元気爆発薬
「ソフィア、今日はまだ起きてこねぇな」
「また徹夜でもしたんだろ。飲み終わったら、起こしに行ってくるよい」
サッチが朝の一仕事を終えて、自分の分の朝食を食べる時間になってもソフィアが起きてこない。食後のコーヒーを片手にやれやれと軽く息をつく。いつもなら、隣で紅茶を嗜んでいるはずなのに、今日はまだその姿を見ていない。
まあ、どうせソフィアのことだから、また徹夜で研究でもしていたんだろう。夢中になると、気がついたら夜が明けてることがある、なんて前に言っていた。仕方ねぇから、起こしに行ってやろう。
「よし、じゃあ任せたダーリン」
「お前にダーリンなんて呼ばれたくねぇよい」
それはソフィアにだけ許している呼び方だ。気色悪ぃ、と悪態をつけばサッチは愉快そうにけらけら笑った。からかいやがって、ムカつく。
ーーーーー
「ソフィア、起きてるか」
とんとん、と軽いノックに返事はないが、ばたん、と中で大きな音がした。ソフィアの部屋は物が多いから、何かにぶつかったんだろう。
心配になってドアを開けようと手をかけるが、開かない。珍しく鍵がかかっている。
「おい、ソフィア。開けてくれよい」
「今はちょっと無理! 何もないから大丈夫よ!」
…大丈夫なら開けろよい。絶対なにかあるだろ。少し慌てたような声音は何かを隠しているのが丸わかりだ。
ソフィアは元々隠し事が上手いタイプだが、最近はどうにも分かりやすい反応を返すようになった。恋人相手に気が緩んでいる。そんな嬉しい理由だろう。まあ、だからって追求を辞めてやるつもりはない。
「何もねぇわけねぇだろ、開けろ」
「あるといえばあるんだけど、大したことじゃないから嫌。3時間くらいで治るから放っておいて」
やっぱりあるんじゃねぇか。部屋から出られない理由なんて碌なもんじゃない。
ダメだ開けろ、と少し強めにドアを叩くが、ソフィアはぜったい嫌、と頑なに繰り返した。
「…素直にここを開けるのと、蹴やぶられるのと、どっちがいいか選ばせてやるよい」
「それ選択肢になってない」
ドアの向こうから大きなため息が聞こえる。酷い人、と悪態をついたソフィアはようやく諦めたのか鍵を開けてくれた。
少し強引だったが仕方ない。ソフィアの『大丈夫』はあてにならないから。
「入ってもいいけど、絶対に笑わないって約束して」
「…どういう状況なんだよい、そりゃ」
いいから、と扉を抑えて念押しする声にとりあえず約束する、と了承を返す。笑わないでくれ、なんてやっぱりソフィアの『大丈夫』はあてにならない。
ようやく踏み込んだ部屋の中は相変わらず不思議なもので散らかっている。その中でソフィアはとうしてかローブのフードを被ったままだった。
「マルコってたまにものすごく強引」
「そりゃ悪かった。でも、お前が心配だったんだから許せよい」
で、なにがあった? と問えばソフィアはようやく観念したのか分厚いフードを脱いだ。
透き通るような肌がいつもと違って真っ赤に染まっている。熱に浮かされたような目は潤んでいて、いつもより色っぽく見える、はずだ。それだけなら。
なるほど、これは確かに『笑わないで』だ。約束を破るわけにもいかず、必死に笑いを堪える。なにがどう作用しているのかは知らないが、人間の耳から煙が出ているのははじめて見た。
「ちょっと風邪をひいたみたいだから薬を飲んだの。『元気爆発薬』をね。これはその副作用」
よく効く風邪薬なんだけど、体温が上がるから耳からしばらく煙が出続けるの、と訳の分からない現状を説明してソフィアはぱたぱたと手のひらで顔を扇いだ。顔に熱が集まっているから、真っ赤に染まっているらしい。納得はした。したが、色々と言いたいことがある。
「…お前もうちょっとおれを頼れよい」
ソフィアはそうやってすぐに一人でなんとかしようとする。上手く人を頼れない不器用さは、頼りになる大人が少ない中で育ったからなんだろう。
おれも人のことは言えねぇが、せめて恋人くらいは頼ってほしい。体調が悪かったなら尚更に。
「それくらい、ちゃんと分かってる。でも今回は本当に軽い風邪だったから」
「本当だろうねい」
「本当よ。『元気爆発薬』でも治らなかったら、マルコを頼ろうと思ってた」
おれが疑うような目をしていたからか、ソフィアは念を押すように本当だからね、と繰り返した。それならまあ、許してやろう。一人では対処できない時、本当に困った時におれを頼ってくれるなら。
「ならいいよい。とりあえず、その愉快な状態がおさまったら医務室な」
「…愉快だとは思ってるのね」
「笑ってねぇから許せよい」
真面目な話しをしていても、ソフィアの耳からは細く煙が出続けている。エースやサッチが見たら大笑いしていただろう。あとイゾウ。あいつは以外とツボが浅い。
その点、おれは最初の約束の通り、愉快だとは思っても笑わないでいるのだ。褒めてくれても良いと思う。
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