冬霞を追う鳥 07.
男たちが宿に戻って来たのは、とっぷりと日が暮れてからのことだった。月島軍曹と谷垣さんは、あのロシア人の集落でスチェンカをした時よりも疲れ果て、げんなりとした顔をしている。逆に生き生きと楽しそうなのは杉元さんと鯉登少尉だ。私の姿を認めた鯉登少尉は、にこにこと少年のような笑顔をこぼして言う。
「なまえさん、私の華麗な馬乗り姿見たじゃろう!明日はもっと凄かことをすっで、是非練習を見に来てくれ!」
「あ、はい……。ところで、どうして皆さんは曲馬団で芸をすることになったのでしょう」
私が困惑した顔で聞きたかったことを口にすると、男三人の視線が杉元さんへと集中した。見られた当人は「俺ぇ?」と自分を指差している。……スチェンカに続き、やはりきっかけは杉元さんにあるらしい。
聞けば何でも、私が別行動になった後、杉元さんの荷物が物盗りに奪われてしまったのだという。それを追って豊原の街中を駆け回り、最終的にたどり着いたのが、あの曲馬団の天幕だったらしい。物盗りの少年は曲馬団の団員だそうで、盗られた背嚢はすんなりと返却された。そこで杉元さんが閃いてしまったのだ。
「この広い街の中を聞き込みしても効率的じゃねぇ。俺が生きていることをアシリパさんに伝える方が手っ取り早くないか?」
と。
「それで『不死身の杉元ハラキリショー』ですか」
「そう!樺太公演に出て、この豊原に俺の名前を轟かせるんだ!」
「なるほど……」
「なるほど、じゃないだろみょうじ。頼むから止めてくれ」
杉元さんの勢いに思わず頷いてしまうと、谷垣さんに懇願された。谷垣さんと月島軍曹は曲芸には向いていないと判断されたそうで、曲芸に花を添える少女団に参加するらしい。……それで月島軍曹が『踊りの稽古』と言っていたのかと得心した。谷垣さんは全く乗り気でないようで、眉を下げ情けない顔をしている。
「みょうじさん、ここの新聞社の人と知り合いになったんだよね。今回の曲馬団の公演のことを記事にして、載せてくれるように掛け合ってくれないかな」
「それなら何とかなりそうです。私が取材して、記事を書いてお渡しすれば良いですしね。明日にでもお願いしてみましょう」
杉元さんに言われ、私は肯首した。気の毒だが谷垣さんには頑張ってもらうしかない。そして私は、自分が芸をする側にならなくて良かったと、密かに安堵の息を吐いたのだった。
次の日、私は早速新聞社を再訪した。昨日の経緯を知っている水野さんに曲馬団の記事を書かせて欲しいとお願いすると、快く承諾してくれた。
「うちも手が足りて無いんでね。一本でも君が記事を書いてくれれば助かるよ。……お連れの兵隊さんたちが面白いことしてくれそうだしね」
何かが起こることを期待する水野さんには申し訳ないが、私としては何事もなく終えて欲しいとしか思えない。愛想笑いを浮かべて、曲馬団の稽古を見に行くと暇を告げた。
豊原の街を歩きながら、私は先を行くであろう尾形さんたちのことを考える。彼らもきっとこの街には立ち寄ったはずだ。北上するにもそれなりの物資を入手しないことには、この寒さ厳しい土地を進むことが出来ないはずだから。そう考えて、どこかに痕跡がないかめぼしい店先で聞き込みをしてみるが、わずかな手掛かりも得られない。杉元さんの言うように、この広い街ではいくら目立つ取り合わせの四人連れとはいえ、容易に紛れ込んでしまえるのだろう。特にキロランケさんと尾形さんは、追手が来ることを考えて用心深く行動しているはずだ。
杉元さんの無事を知れば、アシリパさんと白石さんなら、二人で杉元さんのところへやって来ることは十分に考えられる。杉元さんの言うように、闇雲に探し回るより実際『効率的』だとも思う。
ーーでも。アシリパさんが今こちらに帰って来たら。
彼女の身柄は27聯隊の保護下に入ることになる。それはこの金塊争奪戦において、鶴見中尉の勝利を意味するのではないだろうか。鶴見中尉の考える未来は、きっとアシリパさんの望むものとは違うはずだ。
一時的に鶴見中尉と手を組むしか杉元さんに選択肢は無かった訳だが、ここから先のことを彼はどのように考えているんだろう。
そして私は、どうすべきなのだろうか。
不意に伸びてきた手に肩を掴まれた気がして、私は怯えて後ろを振り返る。そこには当然誰も居ない。通りすがりの男に訝しげな顔をされただけだった。
