▼ 賽は投げられた / 坂田銀時
人通りの少なくなった午前3時。飲み屋帰りの人に水商売の人。そんな人たちとすれ違いながら私は通い慣れた道をフラフラと歩いた。
たどり着いたそこは暖簾が外され灯りが消されたスナックお登勢。そして二階を見上げれば見慣れた万事屋銀ちゃんの看板。私は無表情のまま音を立てないように階段を上がって、しんと静まった玄関先に立つ。
立ち入り禁止と書かれた黄色いテープを丁寧に剥がして、またも音を立てないようにゆっくりと戸を引き室内へと足を踏み入れ、見るも無残に荒れ果てた部屋を見渡せば自然と涙が頬を伝った。
「……」
何度その姿を探しても、見つけることができない。
あんなにも温かかったこの空間は、ただ静かに暗闇の中で眠っているようで。ボロボロになったソファに腰をかけて静かに目を閉じれば、まるで昨日のことのように瞼の裏に映る光景。
『オイ、神楽!それ俺のチョコだろ!』
『ケチケチすんなヨ!これはなまえが万事屋三人にって持ってきてくれたやつアル!』
『もー銀ちゃん、大人気ないよ。神楽ちゃんにあげなよ』
『本当ですよ!銀さんったら彼女の前で食い意地張って恥ずかしくないんですか』
いつだって、ずっとあると思っていたのに。
『なまえ、今日泊まってけよ』
『うわ!ねぇ神楽ちゃん、見た?今の銀ちゃんの顔』
『下心満載の笑顔だったアル。不潔アル』
『うるせェェェ!!黙って泊まってけ!!』
『はいはい』
ずっと、続くと思っていたのに。
『将軍様の警護?』
『まー何もねェと思うけど。って何、なまえちゃん珍しく心配してくれてんの』
『べ、別に心配なんかしてないけど!』
『可愛いやつだなァ、このこのォ』
『銀ちゃんうざい』
何で。
『……近藤さんが、真選組が…?』
『お前は何も心配しなくていいから』
『でも、』
『帰ってきたらまたお前のうっすい味噌汁飲ませてくれよ』
…何で、いつも私の気持ちも考えないで。
『待ってよ、銀ちゃん。私も一緒にアキバに行く』
『なまえ、お前はここに残れ。大丈夫だ、ババアも妙も九兵衛も月詠もいる。何かあったらあいつらに頼れ』
『嫌だ、私も連れてって。ひとりにしないで…』
『俺はお前を危ねェ目に遭わせたくねーんだよ。…どんなに離れてたって、俺はお前に生きてて欲しいんだよ』
何で無理して笑うの。
何で何もかも、一人で抱え込もうとするの。
私の気持ちなんかいっつも全部無視。私は一人で生きてくことなんかよりも、銀ちゃんの隣にいられることが幸せなのに。
あの人はいつもそう。自分勝手でワガママで、いい大人なのに自分の欲求ばっかり押し付けて。それでも本当は優しくて誰よりもみんなの幸せを考えてて、たまにカッコよくて、私はそんな銀ちゃんが……
「また不法侵入かい?さすが銀時の彼女と言うべきかね」
突然聞こえてきた声にぱちっと瞳を開いて、流れる涙を拭いもせずに声のする方へ顔を向けた。月夜が差し込む暗闇の中、その人はふうっとタバコの煙を吐いて優しく微笑みかけてきた。
「…お登勢さん」
「なんて顔してんだい。銀時が見たら呆れるよ」
「……お登勢さん、もうあの頃には戻れないんでしょうか」
「…」
お登勢さんから目を逸らして、いつも銀ちゃんが座っていた椅子に視線を移した。もういないはずなのに、ジャンプ片手にそこに座る銀ちゃんが瞼の裏に映って、消えてくれない。
「万事屋がいて、真選組がいて。妙ちゃんや九兵衛ちゃんがいて。またみんなでバカやって、笑って……楽しかったあの日々は、もう帰ってこないんでしょうか」
その隣には神楽ちゃんがいて、新八くんがいて。定春がいて。銀ちゃんに絡む土方さんに、土方に絡む沖田くん。それを笑って見ている近藤さん。私を囲うように妙ちゃんや九兵衛ちゃんがいて。楽しそうに笑う私に、銀ちゃんは優しく微笑んでくれて。そんな何でもない日々が、こんなにも私の中でかけがえのないものだったなんて知らなかった。あんなにも大好きだった空間は、もう。
「あんたそれでも銀時の彼女かい」
「……!」
「あいつはちゃらんぽらんでどうしようもないヤツさね。でも、あいつは約束を破るなんてこと、今まで一度もしたことはない。なまえ、それくらいあんたも知ってるだろう」
ゆっくり私に歩み寄るお登勢さんは口調こそ咎めるような口調であるがその表情は優しくて少しだけ悲しげで。また視界が歪み出すのを堪えながら見上げれば、ぽんと私の肩に手を置いた。
「あいつは、必ず戻ってくると言ったんだろう?」
こくんと頷いてようやく溢れる涙を拭えばまた脳裏に浮かぶ、優しい銀ちゃんの顔。
『必ず、また笑えるよーになる』
『え?』
『またいつもみてーにバカ騒ぎして、酒でも飲んでって。そんな毎日がまた必ず帰ってくる』
『銀ちゃん…』
『だから、俺を信じろ』
思わずお登勢さんに飛びついて、お登勢さんの温かい腕に抱かれながら大きな声を出して涙を流した。
銀ちゃん、会いたい。今すぐに会いに行きたい。その大きな腕に抱かれたい。優しい声で名前を呼ばれたい。暖かい笑顔を、もう一度…。
「私ら残されたもんは、ただ黙ってあいつを信じようじゃないの」
…あいつは必ず帰ってくるから。
賽は投げられた
(今夜も一人あなたの帰りを待つ)
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