目が覚めたら外は少し薄暗く、顔を出し始めたばかりのような朝日が窓から差し込んでいて目を疑った。慌ててシャワーを浴びて髪の毛を乾かし身支度をして部屋をとび出る。同じタイミングで部屋を出たのか廊下でエミリーと出会い「おはよう」と声をかけた。

「おはよう、ナマエ、随分早起きね」
「昨日試合後に疲れて寝てしまったら朝まで起きれなかったの…」
「聞いたわよ、5台分走ったんですって?にしても夕飯も食べずに眠り続けたなんて相当疲れたのね」
くすくすと笑うエミリーと横を並びながら食堂へ向かう。いつもなら精神的な問題で夜は眠りが浅いのに、何十年ぶりくらいの勢いでこんなにも深く眠った。

寝すぎたせいかずきずきと痛む頭を押さえながら、エミリーと食堂の席に付く。私は何かを忘れている気がする。ぼんやりと昨日のことを順に思い出し、ハッとしたところで後ろから声をかけられた。

「おはよう、ナマエ」
「お、おはようノートン」
聞こえた低い声に、昨日のキスだとか雰囲気だとかを思い出し顔に熱が集まる。勘弁してほしい、こんな公衆の面前で赤面をするなんて私のキャラではないのだ。きまずい空気を察したのかエミリーが「ナマエ具合が悪そうだから食事が終わったら診察をしましょう」と優しく声をかけてくれた。

その言葉を聞いて近くを歩いていたフィオナに「大丈夫かい?」と声をかけられたり、周りは私が体調が悪いことで赤面していると思ってくれたようだ。何も話しかけてこないノートンをちらっと見れば怒ったような…拗ねたような表情で、サッと血の気が引いた。すたすたと私から離れ、反対側の端の席に座った彼も受け取った朝食を大人しく食べている。

「ナマエ?」
「あ、っ…ごめんエミリー…」
「大丈夫よ、さ、部屋に行きましょう」
「うん…」
エミリーが私の背中をさするようにして食堂を出る時、視線の圧をすごく感じて、この視線を送る人間を目視で確認しなくたって分かった。

エミリーの部屋に到着し、椅子に座れば神妙な顔をした彼女が「…何か飲みたいものはある?…ハーブティを淹れるわ」と備え付けの簡易キッチンへ消えていく。一方で私は怒っているような拗ねたような彼の、ノートンの顔を思い出していた。どうしてあんな顔をしたのだろうか、何か私はやらかしてしまったのだろうか。

ハーブティを淹れ終わり私の前へと差し出したエミリーが、一口飲んでから穏やかな表情を浮かべた。
「…キャンベルさんと何かあったの?」
「え…?」
思ったより直球に聞いてきた言葉に目を丸めれば、くすくすと笑ったエミリーが「食堂で2人ともそわそわしてたと思ったら急に気まずくなるんだもの」と言う。
「わからないの…」
「わからない?」
「その…私ね、最近ノートンのことがよくわからなくて…。一緒にいると調子が狂う時があるっていうか…いつも通りでいられなくて、胸が痛くなったり、いつもみたいに色々なことが考えて行動がとれないの。それにノートンの事ばかり考えてしまって…」
キスをしただとは言うべきではないだろうと口を噤めば、エミリーは大層嬉しそうに微笑んで「ナマエもそういう気持ちがあるんだって安心したわ」と言った。

「貴方ってばいつも人との間に壁を作ってるから…敢えてそういうのを避けているのかと思ってたのよ」
「そういうの…?」
「そういうの、よ。それで?」
「毎日毎日不安で怖くて眠れない日が多かったのに昨日はぐっすり眠れた」
「キャンベルさんが起因で?」
「うん…詳しくは言えないけど…」
「そう、一度彼と話してみたらどうかしら」
「でもさっきのノートン怒っていたというか…拗ねていたの」
「普段と変わらなかったように見えたけど…」
ナマエはキャンベルさんの表情から感情が読み取れるくらい彼をよく見ているのね、と言われて顔に熱が集まる。そういえば、前は表情から何もわからないと思っていたのに、今は彼の考えてることがよくわかる気がする。

「…他人に興味が沸くっていいことよ、ナマエの今の気持ちをちゃんと話してごらんなさい」
「でも…」
「貴女は壁を作ることで人との関係を保とうとするし、臆病で不安になりがちだけどきっと大丈夫よ」
何をわかっているのか、そう言い切ったエミリーを見れば優しい目つきで私を見つめる。こんなにも怖いことがあるのだろうか。彼は昨日、私を好きと言った。とても嬉しかったはずなのに、自分がいつも通りの自分を振舞えないことが怖くて、ノートンに関わらない方がいいと思ったのに。

部屋へと戻りベッドへ倒れこむ。今日は私はゲームがない。彼はあるだろうか。きっとあるだろうな、優秀だから。外から聞こえる鳥の声を聴きながらいつ話せばいいのだろうとモヤモヤとしていた。



小さなころの夢を見た。父はとても優秀な人だったし、私も父の研究を手伝って薬学に強くなった。勉強をするのが楽しかった。友達はそんなにいなくて、必要性もあまり感じなかった。でも父や母は私の愛想がよくないといつも顔を顰めた。勉強ばかりしている子、周りから大層疎まれた。このままではいけないと笑顔を作り、言葉をかけた。相手がほしい言葉を考えて伝えれば、目の前の人間は大層喜んだし私を疎まなくなった。その内、母親が病気で死んだ。父は自棄になり、アルコールに溺れて私に手を挙げるようになった。私が気持ち悪いという理由だった。人を見透かしたように笑いやがって、と父親は言うのだ。気がついたら父親は泡を吹いて机に突っ伏していて、私の手元には昔父親が言っていた容量を間違えると危ないと言われていた薬を持っていた。

私は、自分がしたことがわからなくなって恐ろしかった。

両親を亡くした私を心配する祖父母の前で、私は父の亡骸に顔を埋める。悲しくはない。でもこうすれば祖父母は、周りは私を心配するという打算からだった。涙が流れた、悲しいわけではなくて毎日の暴力から逃れられたという幸福と、自身の保身のために他人の感情を操作しようとする浅ましい行為に対してだった。



「…嫌な夢を見ちゃったな」
ずきずきと痛む頭を押さえて、ベッドから降りる。常備している薬を飲んで、もう一度ベッドへと横たわる。食堂から声が聞こえて、もう夕食の時間なのかと随分と眠っていたことに気づくが、身動きをとろうとも思えない。

自分が自分じゃなくなっていく感覚はいつだって怖い。私はもう母親が死ぬ前の、父親を殺す前の私には戻れない。では今更、何になるというのだろうか。

08.嫌よ嫌よも好きのうち