曲馬団の広々とした天幕の中では、二日後の公演に向けての準備が着々と進められていた。軽業師たちはそれぞれの技を練習し、段取りを確認している。その中で鯉登少尉が彼らに教わりながら芸を磨いているのが見えた。持ち前の身体能力でどんな技も器用にこなしているようで、曲馬団の座長が『技を磨けばうちの花形になれるどころの話じゃないぞ!樺太巡業は彼で話題が沸騰するぞ!!』と興奮していたのも良くわかる。……鯉登少尉は見栄えもするのだ。こういった場では彼の華やかさは大変な武器になるだろう。
端の方から可愛らしい声が聞こえて、そちらへ目を向けると、少女団の稽古が行われている。少女たちの間に無骨な男が二人。月島軍曹と谷垣さんだ。彼らは扇子を手に振り付けを覚えているようだ。月島軍曹はいつもの仏頂面ながら順調に踊っているように見えるが、谷垣さんは……どう見ても振り遅れている。遅れているというか、全く踊れていない。
「大丈夫ですか谷垣さん」
「…… みょうじ」
休憩に入り座り込んでいる谷垣さんに思わず声をかけると、弱々しい返事が返ってきた。見れば大の男が半分涙目になっている。
「だから止めてくれと言ったんだ……」
「ごめんなさい……」
大きな体を丸めて、恨みがましげに言われ思わず謝ってしまう。が、何故私が謝っているのだろう。そう思っていたら、月島軍曹が「気持ちはわかるがみょうじに当たるな谷垣」と横からため息混じりに口を挟んだ。そして私に向き直り、杉元さんの様子を見て来て欲しいと告げる。
「奴の出来が悪いと話にならん。……妙なことをしないかしっかり見張っていてくれ。谷垣は俺が何とかする」
「わかりました。……谷垣さん、頑張って下さいね」
励ましの言葉を谷垣さんへかけ、その大きな背を撫でて私はその場を後にした。
杉元さんは天幕の端で腹切り芸の稽古をしていた。チカパシ君が杉元さんの助手役らしく、側で神妙な顔をしているのが見える。これはあくまで芸であること、客にそれらしく信じ込ませて手際良く行うことが肝心だと山田座長が二人に説いている声が聞こえてくる。
「どうですか、進捗は」
「あーッ貴方からもこの人に言ってやって下さい!変なこだわりは要らないんだって!」
私が様子を伺うと、座長から助けを求める声が上がる。杉元さんは心外だと言わんばかりに唇を尖らせている。
「実際こういうゆっくり引き裂く切り方は痛えんだよ。刺されたりすんのはすぐには痛くねえけど」
「なるほど」
「そんな怖いこだわりは良いですから!!記者さん、貴方も納得してないで!!」
「あっ、すみません」
杉元さんの実体験に基づいた言動に思わず感心してしまい、座長からお叱りを受けてしまった。と、向こうから歓声が上がり私たちは揃ってそちらへ首を向ける。そこでは鯉登少尉が一本の長い竹の上に乗っているのが見えた。
「観客に向けてキスを投げて下さい。『投げ接吻』です。海外では受けるんですよ」
「……こうか」
鯉登少尉が団員の言う仕草をすると、女性たちから黄色い声が上がる。それに気を良くしたのか、様子を見ていた私に気が付いたらしい鯉登少尉が、こちらへ向けて再度その仕草をした。
「……あの野郎ッ」
私がよく分からず目を瞬かせていると、何故か機嫌を悪くした杉元さんがずかずかと鯉登少尉の方へと近づいて行った。
「いい加減にしろ鯉登少尉ッお前は樺太公演に必要ないぞ!」
「文句があるなら実力で私の芸を凌駕すれば良いだろ。私に軽業を止めさせようとするのは…貴様の『血みどろハラキリ芸』に自信がない表れではないのか?」
鯉登少尉の言葉は全くの正論で、杉元さんは唸りを上げる。少尉はさらに続けて言う。
「その程度の気概で『この街に杉元の名を轟かそう』など片腹痛いわ!!」
完全に論破されてしまった杉元さんは「何か他に妙案はないだろうか、客が熱狂するような芸は……」と歯噛みしている。
「ハラキリ芸だって完璧にやれば充分話題になりますよ!」
「そうですよ杉元さん。しっかり練習して、お客さんをアッと驚かせましょう!私がしっかり記事にしますから!ね?」
そうして何とか杉元さんを宥め、稽古に戻らせる。
……本当にこれで大丈夫なのだろうか。私は杉元さんと座長の稽古を眺めながら、そっと嘆息した。
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