※ノートン視点

初めて見た彼女は、とても上手に仮面をかぶる人間だった。自分の素性を明らかにせず『良い人』というレッテルを顔に貼り付け、他人を騙している。この荘園にやってきた人達の大半は自分の利益になること以外に冷めているし、僕も例外ではないが、目的を果たすためにここに来ているのだから当然だ。そんな中やってきた彼女も同じく欲望に貪欲であり、それでいて『優しさを持っている人間』の『フリ』を必死にしていた。

「(滑稽だな)」
人を見下せる程の人間性を僕だって持っているわけではないのに。必死に自分を良い人だと装い、偽りの優しい微笑みを他人にかける彼女を見て僕は滑稽だと心の中で嘲笑っていた。ある意味ではダイアー先生と似ているな、とも思い、医療関係の人間はああなるのか?と偏見すら覚えてしまいそうだった。

彼女がこの荘園にやってきて数日、初めて彼女と2人で話す機会があった。僕の顔をしっかり見てから彼女は「目のケロイドは火傷?」とデリカシーも無く聞いてきたのだ。
咄嗟のことに顔が引き攣る。
それは君の求める慈愛に満ちた淑女が言う言葉ではないだろう?彼女が徹底している『良い人』から程遠い配慮の無い言葉に驚き、返答に迷っていたら彼女は続けて「その火傷ができた時に私が薬を調合できてたらきっと跡は残ってなかったと思う」と自信があるような、ハッキリとした言葉で言い放った。

なんて自信家で、失礼な女性だろうか。

僕がこの顔を、火傷跡をひどく気にしている人間だったらどうするんだろうか。本当にここに来るような奴は変な人が多い、最低な女だと軽蔑をするつもりで顔を見ようとした。そして僕は心底後悔する。見なければ良かったのに。失礼なことを言ったはずの彼女は、僕の顔を、僕の傷を見てどうも場違いなうっとりとした恍惚な表情を浮かべていたのだ。

「…あっ、私ってば…エミリーに呼ばれていたのを忘れてたわ、またねキャンベルさん」
「…うん、また」
ばくばくと心臓が大きな音を立て、熱で耳が熱くなる。なんで、なんであんな表情を浮かべたのだろう。みんなに向ける優しく穢れを知らない聖母のような笑みとは真逆な彼女の深層心理、中身を丸出しにしたような下劣で醜猥な表情を浮かべて僕を見ていた。

ギュッと掴まれたような痛い胸に僕は自分を疑うことしかできない。どうしてこんなにドキドキとするのだろう。彼女の発言は配慮のなく最低な人なのに。気になる。なんでそんな表情を浮かべたんだ。

それから何度も何度も彼女のあの顔を、あの表情を見たくて近づいた。ナマエは定期的に安定剤のような薬を飲まないと精神的に参ってしまうようで、夕食後、もしくは夜な夜な食堂へ水を取りに来る。
ルーティンさえ分かればあとは待ち伏せをしたり、偶然を装い近づくだけ。会う度に此処に慣れてきて上手くなっていく『優しい良い人』の仮面を被り続ける彼女。もう一度、もう一度あの顔が見れたら、もしくは仮面さえ剥げれば僕のこの気持ちがわかるのに。

ゲームでも、夕食でも彼女が視界にいれば見続けた。でもダメだ。彼女はあまりにも完璧に『優しい良い人』の仮面を剥がさない。ナイエルさんに薬臭いと怪訝な顔をされても、ナワーブに鈍臭いと言われても彼女の仮面は絶対に剥げない。他人好みの優しい微笑みを浮かべるだけだ。僕は、彼女の素顔が見たいだけなのに。

そんなある日ウィリアムやカヴィンに誘われ渋々飲み会に参加した。今日は偶然を装って彼女と会うのは難しそうだ。ガックリと肩を落としていたら飲み会会場であるイライの部屋に来客が来た。
部屋の入口で何やらナワーブが会話しており、部屋へと誰かを招き入れる。これ以上人が増えそうなら僕は帰りたい。あまりにも無駄なこの時間にため息をつきそうになったが、入ってきた人の姿を見て目を丸めた。ナマエだ。なんでナマエがこんなところに。

男だらけのこんな空間に、なぜ彼女が?イライに何の用事があって?まだみんなの飲酒量は少ないとはいえ、男ばかりの空間に足を踏み入れるなんて。何か間違いがあったら?いやそれはないとしても、アルコールに酔った彼女の仮面がいとも簡単に剥がれ他の人に彼女の素顔が見られたら?きっとここに来るような人間は素の彼女に興味を持ってしまう。それはダメだ。

遠目で彼女が嫌な思いをしないか、あの表情を見せないかとハラハラしながら眺め続けた。途中目が合って、何故か嬉しくなりほほ笑めば彼女も少し酔った表情でほほ笑んだ。

3杯目のワインを口にし、あと少しでグラスが空きそうになった時、ナマエはやっと部屋に帰るとイライに告げた。お酒に酔っている今なら、彼女の素を見やすいかもしれない。下心を持ち部屋へ送ると伝えれば、人当たりの良い笑顔がにっこりとイライに向けられで居てガッカリと肩を落とした。
折角アルコールで警戒心が溶けていると思ったのに。どうもガードは固いようだ。

