01



  僕は一度だけ、その女性に出会ったことがあります。正しくは少女、でしたが。僕がまだ幼い頃のことです。


  ああそうだよ、この家の主は僕だ。 そして寂しいことにこの家にいるのは私一人。こんなに広いのにね、住人はたったひとりなんだよ。
  少女はそう言い、にやりと笑ったのです。唇の端っこから犬歯が覗きます。少女の見た目は10台後半に差し掛かったくらいで若々しかったのですが、今思えばその笑みはとても若い女性のものには見えません。子供心にそれを感じたのか、僕は違和感のようなものを感じたことを覚えています。
「――で、なんだい?」
「え?」
「聞きたいことがあるんだろ。わざわざ君はここを、私を探しに来たんだし」
  頬杖をついた彼女はそのまま僕を見つめました。いや、見つめるというか、顔をこちらに向けたまま一切逸らさない、という表現の方が正しいでしょう。
  彼女の双眼があるはずの場所、そこにはぐるぐると包帯が巻かれていました。
「じゃあ、えっと・・・・・・あっ、なに聞いても怒らない?」
「もちろん。年齢を聞いたって怒らないよ」
  少女は楽しそうでした。僕をからかっていたのかもしれません。普段ならムッとしていたのかもしれませんが、僕としては萎縮してどころではなかったのです。
「君って、魔女なの?」
  その問いに、彼女はきょとんとした顔をしました。
  魔女、という言葉は今や使われることはなくなりました。そんなものはいないと、そう考えられたためでしょう。ですがこの時は当たり前のように、人々の間で囁かれた言葉だったのです。
  母は僕に言いました。東の森には魔女が住んでいる。恐ろしいから入ってはいけないよと。正確には東の森を抜けた先にある小さな丘に建つ、大きな屋敷に住んでいたわけですが、まあ同じようなものでしょう。その東の森の魔女を恐れる人々はとても聡明でした。森に入って退治しよう、と言い出す人はおらず、その存在をむやみに口に出したりしませんでした。触らぬ神に祟りなし、それを分かっていたのです。ですが時折、愚かな人間は現れます。肝試しをするように、はたまた自分は大丈夫という自尊心の元に、森に入る者です。僕もその一人でした。肝試しと好奇心の元、森を抜け、屋敷の扉をノックしました。そうしたら、少女が現れたのです。彼女は慣れた様子で、「やあはじめまして」と笑いました。今考えればなんとも無知なことですが、僕は小さなナイフを持って来ていたので、いざとなったらこれで反撃しようと考えて彼女の家へと踏み込んでしまいました。結果、先程の質問へと還るわけです。
「君って、魔女なの?」
  その問いに、彼女はきょとんとした顔をしました。やがて肩を震わせて笑いはじめました。緊張し、真剣に質問した僕はさすがにむくれました。馬鹿にされている気分になりました。
「質問に答えてよ」
「ああ、ごめんごめん。いや、君は勇気があるね。いきなりそんなことを聞いてくる人は今までいなかったよ」
  少女は笑いを収めると、きちんと問いに答えました。
「そうだな、あなたたちが僕を魔女と言うなら仕方ない。でもね、あたしは変身できないし、使い魔も飼ってないし、何か恐ろしい魔法が使える訳でも無い。それに、万病を治す秘薬の作り方だって知らないよ」
  その回答に、僕はいささかがっかりしました。それでは彼女はただの人間ではないかと。しかし僕はどうにも諦めきれず、何かあるはずだと勘ぐりました。
「でもお姉さん。『ひのないところにけむりはたたず』って言うよ」
「お姉さん? 私はリツだよ。それにしても君はそんな難しい言葉よく知ってるね」
  その時やっと、少女の名前を聞いていなかったことに気がつきました。緊張し過ぎていたのかもしれません。
「リツ・・・・・・思ったより普通の名前」
「君はあたしを何にしたて上げたいんだい・・・・・・」
  呆れたような言葉。でもその口元は相変わらず笑みを浮かべたままでした。僕はさっきからずっと気になっていたことを聞くことにしました。目の包帯のことです。
「その目の包帯なに?」
「うん? やっぱり気になるんだね。これは目を隠すものだよ、もちろん」
「でもそれじゃ見えないでしょ」
「はは、いいんだよ。元から盲目なんだから」
  その言葉に息が詰まりました。さらりと言われたもので、心の準備が整っていませんでしたから。そしてとんでもないことを聞いてしまったと思いました。リツは気を悪くしたかもしれないと身を固くしました。
  しかし、彼女は何でもないように続けます。
「見えないということは目の周りに傷ややけど跡とかがあるかもしれない。それを見たらみんな嫌な気分になるだろうしねえ、とりあえず巻いたってそれだけだよ。――君、別にそんなに身を固くすることじゃないんだけど。年齢を聞いたって怒らないよって言ったでしょう」
  しょぼくれた僕を馬鹿にしたのか、その様子が面白かったのかわかりませんが、言葉の後、彼女はまた笑い出しました。小さな子供というものが面白かったのかもしれません。子供を慰めるのには強すぎるのではないかというくらいの力で、頭を撫でられました。
「・・・・・・本当になんでも聞いていいの?」
「おばさんって言われたって怒らないよ」
「じゃあ、じゃあさ、腕とかの包帯はなに?」
  その時はもう、どんな返答が返って来ても驚かないつもりでいました。まさか盲目以上の驚きは来ないと思ったのです。しかし、彼女の回答は予想の斜め上でした。
「秘密」
  僕は結局驚きました。同時に落胆しました。リツはなんでも答えてくれると信じていたからです。
「なんで」
「だって、答えを聞いたらあなたはきっとびっくりするよ。失神しちゃうかも」
  そんな秘密なら、余計に知りたくなるのが子供です。ですが、彼女は絶対に答えてくれませんでした。笑って首を振るだけです。そのうち、僕は悲しくなって、「帰る」と椅子から立ち上がりました。
「楽しかったよ。それじゃあね」
  リツはひらひらと手を振りました。そこでふと、僕は最後の質問に思い当たりました。
「リツって何歳なの?」
「女の子には滅多に聞いたらダメだよ。私はいいけど」
  そうやって言った後、リツは、どう見たって少女の姿をした彼女は答えました。
「多分、百年とちょっと」
  にわかには信じられませんでした。また僕をおちょくっているんだと思いました。しかし、リツはいつまで待っても「嘘だよ」とは言いませんでした。僕は悲しくなって、今度こそ別れの挨拶をして、屋敷を後にしました。
  そこからは、薄暗い森の中を駆け抜け、見知った街へと出ました。いつも通り家へ帰り、いつも通りただいまをして、夕飯を食べ、家族とおしゃべりをし、眠りにつきました。あの屋敷に行ったことは、街の人たちにはばれませんでした。
  それから数十年の間、あの出来事を忘れることはありませんでした。あまりに強烈な体験だったからでしょうか。森へ行ったことも何度かありましたが、一度も屋敷にはたどり着けませんでした。
  僕は今年で75歳になりました。あの少女は80歳を超えているはずです。もう亡くなっているか、どこか別の場所に移り住んでいると考えるのが妥当なのでしょう。

  ですが僕には、彼女は未だ、あの屋敷でひっそりと暮らしているように思えてならないのです。






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