飛花追想記/殉情録 | ナノ

触れ合う透明度 02.



稚内から私たちは一路小樽を目指す。
いくつかの行程を検討した結果、西の海岸沿いに進むのが最も人目に付きにくいのではないかと判断して、海沿いを南下することになった。かつて手塩州と称されていた界隈は、確かに目立つ産業も少なく27聯隊の兵が派遣されている可能性は低いと思えた。
「夕張や旭川からも距離がありますし」
「ああ。海上の軍船にだけ注意すれば、さして気を張ることもなかろう」
警戒すべきは鯉登中将が巡回に向けている船だけだということが私の気持ちを軽くした。それも今は真冬の最中だ。巡邏も手薄であろうことは想像に難くなかった。

稚内で宿を取った翌朝、私たちは宿の主人の紹介で馬を一頭入手することができた。尾形さん曰く「足元見やがって、老馬を高値で売りつけられた」とのことだが、背に腹は変えられないので私は黙って売手に金を渡した。
最低限の日用品と食料、野営用に毛布も宿の主人に融通してもらい、何とか旅支度を整えた私たちは、雪の降る中馬を走らせ南下を始めた。
「先程の宿の主人、私たちのことを誰かに話しそうですね」
立ち去る間際、私たちを値踏みするような目で見ていた男の粘つく視線が忘れられず、私は言う。尾形さんはさして気にもしない様子で白い息を吐き出した。
「汚ねぇ風体の割にお前が金を持ってたからな。……まあ、この雪の中追って来る根性はあるまい。怪我人とは言え軍服姿の男を追い剥ぎするなんざ、余程の馬鹿か暇人しかしないだろ」
「確かにそうですね」
彼の物言いに私は納得する。本物かどうかはさておき、北鎮部隊の兵士に危害を加えようとするのは自滅行為に違いない。私は頷き、前を向いた。

出来るなら人目につく街道を通ることは避けたかったが、雪深い山野を行くことは今の私たちには到底無理な話だった。とは言え、この雪の中を行く者はごくわずかだ。帽子と外套を目深に被っていればすれ違う者に特段気にされる様子もなく、私たちは少しずつだが確実に距離を稼ぐことができた。
馬に乗って進む間、私も彼もあまり言葉を交わさない。元来尾形さんは言葉数の多い方ではない。樺太の帰路でもそうだったが、彼と分け合う沈黙は不快なものでは無かった。風の音、馬の息づかい、私と尾形さんの呼吸するささやかな音。しんしんと雪の降る中を馬は黙々と歩む。進む道を厳密に決めているわけでもないので、尾形さんは手綱を緩く握るだけで、街道から逸れようとしない限り馬に任せきりにしていた。……不慣れな私たちより馬の方がずっと北の大地に詳しいだろうから、それは正しい判断に思えた。
朝起きて、街道沿いを進み、日が落ちる前に進むことを止めて夜明かしが出来る場所を探す。その繰り返しだ。
「慣れって凄いですね。樺太に比べれば、今の北海道の寒さも耐えられる気がしてしまいます」
「……油断して風邪でも引くんじゃねぇぞ」
「尾形さんこそ」
夜、毛布に包まり、互いに背を向けながらぽつぽつと会話をする。わずかな労りの感じられる言葉を向けられるだけで簡単に私の心は温まってしまい、もうすっかり絆されているな、と少し他人事のように思う。

そもそもの使命を忘れるな、新聞記者として中立な立場でこの金塊争奪戦に身を置くべきだと苦言する自分と、尾形さんの望むものを知り、行く末を彼の側で見守りたいと思う自分。
公と私、二つの意思が胸の中でぐるぐると渦を巻く。
『なまえを自由に、したいように生きさせてやって下さい』
父はそう言い残してくれ、今まではそのように己を優先して生きてきた。しかしこの金塊争奪戦においては、簡単に私事を選ぶことが許されないほど、事態が大きくなってしまっている。アイヌの金塊、そして尾形さんから明かされた北海道の土地の権利書の存在。それを巡って鶴見中尉と土方さん一派、そしてアイヌ民族を代表してアシリパさんがこの三つ巴の中に立たされている。杉元さんが、白石さんが彼女のそばに居るとは言え、まだ少女であるアシリパさんに背負わされたものの大きさに目眩がする。
……きっと、彼女はその全てに真正面から立ち向かうのだろうけれど。そう考えれば尚更、自分がどうすべきなのか惑ってしまう。
そんな問題を先送りするように私は目を閉じる。背に感じる尾形さんの体温に安心しながら、眠りに付く。いっそのこと、ずっとこの旅路が続けばいいのに。そんな叶わないことを思いながら。

道中で食料の買い足しと休息のため、とある漁村に立ち寄った。この辺りは冬場は漁に出ることが難しいらしく、働き盛りの男たちは炭鉱や雪の少ない地域に出稼ぎに出ているそうだ。
「軍人さんにお出しできるような立派なものはないんだけど、どうぞ食べとくれ」
「ありがとうございます、大変助かります」
樺太と同じく廃兵とその妻を装った私たちは、村人に故郷へ帰る途中であり、食料を分けてもらいたいと申し出た。すると良ければ今夜はここで休んでは、とその女性から願ってもないことを言われ、ありがたく甘えることにしたのだ。冬季で彼女たちも食料が心許なくあるだろうに、本当にありがたいことだ。……軍人であるということを示す尾形さんの軍服姿あってのことだろうが。
きちんとした屋根と火のある屋内は暖かく、この家の子どもたちのはしゃぐ声がまた暖かい。高い調子のその声に、樺太で別れてしまったチカパシ君とエノノカちゃんのことを思い出し、私の胸はじわりと痛む。反射的に涙が出そうになり、誤魔化すように鼻を啜った。
「……何泣いてやがる」
「泣いてません。寒いところから急に暖かいところに入ると鼻が出るでしょう。それだけです」
私が慌てて否定し尾形さんを軽く睨むと、子どもたちがそのやり取りを目敏く認めて騒ぎ出す。
「あー!おじちゃん、おねえちゃん泣かせた!」
「おい、人聞きの悪いことを言うな。こいつが勝手に……こらそっちの坊主、勝手に銃に触るな、危ねぇだろうが!」
子どもたちに責められて、尾形さんは眉間に皺を寄せつつも邪険にも出来ず、困惑した顔をしている。そんな尾形さんにお構いなしに子どもたちは彼にまとわりつき楽しそうに笑う。「男手が家に居るのが子どもたちも嬉しいんですかね、すみませんねぇ」と奥さんは申し訳なさそうに頭を下げる。私はと言えば、子どもたちに翻弄されまとわりつかれる尾形さんの様子が珍しくて可笑しくて、久しぶりに声を上げて大笑いした。指で涙を拭っていると、尾形さんは少しほっとしたような顔を見せた。
ーーまた、いつかのように気が晴れたかと聞くように問いかける瞳。私は返事の代わりに、彼に笑みを返した。言葉足らずの尾形さんの言葉より雄弁なそれを、私はいつしか理解するようになっていた。
その日の夜は優しい温もりに包まれて、ゆっくりと安らかな気持ちで眠ることが出来た。いつ振りかわからない深い眠りに落ちる中、柔らかく髪を撫でられる気配を感じた気がした。

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