飛花追想記/殉情録 | ナノ

冬霞を追う鳥 08.



そうしてあっという間に曲馬団の公演日がやってきた。色とりどりの幟が樺太の冬空に映える。公演を楽しみにしているであろう人々が、笑顔で曲馬団の天幕へと吸い込まれていくのを私は眺めていた。
「あっ、なまえいた!」
人波の中にエノノカちゃんと彼女の祖父の姿を見つけ手を振れば、二人はこちらへとやって来た。
「エノノカちゃんとお祖父様も見にいらして下さったんですね。皆喜ぶと思います」
「鯉登ニシパが券くれたの。チカパシ大丈夫かなぁ」
「そうだったんですね。大丈夫ですよ、チカパシ君もたくさん練習されていましたから」
心配そうな顔をするエノノカちゃんにそう告げれば、彼女は祖父の手を引き笑顔を輝かせて客席へと進んでいった。私はそれを見送り、裏手へと回る。楽屋では公演前の支度が佳境なようで、衣装を身につける者、化粧台を奪い合う者、小道具の確認に余念のない者……と、嵐のような慌ただしさだ。
その片隅で男たちは普段と異なる出立ちで出番を待っていた。
「すっかり準備は整ったみたいですね。……って、大丈夫ですか谷垣さん」
可愛らしい少女団の衣装に身を包んだ谷垣さんが、しゃがみ込み背を丸めている。上手くいくか不安なようだ。周りを囲む男たちは半ば諦めた様子を見せていた。
「ゲンジロちゃん、私たちは向こうから出るよ。行こう!」
「紅子先輩……!」
と、そこにひとりの少女が現れる。他の少女たちより少し歳上に見える彼女は、谷垣さんへ手を差し伸べた。それに縋るように谷垣さんは立ち上がり、励まされながら舞台袖へと移動していった。
「月島軍曹殿も頑張ってくださいね」
「……あまり見ないでもらえると助かるんだが」
普段と変わらなく見える表情の月島軍曹は少し目を逸らしながら言う。確かに職務の一環とはいえ、こんなことにならなければ月島軍曹の踊りなど目にする機会は無かっただろう。彼でもやはり気恥ずかしくあるのだろうか。そう思いながら、私は曖昧に微笑んで月島軍曹を送り出した。隣で同じく月島軍曹を見送る杉元さんが、ふと呟いた。
「みょうじさんも出れば良かったのに。綺麗なんだし。……見たかったな、俺」
もぞもぞと小声で告げられた言葉に、自分の頬にさっと血が昇るのを感じた。勢いを増す胸の音を悟られぬよう、笑いながら努めて冷静に返事をする。
「私は芸なんて出来ませんよ。ただの記者ですから。ちゃんと見ていますから、頑張って下さいね杉元さん」
「任せといて!」
見上げた瞳がきらりと輝く。その光はやはり頼もしくて、眩しい。思わず目を細めたところに、鯉登少尉がずいと割って入ってきた。
「なまえさん!杉元なんぞに頼らずとも、オイの華麗な軽業でこん公演は話題沸騰間違いなしだ。安心して良か記事を書いてくれ!」
「だから!てめぇが目立っても意味ねーんだよ!!」
「あーっほら、お二人とも喧嘩してないで!早く袖に移動してくださいって座長さんが仰ってますよ!」
睨み合う屈強な男に挟まれた私はたまったものではない。二人を宥めながらそれぞれと順に目を合わせて微笑んだ。
「お二人とも頑張ってください、どちらも楽しみにしていますから」
そう言って背を押せば、満更でもない顔をして杉元さんと鯉登少尉は舞台袖に並んで向かった。
「大丈夫かな……」
何事もなく終わることを願いながらも、この顔ぶれで何事も起こらないなんてあるのだろうか、と私は不安を抱かずにはいられないのだった。

