ノートンからキスをされた(と言っても額だけど)後、何が起こったか理解できなかった私は困惑したまま気づいたら寝ていた。起きた時には朝食の時間になっており、身支度をしてから食堂へと降りる。朝食を受け取り席へ座れば「やあ」という軽やかな声へと顔を向けた。

「おはよう、イライ」
「おはよう、良い天気だね」
「そうね、こんな日にレオ思は嫌だわ」
「違いない」
今日も今日とて人当たりの良い雰囲気だ。にっこりと笑う彼に笑い返せば彼は私の向かいの席に座り食事へと手を伸ばす。
「ところで…昨日は大丈夫だったかい?」
「っえ!?」
イライの言葉に動揺してカシャンと目玉焼きを切っていたナイフを皿へと落とす。私の反応にイライは「おや?」と楽しそうに笑った。

「な、なにが?」
「いや、ノートンに送って貰った後、よく眠れたかと聞きたかったんだけど…もしかして何かあったのかな?」
なんて意地の悪い質問をしたんだこの男は。ハッとして咳払いをしてから笑みを浮かべる。こんなことで心を乱して腹を立てている場合ではない。私とノートンの間には何も無かった、そう何も無かったのだ。このままではあらぬ方向に噂話が進んでしまう。

「何も無いよ、大丈夫」
「私の思い違いか、ならいいんだ。ノートンに送り狼でもされていたら、私にも責任があったからね」
カシャン。"送り狼"という言葉にまたナイフを落としてしまった。顔を上げてイライを見れば口元を楽しそうに緩めていた。

「イライ…」
「私は何も視ていないし、聞いていないよ」
「…私の反応を見て楽しんでいるのかしら?」
「君がそんな風に感情を揺さぶられているのが珍しくてつい」
クスクスと笑うこの男、絶対に天眼で昨日の一部始終を見ていたのだろう。プライバシーがあったものじゃない。
「おはよう」
「やぁ、おはようノートン」
「っ」
聞き覚えのある声にビクリと身体を揺らして振り返る。まだ寝ぼけ眼なノートンが欠伸を噛み殺したような顔で私の隣の席へと座った。
「ナマエ?」
「お、おはようノートン」
「おはよう」
ケロッとしているこの男。この男が原因なのに!なんでこうも知らん顔なのだろうか。ノートンにとっては額にキスをする事くらいどうってことの無い行為ということだろうか。ああ、でも確かに眠れない子供を安心させるために母親や父親というものはキスをすると聞く。生憎私は親にそんなことをされた覚えはないが、ノートンのあれはきっとそういう類のものなのかもしれない。そう思ったらストンと身体が軽くなり、目の前の朝食に集中できた。

「ナマエおはよう、頼みがあるのだけど」
「ウィラおはよう、何かしら」
「寝不足のせいかビタミン剤が欲しくて…」
私を見つけたウィラが駆け寄ってきて話し始める。隣に座ったきりそれ以降一言も喋らずにノートンは食事を一足先に終えて、席を立った。やっぱり私の思い過ごしのようだ。昨日のは子供にするおまじないのようなものだった。ホッと安堵して、ウィラの頼みを聞いていれば、食事の皿を下げ終えたノートンがやって来て丁度立ち上がった私の腕を後ろから引っ張った。
「?」
「ナイエルさん、僕もナマエに用事があるからいいかな」
「…どうぞ、でもレディの背後から乱暴に手首を引くなんて随分な用事なのね」
ノートンの胸に倒れた私をビックリした目で見たウィラが、すぐさまギロりとノートンを睨みつける。向かいに座っていたイライは終始楽しそうに微笑んでいた。ふわっと香ったノートンの匂いに一瞬で昨夜の事を思い出し顔に熱が集まった。

「…ここでは話したくないからナマエを借りるよ」
「え?」
「食器は私が一緒に提げておくから置いといて大丈夫だよ」
「え?」
「ありがとうイライ」
「ごゆっくり」
私の反応を誰も考えてはくれず、ノートンは私の腕を掴んだまま廊下を歩く。何が、起きているのだろうか。バクバクと音を立てる心臓と、歩くスピードに呼吸が苦しい。

「ノートンっ!」
「あ、…」
慌てて声をかければパッと手を離され彼は、私から視線を逸らす。
「どうしたの?用事はなに?」
「あ、いや…」
歯切れの悪い返事に首を傾げれば、ノートンは困ったような表情を浮かべていた。彼は何をしたいのだろう。昨日の事で私はいっぱいいっぱいだと言うのに。さっきまで触れられていた手が熱くて自分の熱で誤魔化すようにぎゅっと握った。

「その……僕も薬を頼みたくて」
「薬?いいけど…どこか悪いの?」
薬が欲しい、という言葉にスイッチが入って途端にノートンの顔色を見る。表情は相変わらず固いけど、心無しか血の気を引いているような気がする。
「どこか痛いとか…?」
「…たまに胸が痛くなったり、呼吸がしづらくなったり…」
「うーん…なんだろう…こないだの薬の副作用ではなさそうだけど…私には診察が出来ないからエミリーに一度診てもらってから処方するよ」
「あ、そっか…」
しゅん、と項垂れるようなノートンに何故かきゅっと胸が締め付けられて、なんだか悪いことをしてしまったような気がする。ついこないだまで表情が読めないし、何を考えているか分からないと思っていたのに、昨日から何となく分かるようになってしまった。

「え、と…相談してきてくれてありがとう」
懐いてこなかった猫を絆した気分だ。少しだけ嬉しい。そう言って微笑めばノートンは至極残念そうな顔をして「じゃあ、僕はこれで」と私の目の前から去っていった。

「?」
前言撤回だ、やっぱり彼は何を考えているのだかよく分からない。

06.私ばかり考えているの?