「せ?」
「あーもーなんなのお前」

結局、他の二人には多分バレたんだよな…そそくさと部屋出てったし。てか同じベッドにいる時点でバレるも何もないんだよ、お前わかってる?ま、これでコソコソする必要も無くなったわけだ。二人には迷惑かけるだろうけど、堂々としてりゃそのうち慣れるだろ。…何より同じベッドで朝を迎えられるんだ。ちょうど今は二人きり。二人が戻ってきたら見せつけてやればいいんだよ。お前はバレてるなんて微塵も思ってないんだろ?

「オレも、デュースが好き」

照れた表情が愛しくて。思わず首に腕を回してキスをする。キスなんかとっくに慣れたのに、こんなにドキドキするのはお前が好きだから。大事にしてくれんだろ、デュース君。そう言って、笑った。



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