「…マジかよ」

バイトを終えて店の裏口の扉を開けると、物凄い轟音が傾れ込んできた。瞬間、それまで明るかった視界が悪くなる。
開いた扉を境に、絶え間なく降り注ぐ雨の弾丸を眺め、城之内は息を吐いた。
いや、雨というより豪雨だ。既に雨音がザァァではなくゴォォになっている。
朝家を出る前に見た天気予報では晴れだと言っていたし、台風が来る時期はまだ先だから、十中八九通り雨だろう。
しかし。

「…もーちょいタイミング考えろよぉ」

最後の洗い物を終え、厨房の窓から覗いた空はまだ薄く日の差した曇り空だったはずだ。それが店の制服から私服に着替える10分弱でこの降水量はないだろう。
狙ったとしか思えないタイミングの良さは、誰の嫌がらせか。天気に恨まれるようなことをした覚えはないのだが。
不毛な思考に制止をを掛ける。灰色の空を仰ぎ、ついてねーなぁとまた無意識に溜息を吐き出した。雨で霞んだ雲が、微かに明るい。

(…走って帰るしかねーか)

避けたい選択肢であったが仕方がない。
いつもなら濡れて帰るくらい訳はないのだが、今回ばかりは少し勝手が違った。今日はこれから、武藤家に直行する約束になのだ。
流石に人様の家にずぶ濡れで向かうのはどうかと思うし、一旦自宅に帰ったとしても、天気の気紛れが激しいここ最近はろくに洗濯もできず、家にあった服は確か今着ているので最後だったはずだ。

(―あ、でも制服は乾いてたよな、確か)

自室の様子を思い浮べ、ふとハンガーに引っ掛かけた学制服を思い出す。休日、恋人と友人の家にお邪魔するのに制服を着て行くのはなんだか妙な気もするが、ないより随分マシだろう。
そうと決まればとっとと帰ってさっさと着替えて、ぱぱっと愛する恋人と大好きな親友の元に向かうのみ。
よっしゃ、と小さく自分に気合いを入れて、駆け出そうと一歩を踏み出した―――その行く手を、水色の視界が遮った。
天然の空の色、ではない。
むらなく薄いグラデーションの施されたそれは明らかに人の手で作られたもので、弾いた雨粒がその上を球になって滑り落ちていく。

「お疲れさま、城之内くん」

水色が小首を傾げるみたいに、コトンと動く。その下から上がった音に瞬きをして視線を下ろせば、十数分後に会いに行くはずの彼。
そこで初めて、水色の正体が彼の差している傘だと気付いた。
傘が傾いたのは、傘の柄を肩に立て掛けた彼が首を傾げたせいだ。
もしかして、迎えにきてくれたんだろうか。

「遊――てお前、足ぐしょぐしょじゃねーか!!」

衝動のままに抱き締めようとした両腕が、その華奢な体の全貌を視界にビタリと止まる。
これほどの雨だ。傘を差しても多少濡れてしまうのは仕方がない。しかし強いのは雨足だけで、今風はほとんど吹いていないはず。にも関わらず、彼の黒いパンツが太股まで水浸しになっているはどういうことだ。
すると遊戯は自分の脚を見下ろして、思い出したようにああ、と応じた。

「傘なんてめったに差さないからな。ちょっと勝手が分からなくて」
「…どんな差し方してたんだよお前」

呆れたように呟けば、肩を支点にくるんと傘を回した遊戯が、何故かにこ、と笑みを零す。それからその柄を持つ右手を高く上げると、城之内の方に差し出した。

「そんなことより帰ろうぜ、城之内くん。早くしないとオレが来た意味がなくなる」

言って傾け誘われた傘の、その頭上で奏でる音が、いつの間にか軽いものになっていることに気が付く。雨が弱まってきているのだ。やはり通り雨だったか。

(て…あれ?もしかして、)

その言葉に、やはりわざわざ迎えにきてくれたのかと確信して、ふと脳裏を過る思考。
ずぶ濡れのズボン。厨房の窓から見た空。
遊戯の家からこの店までは、少なくとも歩いて15分はかかるはずで、雨が降り始めたのは早くても10分前。だったら雨が降って迎えにきてくれた遊戯は、まだここにたどり着いていない計算になる。それに傘の差し方が下手な人は普通、頭から濡れてしまうものではないのか。
城之内は目の前の乾いた赤い髪を見つめた。

「…遊戯、お前」

―走ってきたのか?

雨が降ってきたから、オレが濡れるからって、あんな雨の中を?

