▼ もしもシリーズ vol.2 / もしもピザ屋の彼と付き合ったら / 服部全蔵
※名前変換なし
何となく通りがかったお店に貼られた一枚のチラシ。「妄想の世界に行ってみませんか?」と書かれた怪しげなそのチラシ。普段であればそのまま素通りするところだが、何となく目に止まって立ち止まってしまったのがきっと運の尽きだったのだろう。
「お嬢さん、何か行ってみたい妄想の世界でもあんのか?」
「…えっ、あ、いや…」
中から出てきた怪しげなおじいさんに私はあからさまに動揺してみせた。だってどっからどう見ても怪しいし、何この店!からくり堂って何それ?ていうか奥になんか変なロボットいるし。
「まぁちょっと見てってくれよ」
「え、あ…ちょっ!」
ぐいっと手を引かれてからくり堂の中に連れ込まれた私は、部屋の奥にある簡易トイレのようなものの前に立たされた。ばんっとそれを叩いたおじいさんはにかっと得意げに笑ってみせた。
「もしも・しもしも転送機(改)!」
「もしも、しも?」
「もしも・しもしも転送機(改)じゃ!」
その仮設トイレ風の戸を開くと中には椅子が置かれ、その背もたれに取り付けられた大きなヘルメットのようなもの。聞けば、それに座りヘルメットをかぶって自分が行きたい妄想の世界をイメージしながら「もしも・しもしも」と唱えると30分間だけその妄想の世界にトリップすることができるらしいこの機械。
「前に試作品を作った時は重大な欠陥があったんだが、改良に改良を重ねて出来た傑作品なんだよ」
「あ、そうなんですか…」
「お嬢さん、信じてねェな?百聞は一見にしかずだ、ほれ!」
「ぅぎゃ!!」
どんと背を押され転送機の中に閉じ込められた私は、窓の外から楽しんできな!と親指を立てるおじいさんを呆然と見つめた。ちょっと待って、私やるって言ってないのに!妄想の世界って何?別に行きたい世界なんてないよ!妄想なんて……
「……ある」
あるんかい!と言われてしまえばそうだが、人間生きていれば誰だって妄想の一つや二つしたことはあるだろう。その世界に行けるなんてそんな話、信じているわけじゃないけれど。でも、…少しだけ、気になっちゃうじゃない。
「…もしも・しもしも…」
・・・・・・・
「…!」
ぽつっと頬を伝う雫に私は思わず天を仰いだ。
……雨?そんな、さっきまであんなに天気良く晴れていたのに。あ、違う。これはまさか、もしも・しもしも転送機でやってきた、妄想の世界?ってことは、まさか…まさか!
「まんまと天気予報外れたなァ」
そのまさか。私の隣で困ったように笑うその人は、私が密かに片思いをしている彼本人。名前も知らない、ただのピザ屋の配達の彼。業務的な会話しかしたことのない彼が、私に向かって笑いかけている。妄想の世界だとわかってはいるのに、パクパクと口を閉じたり開いたりしたまま何も言葉を発することができない私に、彼は雨宿りをするよう促しながらどうした?と首を傾げた。
「…あ、いや。かっこいいなぁ、って思って…」
「突然どーした、熱でもあんのか」
「…ごめんなさい」
「何で謝るんだよ、別に謝ることは言ってねーだろう」
ポンポンと私の頭を撫でる彼は、私が知っている彼じゃない。それでも私の顔はきっと真っ赤に染まっているだろう。ずっと気になっていた彼。彼に会いたくて何度もピザを頼んで体重が増えてしまったのはもはや私の中で笑い話になっている。そんな彼ともしも付き合ったら。もしも彼の彼女になれたら。そんな妄想を思い浮かべながら、私はあの転送機であの呪文のようなものを唱えたのだ。そして今、私はその妄想の世界に来ている。まるで現実と変わらないその世界にただただ驚きを隠せない。それでもこのまま驚いていては、ただあっという間に30分という時間は過ぎてしまう。気を取り直して私は彼を見上げた。
「ねぇ、あの」
「何だ?腹でも減ったか?」
「違くて…あの、…手、繋いでほしいの」
あぁ、もう。恥ずかしくってまともに顔が見れない。小さくそう呟いてすぐにまた視線を落とせば、頭上からは短い笑い声が落ちて来た。「お前さんってやつは」と少しだけ呆れたような声が聞こえて、私は咄嗟に顔を上げれば優しく笑う彼が大きな手を差し伸ばしていた。
「どうにも俺のツボを突いてきやがる。ホラ、手ェ出せよ」
「…うん」
その大きな手を握り締めれば、そこから温かい温もりが体いっぱいに広がって、胸をぎゅうっと締め付けた。それと同時に広がる虚しさと、苦しさ。
嗚呼、私は何をやっているんだろう。
自然と頬を伝う涙が溢れたところで、そんな私に驚いた顔を見せる彼に、私はぎこちなく笑顔を作ってみせた。
「オイ…」
