※王様忌小説
君のいた世界
目覚まし時計よりも随分早くに目が覚めた。カーテン越しに外がうっすら明るい。のそりと緩慢な動きでベッドから起き上がると、窓からカーテンを取り払う。
紺と橙の狭間に、宵の星。
彼の好きな、暁の空だった。
パジャマを脱ぎ棄てて手近にあった制服に袖を通す。その上からマフラーを緩く巻いて、そっと家を出た。階段を下りる途中ではちあわせたじーちゃんに一言告げておいたから、後でママに心配されることはないだろう。
寝間着姿のじーちゃんは、歳のせいか、この時間帯の眠りは浅いのだと言っていた。
店の扉が閉まる音が朝の大気にとける。まだ薄暗い町は静寂に包まれて、漂う空気は少し冷たい。
深呼吸をする。橙色の朝日が家々の間から零れるのを見て、閑寂な町へと足を踏み出した。
特に行くあてがあるわけではなかった。ただなんとなく、思いつくままにふらふらと、放浪するように道を進む。
登下校で使うバス停までの道のりをのろのろと歩き、その途中にある公園に立ち寄る。そこでなんとなしにブランコに座ってみて、それからバスに乗って商店街前のバス停で降りた。通いなれたカード屋でパックを眺めて、結局何も買わずに、次は寄り道の定番のゲームセンターに入る。いくつもの音楽が行きかう店内をぐるりと一周してみて、特にやりたいゲームもなかったから、そのままバーガーワールドに行って、メニューもろくに見ずにいつも注文するバーガーセットを頼んで食べた。店を出て、商店街の狭い路地に入りこむ。人が一人通るのがやっとなその狭い道の先に、ポップ体で「GAME」と書かれた看板を見つけて、そのゲーム屋の戸を押した。学校にも行った。屋上のフェンスから、運動部の掛け声が響くグラウンドを眺めて、そして。
いつしかボクは、町を一望できる丘の上に立っていた。
まぶしい夕日色に、視界のありとあらゆるものが染められる。
それと同じ色を透かした君を、覚えている。夕焼けを飲み込んだ、いつもより淡い色を湛えたその瞳で振り向いて、やさしくボクを呼んだ君。
町は、そんな君で溢れていた。
バス停へ向かう歩道は、いつも他愛のない話をした。近所の公園のブランコは彼のお気に入り。行きつけのカードショップの店長は僕らのファンだと言って、その時たまたま表に出ていた彼と記念写真を撮っていた。バーガーワールドでは、ハンバーガーセットをよく半分こして食べた。裏路地のゲーム屋は、二人で迷った時にたまたま見つけた穴場の店。学校では、彼はよく屋上に上がって、外を眺めていた。
町は君でいっぱいだった。君との記憶でいっぱいだった。…胸が、いっぱいになった。
ボクは彼が好きだった。
いつも前を向いている横顔が。凛とした視線が。まっすぐな言葉が。やさしい瞳が。
好きだった。ずっと、好きだった。
君がいなくなって、今更なのに、そんな君への想いがとめどなく溢れて、零れて。
胸が、痛い。
ぐ、と唇を噛みしめる。こんなことなら、もっと早くこの想いに気付いていたら、伝えていたら、なんて。
「…もう一人のボク…」
「……遊戯?」
「!」
懐かしい呼び名で彼を呼んだ刹那。その呟きに応答するような、声。
振り返ると、夕日に焼けた黄金色が立っていた。
「…城之内、くん」
見開いたブラウンの瞳は僕を見て、ほんの少し、ほんの少しだけ、寂しそうに笑った。
それからボクらは、言葉を交わすこともなく、ただ沈んでゆく太陽を見つめた。
視界の端で、隣の金髪が揺れている。
それに誘われて、視線だけで黄金色を追った。前に彼が、その黄金が夕日に透ける色がとても綺麗なのだと言っていたのを思い出した。
「なあ、遊戯」
