彼の怒りと彼女の嘆き
暇だわ、と彼女が言った。その一言に紅茶を注ぐ手を止め、主の様子を窺う。
ここ最近機嫌が悪いようで愚痴ばかりを零す。そんなシャンディーヌを知ってか知らずか、使用人達は彼女を避けていた。召使である恭夜もまた、その理由を聞き出そうとはせず知らないふりを決め込んだ。それが彼女のためであるし、大きなお世話だと言われればそれまでだからだ。元々口数の少ない恭夜であるから、王女にも指摘されることはなかった。
「暇だわ。恭夜、何か面白みのある話をしなさい」
それが今日、無理難題を突き付けてきた。彼女を楽しませるほどの話術が自分にあるとは到底思えない。それはシャンディーヌも分かっていることだろう。それでも彼女は眉間の皺を濃くしたまま恭夜を見つめている。
しばらく呆然と彼女を見ていた恭夜だったが、何を思ったのかシャンディーヌへと近付き跪ずく。そしてその白く透けるような肌を持つ足を取り、そっと口付けた。
「っ!?」 「……王女は分かっておられない。そんな格好で男の前へ出るなど……」 「貴方に関係ないわ! …………いつまで触っているつもり、早く離しなさい!」
恭夜の顔を蹴り上げる。そう強く蹴ったわけではないが、これは怒ってもいいくらいの仕打ちだ。
それなのに、彼は怒るどころか笑っている。それが腹立たしくて仕方がなかった。
「どうして怒らないのよ!?」 「王女……?」 「どいつもこいつも腹が立つわ……! 私の顔色ばかりを窺って、機嫌が悪いと分かれば離れていく……恭夜だって同じ、私の言うことをただ利くだけで何をされても怒らない。私のことなんて……!」
見下ろした恭夜の表情は曇っていた。珍しく吊り上がった瞳が彼の心情をよく表している。彼は苛立っているのだろう。
「私のことなんて、なんです?」 「だからお前は私を……!」 「持て余していると? 面倒だと思っていると? ……馬鹿にしないでください」
忍ばせておいた短剣を取り出し、自らの喉元へ突き付ける。その瞳は冗談など映していない。
「僕は貴女のために生きると決めた。貴女が傍にいろと言えば何をも捨ててお傍にまいります。貴女が邪魔だと言えば二度と姿を現さない」
王女が消えろと言うのなら。
「僕は、今すぐこの喉を切り裂き自害するでしょう」
彼の命は王女のためにある。王女の望みならば、命すら惜しくはない。
「僕は貴女のためだけに存在しています。だから……そんなこと、言わないでください」
失礼しますと一礼し、部屋を出ていく。恭夜の出ていった扉を見つめた後、視線を下へ落とした。今まで恭夜が握っていた短剣が転がっている。これで彼は自分の命を奪おうとした。シャンディーヌのたった一言で。
「こんなことで怒るのね」
短剣を広い抱きしめるシャンディーヌの口は、いつの間にか弧を描き満足そうに息を吐いた。
某交流サイトにて緋紅月様にリクエストしていただいたものです。 シャンディーヌさん、恭夜さんをお借りしました。 いつも書いている狂愛とは少し違ったものが書けたのではないかなと思います。 お二人は主従関係にあったのでその関係を壊すことなく冷静に、と考えた結果 『少しの怒り』を『狂う』と置き換えました。 主従で従者の方が怒りを見せることは珍しいことなのかなと思ったので! 緋紅月様、リクエストありがとうございました!
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