「私、あなたのことが好きです。ずっと、好きだったんです」
「急に何だよ?そんなこととっくに知って…」
「ううん、知らないはず、だってそんなこと一度もそんなこと言ったことないもん。それどころか名前すら聞けなかったんだもん。ただピザ運んでもらって、お疲れ様ですって、それしか言ったことなかったんだもん」
「…なァ、オイ…」
「私ね、怖かったの。一目惚れなんてしたことなかったし、自分から男の人に声をかけるなんて一度としたことなかったから、もし拒絶されたらどうしようって。怖くって何も言えなかった」
だけどこの妄想の世界の彼に会って、彼の優しい笑顔を見て、私は思い知った。私が勇気を出さなければこの彼は一生妄想の世界から出てきてくれることはない。名前も知らない彼がもしピザ屋のバイトを辞めてしまったら?私がピザを嫌いになってしまったら?…もう、会えなくなってしまう。そんなの、絶対に嫌だ。何もしないままこの恋が終わってしまうなんて、そんなの。
「もしかしたら彼女がいるかもしれない。私になんかこれっぽっちも興味がないかもしれない。それでもいいの。やらないで後悔するより、やって玉砕した方がすっきりできるもん」
彼はポカンと口を開けて私を見つめたまま私の言葉を聞いている。言っている意味がわからないというように、何も言葉を返してくれはしない。それでもいいの。
「今日あなたに会えてよかった。自分のものにできるかどうかはわからないけど。本物のあなたの笑顔を見たい。だから、私頑張るね…」
私の意識はそこでプツンと途切れた。
・・・・・
「毎度ォ、忍々PIZZAでーす」
気の抜けた声と共に、戸を叩く音が聞こえて私は玄関へと急ぐ。あれから現実の世界に戻った私はからくり堂のおじいさんにお礼を言って、家に帰るなりすぐにピザ屋に電話をかけて注文をした。そうして待つこと30分、ようやく到着したわけで。
「マルゲリータ一枚でお間違いないですか?」
「…はい」
先ほどもしも・しもしも転送機の中であった彼とは違う、他人行儀な彼の表情に少しだけ胸が痛む。お金を渡して商品を受け取れば頭を下げて背を向ける彼に、私は意を決して声を絞り出した。
「……ピザ屋さん!!!」
「…はい?」
こちらに振り向いた彼は訝しげな表情を浮かべている。私はピザの箱を握り締めながらこちらに戻ってくる彼を見上げて大きく深呼吸をした。
「あの、……っ、お兄さん、お名前はなんて言うんですか」
「…へ?俺の名前?」
「あ、あの、…よかったらお友達になってくれませんかっ!!?」
「……へ?」
ガチガチに固まりながらようやく絞りでた言葉は、もう自分でも笑ってしまうほど震えていて、その上顔は熱いし、瞬きの回数もきっと尋常ではないだろう。少し困ったように頭を掻き毟る彼に、やっぱり迷惑だったかと涙が滲みそうになる。かと思えば先ほど妄想の世界で見たのと全く同じように彼は困ったような笑みを浮かべた。
「なァ、それって逆ナン?」
「ぎゃ、逆ナン?ちがっ…!あ、いや、そうかも…」
逆ナンと言われれば確かにそうかもしれない。お友達になってくださいなんて、まるでナンパ師のようなセリフ。私の顔はますます熱くなって、いたたまれずに俯いた。そんな私の視界に彼の足元が映し出されて恥ずかしさに肩を竦めれば、頭上から小さく笑い声が聞こえた。
「俺ァね、ブス専なんだよ。悪ィがお姉さんみたいなべっぴんさんにゃ靡かねーんだ」
「……」
彼の言葉に私の胸は張り裂けそうになる。そうだよね、そんな世の中うまくいくわけないよね。っていうかブス専って。何それ、自覚あるの?ていうか褒めてくれてるのかな?あーあ、覚悟はしていたけど結構キツイなぁ。
「俺の名前は服部全蔵」
「…え?」
続く彼の言葉に私は思わず顔を見上げた。緩く上がる彼の口元に、私は脳内にはてなマークが浮かんだ。
「友達から始めりゃもしかすると、もしかするかも知んねーからな。女は顔じゃねーし」
「……え?」
「靡いちまうこともあるかもしんねーってことだ」
きっとあのヘンテコなカラクリで、妄想の世界に行っていなかったらきっと見ることができなかったこの世界。あんな怪しさ満載のカラクリに、私は背中を押され、勇気を出せた。おじいさん、ありがとう。そして優しい笑顔を向けてくれた妄想の世界のあなた、ありがとう。
妄想の世界ではなく現実のこの世界で優しく笑う彼を目の当たりにして、私の不毛な片思いが少しだけ前進した気がした。
もしもピザ屋の彼と付き合ったら
(あの、好きです!)
(早ェなオイ!友達なんじゃねーのか!)
-end-
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