「東君、摩子ちゃん、奥寺君、小荒井君。お世話になりました」
 三月五日土曜日。今シーズンのB級ランク戦最終戦も終了し、慰労会と名字の送別会も兼ねて東隊の四人と来シーズンから支部所属になる名字で寿寿苑に来ていた。
「気の利いたこと言えなくってごめんね。じゃあ……乾杯」
 カチン。カチン。この音を聴くと寿寿苑に来たんだなあ、という実感が湧く。五人の共通の見解だった。本当だったら名字は決して乾杯の音頭を取る気は無かったし、いつも通り隊長の東に任せる気でいたけれども、偶然目があった小荒井の微かな「あ…!」という呟きを拾ってしまったが故に四人の視線が名字に向いた。後はもう言葉を交わさずともそういう流れになってしまったのだ。
「やっぱ名字さん、本部に顔出す頻度も減りそうなんすか?」
「一応個人ランク戦はしに本部来るよ。トリオン兵ばっか相手にしてたら鈍っちゃうし」
「お時間がある時でいいので……また、稽古つけて下さい」
「俺からもお願いするよ、名字」
「そんな改めてお願いしなくても。私に出来ることならなんでも手伝うからさ、いつでも呼んで」
 去年の九月。支部所属でフリーのB級隊員だった名字は奥寺と小荒井の攻撃手の師匠として白羽の矢が立った。旧知の間柄の東から二人の師匠になって欲しいと頼まれては断るわけもなく、名字は東隊に加入することになる。元々孤月と拳銃を用いる近距離万能手であったが、東隊の加入にあたってポジションを攻撃手に改めた。教えたのも孤月の扱いと純攻撃手としての連携に留めた。ただそれも、先日弟子二人のサブトリガーが解禁されて終わった話なのだが。
 奥寺と小荒井の二人は器用に食事と今シーズンの振り返りを両方こなしていた。肉を焼きながら、東と人見がたまに情報を付け加える。いつもの光景だ。
「最終戦は二人ともよかったよ。弾トリガーもこのまま使い続ければものに出来るんじゃないかな」
「一先ずの目標は目指せ万能手ってことで!」
「そうだね。頑張って」
「無理に目指すものでもないだろ。名字さんも……こいつ、すぐ調子乗るんですから」
「どっちが合ってるかはまだ決めなくていいと思うけど、個人ポイント六千を目指すくらいならいいんじゃない? ね、師匠の東君」
「本当に弾トリガーを使いこなせてるなら自ずとポイントも着いてくるだろ。あと一シーズンは様子見だな」
「だ、そうです」
 肉も最初に注文したものの殆どはテーブルに運ばれてきて、人見が率先して焼いてくれていた。この五人組どちらかと言えば皆好きに焼きたいものを焼いて、食べたいものを食べているから、今日は人見がやけにトングを持ちたがるのが不思議だった。東はすぐに察する。
「摩子ちゃん……こんな、いいよ」
「東さんの奢りの時は遠慮しないんじゃなかったんですか?」
「まあ、東君は東君だし。摩子ちゃんは育ち盛りなんだから」
「……もうとっくに身長なんて伸びなくなりましたけどね」
 東隊全体での慰労会も兼ねているはずなのに、隣に座った人見は明らかに彼女自身の取り分などどうでもいいかのように自分に肉を盛るその様子に名字の中にむず痒い感覚が残る。目の前の東は何も言わずに彼女の好きにさせている。勿論嬉しくないなんてことはないが、名字は元々期限付きでの本部異動だと割り切っていたから寧ろ後輩三人が慕ってくれるのも予想外だった。元々大学を優先して支部で防衛任務をこなすだけだった自分がチームに入るだなんて想像していなかったのだ、可愛い後輩達と離れるのは惜しい。
 名字は人見の黒曜の瞳に見つめられると何も言えなくなってしまう。それを分かっている上で互いに自分自身を相手に委ねるように接するし、他の三人も口出ししない。どこか気恥かしいところがあってもここは居心地が良いと、ここにずっといたいと、そう思っている。

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「結局、賭けって何だったんすか?」
「ああ。もうシーズン終わったしネタばらししていっか」
「ん? 初耳なんだけど」
「出水君には話してなかったか。まあそんな面白い話じゃないんだけど、二宮君をサシで倒せるか倒せないか支部の後輩と賭けてただけだよ」
 出水と米屋は顔を見合わせる。同じ隊の東とおそらくシーズンが始まるまで面識が無かったであろう空閑を除けば一番落とすのが困難であろう二宮をわざわざ一対一で倒す、そんなシチュエーションを設定する意図を掴みかねていた。
「いやー……そんな都合よく二宮さんとのタイマン来ないでしょ。そもそも東さんの育成方針じゃあの二人が作戦考えてるじゃないすか」