軽く目を見張った遊戯が、ぱちりと瞬く。じっ、と覗き込んだ大きな瞳が水面のように城之内を映して、微かな苦笑を浮かべた。

「…嘘、下手だったかい?」
「いや、んなこたねーけど」

問題はそこではない。
眉根を寄せる城之内に、肩を竦めてみせた遊戯がくす、と笑う。傘を支える手を左に持ちかえて、弧を描いた唇をそのままに小首を傾げた。

「オレが勝手にやったことだ。気にしなくていいぜ」
「けどお前、そんなんじゃ風邪引くだろ」

そうなって、相棒の体なのにと後で萎れるのは一体誰か。ますます顔をしかめる城之内とは対照に、遊戯がふわりと微笑んだ。
澄んだ紅玉が、愛おしげに細められる。
綺麗な、笑顔。

「会いたくなったんだ」

微笑う唇が、紡ぐ。

「君が来るのを待ちきれなくて、だから」

走ってきたんだ。

君に会いたくて仕方なかくて、歩くのが焦れったくて、あんな雨なのに、濡れることなんか考えもしないで。
何故だろうな。あと少し待てば君と会えるなんて分かってるのに。

ほんの少しでも早く、君に会いたかったんだ。

「だから城之内くん。これはただのオレの我が儘だ」
「……」

喉が詰まる。言葉を失くす。足元からはい上がる、雲の上を歩くような浮き立つ気持ち。

「!あ、」

突然、なんの前触れもなく、さっとその細い指から傘を奪う。取りかえそうと追い掛けてきた腕を掴んで引き寄せて、ぎゅっ、と腕の中に閉じ込めて、この温もりが濡れてしまわないよう。
驚いた遊戯が我に返り、逃れようと身を捩った。

「っ、城之内くん!外では、」
「遊戯」

抱き締める腕に力を込めて、耳元に唇を寄せて、囁くように。

「オレも、お前に会いたかった」
「…!」

耳に掛かる吐息に肩を竦ませる彼が愛おしくて、自然と笑みが零れる。
そんな自分に、ホントにコイツが好きなんだな、なんて今更のように思いながら。
頬に触れて、そのまま上を向くよう上体を起こしながら顎をとる。水色の光が降る中で、心なしか遊戯の頬に赤味が差していた。
これからせんとすることを予期して、城之内を見つめる瞳が困ったように揺れる。

「…帰ってから、」
「ダメ」
「城之内くん!」
「あんな嬉しいこと、あんな顔で言うお前が悪い。観念しやがれっ」

じりじりと近づいてくる唇に、遊戯が更に困った顔をして眉を下げる。それでも逃げようとはしないのは、嫌ではない、という意味でとっていいのだろう。
ちら、と裏通りの方を気にする遊戯と通りの間に、傘で壁を作ってやる。それにちょっと驚いた表情で視線が返され、それからふ、と小さく吐いた溜息が唇を掠めた。
その紅玉に至近距離から琥珀を映して、そして。
そっと伏せらる睫毛。無言の許しに小さく微笑むと、ゆっくり唇を重ねた。
半ば強引だったとはいえ、珍しく外でのキスを許してくれた彼のために、深くは求めず。

熱を手離す。
顎に添えていた指で頬を撫で、髪を梳きながら彼を解放した。そっと目を開けた遊戯に微笑むと、少し照れたような緩い笑み。
城之内は傾けていた傘を持ちなおした。

「じゃ、行くか」
「ん。――あ、城之内くん」
「ん?どうし‥あ?」

不意に天を仰いだ遊戯が、城之内を呼ぶ。それにつられて視線を上げれば、裂けた灰色の隙間から覗く、人工のそれではない空色。
つい先ほどまで降り注いでいた雨の弾丸はアスファルトに大量の水溜まりを残し、綺麗に消え去っていた。どこに隠れていたのか、既に電信柱の電線に羽を休めた小鳥たちも、いつの間にかお喋りを始めている。

「晴れんの早っ!」
「オレが来た意味、本当になくなったな」

本当に気紛れな通り雨だ。
文句なのか突っ込みなのか分からない声を上げる城之内に、遊戯がふ、と口角を釣り上げる。そして奪われた傘を城之内の手から取り返し、軸のグリップを二、三度スライドさせてバサバサと雫を払った。

「!ちょ、遊戯、オレが持つって!」
「でももう使わないだろう?」
「使う!」

言うのと同時に、後ろから遊戯が閉じたジャンプ傘のボタンを押す。ぼんっ、と軽い音を立てて、再び綺麗な水色が広がった。ぽかんとした遊戯から傘を再び奪い取ると、それを頭上に広げ、その中に彼の腕を引いて連れ込む。
そのまま有無を言わせず歩きだした城之内を、困惑気味に遊戯が見上げた。

「城之内くん?もう雨降ってないぜ?」
「オレの予報ではまだ雨降ってる予定だからいーの」

因みにあそこの十字交差点に出るまでは降ってるって予報だから。

「それまで相合傘な?」

言って、あまりにも楽しそうに笑う彼。
ここより少し道路が広くなる十字交差点は比較的人通りが多く、遊戯が人前でこういうことを好まないのを知っているからこその配慮なのだろう。無茶苦茶を言いながらもそんなところはちゃんと気遣ってくれていることに気が付いて、と同時に断る退路を絶たれた。
そこまで計算しての言葉なのかまでは分からないけれど。
ふ、とワザとらしく息を吐いて、竦めた肩でやれやれと呆れたふりをする。

「仕方のない天気予報士だぜ」

腕を掴む手に自分の一回り小さなそれを重ねて。
応じて絡めとられた指に表情を伺うと、心底嬉しそうに笑った瞳。
そんな城之内につられて緩んでしまう頬を抑えきれず、遊戯は繋いだ手に力を込めて、彼の腕に顔を押しつけた。



-Fin-






執筆(09/04/12)
修正(10/04/18)










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