不意に、黄金色の音を拾う。その静かな声に、何故か喉の奥がヒリ、と痛んだ。
なに?と反射的に返した自分の言葉は、どこか無機質な響きをもって零れた。
「……オレ、あいつが好きだったんだ」
ブラウンが、橙に染まる。真剣な視線を見る。
夕日を見据えたまま、黄金色は続けた。
「ずっと、なにかが違うって思ってた。」
「あいつはオレの中でなにかが特別で、他のダチとはなにか違うって。」
「オレはそれを、オレがあいつに憧れてるから、そのせいだって思ってた。」
「……けどよ、今更になって気付いたんだ。」
「オレはあいつを好きだった。」
「ダチとか尊敬とか憧れとか、そういうのとは別に、もっと特別に、あいつが好きだったんだ。」
「好きだったんだよ。」
「……馬鹿だよなぁ。」
「逝っちまってから気づくなんて。」
「遅すぎる、よなぁ…」
そう言って、黄金色は自嘲気味に笑った。ブラウンの瞳は憂いに揺れていた。
僕は黙って、それを聞いていた。
「、あーあ!もっと早く気づいてりゃぁなぁー!」
黄金色が、空に叫ぶ。天を仰いだその声に同意することもできず、ボクはただそっと、夕焼けに視線を戻した。
ボクは彼が好きだった。
いつも前を向いている横顔が。凛とした視線が。まっすぐな言葉が。やさしい瞳が。
好きだった。ずっと、好きだった。
君がいなくなって、今更なのに、そんな君への想いがとめどなく溢れて、零れて。
こんなことなら、もっと早くこの想いに気付いていたら、伝えていたら、なんて。
――…そんなの全部、嘘、だ。
本当は気づいてた。自分でも笑っちゃうくらい一途な君へのこの愛おしさに。
気づいてた。ずっと前、それこそ、君の隣にいたあの頃から。
気づいてた。気づかないふりをしていた。日に日に大きくなるその心に、知らんぷりを決め込んだ。
だって、そうでしょ?
君にこの想いを告げてしまっていたらどうなってたの。
逝かないで、なんて言ってしまってたらどうなってたの。
ずっと一緒にいて、って泣きついてしまっていたらどうなってたの。
やさしい、やさしい君だから。ボクのわがままをいつだって、困った顔で笑いながら許してくれた君だから。けれど、自分の道を断固として進んでいける君だから。
今度ばかりは、困った笑顔が曇るかもしれない。今度ばかりは、許してくれないでしょ?
でも、もしかして。もしかしたら――
(そんな相反する想いの延長線、未来の間で揺れた。だけど。)
どっちも、怖かった。君に拒絶されることも、君の道を大きく歪めてしまうことも。
どちらも同じくらい怖くて、とても伝えることなんてできなかった。けれどその想いに正面から向き合って抑え込む自信もなくて、だから。
見て見ぬふりをした。心の奥底に沈めた。鍵をかけて、決して開かないように。固く固く蓋をして、そしてボクは、ひとりゲームを始めた。
絶対に、認めてはならない。絶対に、気付かれてはならない。絶対に、蓋を外してはならない。…絶対に、負けてはならない。
敵は、ボク自信。長期にわたる、知らんぷりゲーム。
そして、そのゲームに勝利したのは、あの日。彼を飲み込んだ扉が閉ざされるのを見た、その瞬間。
勝者のボクは、そこで初めて、ボク自身のの気持ちに向き合った。溢れるほどの思いを、受け入れたんだ。
――ボクは、
「…ボクも」
「ん?」
「………ボクも、彼が好きだった」
君が、好きだった。ずっと、好きだった。ずっとずっと、今でも。
「……そか」
囁くようにそう返した黄金色はまた、少し悲しそうに微笑った。
夕日に焼けた金が、綺麗だと思った。
町が染まる。世界が染まる。君のいない世界は、今日も回る。
-Fin-
(10/03/08執筆)
(10/09/27修正)