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「私結婚するんだ」


ナイフを構えた少女は、標識を掲げた男に向かって言葉を吐く。


「あ?」


一瞬何を言われたのかが理解出来ない男は、不機嫌剥き出しの表情で眉根に皺を寄せた。


「結婚するんだ」


再び同じ言葉を吐く少女、臨也は、不適な笑みを浮かべる。
それを見て、眉根に更に深い皺が刻まれる男は、静雄であった。


「…手前がか?」


コクリと頷く臨也を確認すると、静雄は深い息を吐き出して持っていた標識を手放す。カラン、と音がして、それは路地に転がった。


「物好きな奴がいたもんだな」


胸ポケットから煙草を取り出し、静雄はそれをくわえる。
そんな様子を窺いながら、臨也は言葉を紡いだ。


「ふふ…だからね、もう、池袋には来ないよ」


嬉しいでしょ、と言う臨也にそうだな、と返す静雄。
静雄が煙を吐く音だけが、路地によく響いた。


「まあ…その、あれだ」
「?」
「…幸せに、なれよ」


サングラス越しに目が合うと、臨也は驚愕したように目を見開いた。
カシャン、と音がして、ナイフが地面に叩き付けられる。


「…シズちゃんは、それでいいの?」
「…あん?」
「私が、どこの誰かもわからない奴のところに、お嫁に行っちゃっても…」


グッと拳を握り絞めて、うつ向く臨也。


「…ああ」


どこか呆けたように、煙草の煙を吐く静雄。
地面に吸い殻を落とし、足でそれを踏み消すと、ゆっくりと臨也に近づいた。


「来ないでよ」


言いながらも、うつ向いたままの臨也はその場から一向に動こうとはしない。
歩みを止める事もなく、静雄はそんな臨也の目前で足を止めた。


「おい」
「うるさい、馬鹿、帰れ、単細胞、死ね」
「馬鹿は手前だろ、テンパんな」


溜め息を吐いて、静雄は呟く。


「なあ」
「うるさい」
「怒んなよ、わかってんだろ、」


今日が何の日か。
一年に一度、嘘をついてもいい日。
静雄も臨也も、最初からわかっていた事だった。
だからけしかけたのは臨也の方。
それに便乗したのは静雄の方である。
そのはずなのに。


「騙されて怒んのは違反だろ」
「…わかってる」

「じゃあなんで手前は怒ってんだよ」
「…だって」


未だにうつ向いたままの臨也の顔を静雄は両手で挟み、上へと向かせる。
その両目は赤く染まり、目元は涙で潤んでいた。


「…なに泣いてんだよ」


呆れながら、そんな臨也の目元を親指で優しく拭う静雄。
それでも流れ出る涙は止まらない。


「だって、シズちゃんの口から、聴きたくなかった…っ」


鼻をすすりながら、臨也は静雄を見上げる。
静雄が頬を撫でると、視界が余計に滲んだ。


「嘘でもいいから、行くなって、言って欲しかったのにっ…」
「…馬鹿だろ、お前」


溜め息混じりに呟いて、臨也の身体を抱き寄せる静雄。
ぎゅう、と抱きしめると、臨也も静雄の背に手を回した。


「全部嘘なのになあ?」
「うぇっく、だってぇ…」
「今日はそういう日だろーが、あとなあ…」


臨也の耳元に唇を近付けて、静雄は囁く。


「手前はどこに行っても幸せにはなれねぇよ、」


そしてゆっくりと優しく、臨也の頭を撫でた。何度も何度も、安心させるかのように。


「手前が幸せになれんのは、俺んとこしかねぇからな」
「…ぅん」
「結婚なんてさせねぇし、祝ってもやんねぇ」
「…ぅん」
「どこにも行かせねぇから」


抱き合った身体を離すと、臨也の瞳に涙は無かった。
かわりに赤く痛々しくなった目元があり、静雄は再び臨也を抱きしめたい衝動に駆られる。


「ねぇ、シズちゃん」


今のは全部嘘?と唐突に問う臨也。
少し不安が感じられるその表情は、どこか儚げで。


「…わかってんだろ?」


そんな臨也をやはり手放せそうにないと確信し、静雄は苦笑する。
そして抱きしめるかわりに、その唇にゆっくりと口付けた。





嘘であっても





(幸せに、なんて聴きたくない)


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