「勿論それは分かってるんだけどね。無理に突撃なんてしないし、遭遇戦か最後まで残って生存点争いする時しかないなって思ってたよ」
「あのタイマンってやっぱノーカンすか、雪ん時の」
 二月十五日、B級ランク戦第四戦。選択マップ市街地B。天候雪。攻撃手六人の乱戦を生き残った影浦と名字は敵部隊の弾トリガー持ちから逃れる為すぐさまバッグワームを起動し、射線を切れる場所まで退く。
 積極的に動く者がいなくなり生存点を狙いに行くか否かという局面で、奥寺と小荒井は「面白そう」という理由で搭載していた鉛弾の存在を思い出した。元々名字がA級七位隊隊長の三輪のスタイルを試してみるべく孤月と拳銃のいつもの構成に鉛弾を加えたトリガーで試験的に個人ランク戦をしていたのだが、試合前には鉛弾を抜いて旋空を入れるつもりだった。その時人見に「抜いちゃうんですか?」と言われた。名字は人見が初めて求めた後輩二人の師匠ではない立ち回りに、ほんの少しでいいから応えたいと思ったのだ。
「どうする? “隠し玉”は、一度なら絶対に決める。任せてくれるなら必ず一点は取るよ」
 普段は基本的に口を出さず、もしくはヒントを仄めかすだけの名字が、直接的に作戦に言及するのは初めてかもしれない。それだけ自信があるのか、それとも。
「出来れば一点だけじゃなくてもう二点目と生存点を取るくらいじゃないとな」
「二点目取るとしたら東君でしょ。最初に行くなら二宮君だしそこは私が取るけど、おそらく影浦君はサイドエフェクトで鉛弾がバレるし、とどめは東君に行って貰いたいな」
「摩子さん、二宮さんと影浦先輩が潜んでそうなところ割り出せますか。東さんにはそれを元に索敵して頂いて……」
「……はい、射線切れそうな地点ピックアップしたよ。向こうも狙撃地点洗い出してるだろうから参考程度でお願いします」
 おそらく、鉛弾はどちらにも刺さる。名字の奇襲にバッグワームを解除して迎え撃つだろうが、迎撃と同時に東の狙撃も警戒しなければならない。片手を開けたまま対応される程甘い攻撃するつもりもない。狙撃を警戒して引き気味に戦っているところに、鉛弾で一瞬の隙を与えられればそれでよかった。
「……なあ、小荒井」
「ごめんね、奥寺君の思ってた勝ち方じゃないかも」
「いえ……名字さんのそれが一回だけ勝てればそれでいいという思考じゃないのは分かってます。鉛弾を自分のものにしたと思ったからこそ試合前に外さなかったってことも」
 話はまとまった。奇襲と狙撃、自分達の駒の能力を鑑みて二人が出した結論に東も人見も名字も異論はない。
「ポイント到着した。いつでも撃てるぞ」
「じゃあ、行ってくるね」

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「東君がいなければ遠慮なく両攻撃使っただろうし、あれはノーカンじゃないかな」
「おれは二宮さんが落とされたとこ久々に見られて面白かったすけどね。皆タイマンしない対策ばっか練ってるし」
「おっ、弾バカがなんか師匠っぽいこと言ってるじゃねーか」
「そっか。出水君って二宮君の師匠なんだ」
 元々は、賭けでなく名字個人の願掛けである。丁度今シーズンが始まる前にあった第二次大規模侵攻後の記者会見。攫われた三十二名のC級隊員や第一次大規模侵攻での行方不明者を取り戻すという目的の大規模な近界遠征。東がA級時代に遠征に行っていたのは知っているが(実際名字は遺書を受け取っている)自分が行く可能性を考慮していなかっただけにこの知らせは彼女の中に一つの問いが生まれることとなった。
「近々ある遠征に行くにあたっての願掛け、かな。今まで支部で何も知ろうとせずにいた人間がどこまで行けるか試してみたかったんだ」
 あまり後輩としていても面白い話ではないな、と口に出してしまったことを後悔しても遅い。おもむろに立ち上がって、三人が座っていたスペースの隣にある自動販売機を指差す。出水と米屋がパチパチと瞬きしている間に電子マネーはタッチ済みで、ボタンさえ押せば飲み物が出てくる状態だ。
「つまらない話のお詫び……じゃないけど、どうぞ」
「おっしゃ、いただきまーす」
「槍バカが先かよ!」
 ボーダーも人数が増えてきて、全員が全員ランク戦をやる訳でもなく学業優先の隊員などが目立ち始めて来た頃、警戒区域の外縁上に各支部が設立された。様々な事情でチームランク戦に参加出来ない、主に防衛任務に就くのみの隊員達の受け皿となったそのシステムの恩恵に預かるべく名字はすぐに異動届を出した。