座長の口上でヤマダ曲馬団の樺太公演は幕を開けた。私も末席で彼らのことを見守った。海外巡業で鍛えられた曲馬団の芸は単純に素晴らしく、目を見張るものがある。目の前で次々と繰り広げられるそれに、私も素直に感嘆の声を上げて魅入っていた。
鯉登少尉の軽業はそんな団員たちのものに見劣りすることもなく、芸の巧みさだけでなく持ち前の華も相まって観客を湧かせていた。舞台端にいる座長が感極まって震えているのが目に入った。きっと、どうにかして彼を曲馬団に残らせたいと考えているのだろう。
終始不安そうだった谷垣さんも、強ばった表情ながら振り遅れることもなく演技をしている。月島軍曹共々、厳つい男二人が可愛らしい少女たちの間で踊る様は妙なはずなのに、不思議と馴染んで見える。彼らにも温かい拍手と声援が送られていて、私はほっと胸を撫で下ろした。
順調に演目が進む中、風向きが怪しくなったのは、鯉登少尉の坂綱の芸が行われた時だった。急角度に張られた綱を上がっていく鯉登少尉が、突然叫び声を上げたと思ったら何かを追うように飛び出したのだ。そのまま彼は高梯子に飛び移り、紙の橋を駆け渡り、自転車の曲乗りから馬の曲乗りへと飛び移る。そのまま空中で揺れる梯子に乗った男に飛び付き、最終的に綺麗に地上へと着地した。その軽業に大歓声が客席から湧き上がったが、私は気が気でなく席を立ち舞台袖へと走った。開演前の不安が現実のものになりそうで。
舞台上には杉元さんが登場し、彼の演目であるハラキリショーが始まろうとしていた。舞台袖では月島軍曹と鯉登少尉が何やら神妙な顔で会話をしていた。
「あの、どうされたんですか」
「なまえさん……」
珍しく目が泳ぐ鯉登少尉へ問い掛けると、とんでもない答えが返って来た。
「仕返しに手品の刀の刀身を、私の軍刀のものとすり替えた」
「どういうことですか」
何でも、先程の鯉登少尉の予定にない行動は、綱の先に付けられた鶴見中尉の写真を回収しようとしたものだったらしい。それは月島軍曹が鯉登少尉を失敗させ、杉元さんを発奮させるために仕込んだ物だったそうだが、杉元さんの仕業だと思い込んだ鯉登少尉は、腹いせに刀身をすり替えてしまったのだ、と。
「私が手を汚せば丸く収まるという目論見でしたが、裏目に出てしまいました」
淡々と月島軍曹は告げるが、私は自分の顔から血の気が引いていくのを感じていた。
「と言うことは、今杉元さんが持ってる刀は……」
ハッと袖から舞台を見ると、刀を携えた杉元さんの腕に、助手のチカパシくんが浄めの水をかけているところだった。言われてみればその刀身は手品用のものとは違い、生々しい鋭利な光を放っている。
「ど、どうするんですかあれ!止めないと…!」
私が言う間にも、杉元さんの腕からは鮮血が流れ出している。杉元さん自身も目を剥き、手にした刀が模造品ではなく真剣であることに気付いたようだ。一瞬躊躇いを見せたがしかし、彼はそのまま芸を続行する。この公演を成功させ、アシリパさんへ己の無事を伝えるという覚悟が彼をそうさせているーー。
太鼓の音が会場を埋める人々の鼓動のように響く中、杉元さんは己の腹に刀を突き立てようとした。止めるに止められない私たちは固唾を飲んで見守るほか無かった。
と、その時。不意に舞台上に現れた三人のロシア人が、杉元さんへ拳銃を向けた。
「えっ」
私が息を呑むその一瞬の間に、杉元さんは手にした刀で暴漢の手を斬り落とした。飛び散る鮮血に、客席からも悲鳴ともつかない声が上がる。別のロシア人が発砲するが、それを交わした杉元さんが投げた刀が喉元へと突き刺さった。
分が悪いと逃げ出そうとした最後の男は、飛び出した月島軍曹の拳に打ちのめされた。
「すごい仕掛けだ!」
わっと湧く客席。観客には全て演目の一部と思われたらしい。
「全員でご挨拶!!その隙に遺体を回収だ!」
座長の一声で団員たちが一斉に舞台へと上がる。そのまま何事も無かったかのように、万雷の拍手の中曲馬団の樺太巡業は終演した。
「……はぁ、良かった」
私はひとり、舞台袖で座り込み安堵のため息を漏らしたのだった。

「本当は山田座長を狙うつもりだったようだ」
客が捌けた後、月島軍曹が捕らえたロシア人から聞き出した経緯。山田座長は元陸軍将校で、何年も曲馬団を隠れ蓑にロシア各地で諜報活動を行っていたらしい。そんな彼を狙った犯行だったとのことだ。確かに巡業し公演を行う曲馬団は、諜報活動にうってつけだろう。
山田座長からパルチザンの残党たちが収監されている監獄の情報も得ることができ、一連の作戦は無事終わりを迎えた、のだけれど。
「みょうじさんッ!!大事なところ誤字ってる!!」
「わ、私じゃないです!私はちゃんと『不死身』って書いて……!!」
豊原から出発する間際に入手した、今回のヤマダ曲馬団の記事が掲載された新聞には、『不痔身』の杉元と印刷されてしまっていた。と言うか、そもそも私が書いた内容が、紙面の都合上か割愛に割愛を重ねられほぼ原型を留めていなかったのだ。
「しかも鯉登少尉の内容ばっかり……」
「私が書いた文が殆ど残ってない……」
落ち込む私と杉元さんを尻目に、「私が一番活躍したのだから当然だ」と鯉登少尉はご満悦だ。そんな私たちの様子を谷垣さんと月島軍曹はひどく面倒臭そうに眺めていたのだった。

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