彼女の隣を歩き部屋へと送り届ければ、入口で2、3言の会話を挟む。前々から疑問に思っていたやけに僕だけに距離を置くようなファミリーネームで呼ぶのを辞めて欲しいと伝えればキャンベルさん、と呼んでいた小さな口からノートンと聞こえた。自分の名前を呼んでもらっただけなのに胸がキュッと締め付けられて痛い。

前にナイエルさんから聞いた「ナマエはお酒があまり好きではない」という情報を元に、無理はしないでいいんだよと伝えれば一瞬目を丸めた彼女が人当たりの良い微笑みを浮かべる。違う、僕が見たいのはその顔じゃないんだ。
困ったような顔をして「あまり良い思い出がない」と言った彼女は僕の背中に広がる廊下を見て胸をぎゅっと抑えた。

「ナマエ?」
「っ、大丈夫…」

ドタドタと珍しく焦ったように部屋に駆け込んだ彼女。いつもならそんな下品な足音はたてたりしない。苦しそうな顔を見て、ドキドキと胸が高鳴った。もしかして、彼女のあの表情が見れるかもしれないと部屋の前で待つ。中から床に膝を付く音が聞こえて、慌てて入れば机の前に崩れたように座り込むナマエがいた。

近寄ってしゃがみ、声をかければぜぇぜぇと息を切らし、目を潤ませ呼吸を必死にしている。過呼吸にはなっていない、ゆっくり呼吸をして、そう言えばナマエは僕の目を見てゆっくりと息を吸い、吐いた。潤んだ目と真っ青な顔はあの見たかった顔とは違ったけど無防備な状態に鼓動が早くなり身体が熱くなる。

彼女はそうか、思ったより弱い人間なのかも。
背筋がぞくりと震えて、言いようのない感情が胸を震わす。灯りをつけて欲しいという頼みに応え、ランプに明かりを灯せば彼女は少しだけ落ち着いた様子でベッドへと腰をかけた。もっとナマエに近づきたい。この感覚をハッキリなんなのかを知りたい。

体調を尋ねればもう大丈夫だと言う。表情はもうあの『優しくて良い人』のものだった。僕を見送ると立ち上がった彼女がフラフラと倒れそうになったので腕を掴み倒れるのを阻止した後に抱き上げる。ここまでしてあげるつもりはなかったけど、何故だか放っておいてはいけないと身体が勝手に動いたのだ。

ベッドに寝かせ『申し訳ない』とか『ごめんね』と良い人面をする彼女。どうすれば、どうすればもっと僕に晒け出してくれる?彼女が怖がっているものから僕は遠くにいると伝えれば分かってくれるだろうか。

ああ、そうか。簡単な話だ。良い人面をする人は、嫌われるのが怖い人。謝るのも、常に優しい微笑みを浮かべるのもナマエは人から嫌われるのが心底怖いんだ。
「ナマエ大丈夫だよ、僕は決して君を嫌わないから」
「っ」
火傷のせいで笑うと違和感を感じるようになっていたけど、上手く笑えているだろうか。僕はナマエを嫌ったりはしない、そう伝えれば彼女はもっと気を許すだろう。そしたらこの感情が何かもわかるはず。目を丸め驚くような表情を浮かべるナマエ。ほら当たってるんだ。僕は絶対にナマエを嫌わない、安心して僕にあの顔を、素を曝け出して見せて欲しい。

思い出す度にぞくりと背筋を震わすあの恍惚とした表情を僕はまた見たい。彼女からは今日はもうその顔を引き出すことは出来ないだろうけど。不安そうな表情を取り除いてあげないと。じっと彼女を見れば強く目を瞑り怯えていた。

あれ?なんか違うんだけど。
見たかった顔とは違うのに、怯える顔をなんとかしたくて、キュッと胸が掴まれた。そしてまた身体が勝手に動く。唇をナマエの額に寄せてくっつけ、ちゅ、と音を立てて離した。あれ?僕は何をやった?

「えっ」
「…おやすみナマエ、ゆっくり休んでね」
顔を赤くし呆然とする彼女を見て、あの『優しい良い人』の顔ではない余裕のないただの人の表情は、たしかに僕が見たかった物に近い。あ、もしかして僕は。


硬直するナマエから急いで離れた。反応が気になって振り返れば真っ赤になった彼女が寂しそうな目をして僕を見ていた。全身がぞくっとして、心臓がバクバクと動く。

今、あの表情を見てるのは僕だけだ。誰も彼女のあの余裕のない無防備な顔なんて見たことがないんだ!嬉しさに顔が歪みそうになりながらも、彼女に不審に思われてはいけない、少しだけ微笑んでから扉を閉めてその場に崩れ落ちて乾いた笑いが零れ落ちた。

「僕、ナマエのこと好きなんだ」
ここでは僕以外誰も知らない彼女の素の顔が、忘れられない。

05.この気持ちは何だろう。