 もう既に隊員達の中でも一目置かれるポジションにいた東や本部長の補佐を目指す沢村らが日々研鑽に励む様子を見ながら、名字は。自らがトリオン器官の衰えで戦闘員を続けられなくなった時の為に、三門第一大学のトリオン関連の研究室で実績を作るべく支部への異動を決めたのだ。
 高校時代から交流のあった二人は仲がいいとまでは行かずとも、クラスの打ち上げや大学では飲み会などで隣になれば沈黙が嫌にならない程度に隣にいることを許容していて、学食で出会えば一緒に昼食を取る程度の仲である。ただ、ボーダーへの入隊に関しては東が入隊するかどうかの相談を持ちかけた時点で名字はとっくに入隊を決めていて、相談もクソも何も無かったという点だけは東の中に四年という時間が経った今でも残っている。
 まだまだ規模の小さい組織だったボーダーの中で東と沢村と名字は同年代として一括りにされることは、名字とって生き地獄にも等しいなにかであった。
「響子も東君も、私がずっと届かないところにいるよ」
「それは俺が思ってたことなんだが。お前だけ先に、俺の届かないところまで行くなよ」
「そうなの。あはっ、今だけ東君が凄く近いや」
 まだ名字が本部所属だった頃の、いつかのやり取りを回想する。
「忍田本部長から将来有望な子らを任されたんだってね」
「ああ、知ってたのか」
「知らないわけないでしょ。東君のことだし」
 後に第一期東隊として知られることになるあの部隊は、この日に結成された。 “新”ボーダーが設立されて一年程経った頃、戦闘員の人数も増え個人技以上に部隊としての動きが求められるように変わっていった。ボーダー全体がそういった方針で防衛や後に行われる近界遠征を進めていく中、名字は沢村や同年代の仲が良かったオペレーターと組んでいたが、大学卒業と同時に二人が本部長補佐と中央オペレーターになったことで隊も解散した。名字が出来たばかりの支部に異動したのも、そのタイミングだった。
「いいな。私、東君になりたい」
「ははっ……それは、愛の言葉だと思っていいのか?」
「うん。私からの、最上級の愛の言葉かも」
 今後一生叶うことのない望みと、絶え間なく続く飢えと乾きが満たされるようにと、この男を求めてしまう程に、四年前の東春秋に刻みつけられた呪いは今も消えていない。

 人見摩子にとってその女は、自分と同じ隊の後輩二人に限りなく誠実な人間で、信用も信頼もしていた。古参隊員として腕も申し分無く師匠として、年上として、ボーダーの先達として弟子二人が慕うのも当たり前だ。
 人見摩子は、誠実な人間には一等誠実であった。
「摩子ちゃん?」
「あ、名字さん」
「ごめんね。映画見てる時鑑賞中に」 
 荷物を取りに来たらしい名字を一瞥して、人見は映画に向き直る。この世を呪った女。巻き込まれるべくして巻き込まれた純然たる悪意と好奇心だけが取り柄の大学生グループ。ありきたりな構図でも、
 映画ももうクライマックスのラスト十分。誰も報われない。謎も残ったまま。何度だって見たエンディングとスタッフロールに救いを見出している。
「……ごめんね、私も見ちゃった」
「スタッフロールの間も立ってたんですか?」
 ずりずりと衣服とソファが擦れる音を鳴らしながら、端に寄る。無言は肯定だった。おそらく名字が退室しなかったのは余計な光や音で自分の邪魔をしたくなかったからだと解釈する。
「摩子ちゃん、ありがとう」
 人見はこの時、名字名前の笑顔を初めて見た。表情の変化に乏しいこの女が一番分かりやすく表に出す感情が喜びであることと、一番近しい人物にすらほぼ見せないそれを引き出したことはそれ相応に嬉しかった。少女は今やっと自覚する。人並み以上の独占欲と、満たされなかったものが満たされる感覚を。
 劇中曲が流れるチャプター選択画面。どちらもじっと黙って、映画の余韻に浸っていた。名字にホラー映画の良し悪しは分からない。パッケージの雰囲気は明らかに十年以上前の作品だと訴えているが、大事に保管されてきたというのは分かる。
「……これ、世間一般では駄作って評価なんです」
「うん」
「でも、きっと、彼女の為に……この映画は必要だったんです」
「教えてくれてありがとう。私も貴方と同じもの大切にするよ」

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「そんなことをしなくても、私はあなたに、此処にいて欲しかった」
「それでも俺は、お前がこの地獄に居続ける限り呪いをかけ続けるよ」
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