飛花追想記/殉情録 | ナノ

冬霞を追う鳥 06.



岩息と別れた後、私たちもすぐにスチェンカが行われていた集落を出発し、数日で樺太最大の街・豊原へと辿り着いた。
「確かにこれは大きな街ですね……」
「ここならきちんとした宿もあっじゃろう。買い物も出来っな!」
感嘆する私に鯉登少尉の嬉しそうな声が続く。軍人とは言え育ちの良さそうな彼は、出来る限りきちんとした宿と寝具で眠りたいという欲を隠しもしない。その素直さが眩しく思えて、私は笑みをこぼした。
「なまえさん、なまえさんも疲れたろう。今夜はちゃんと眠れるな」
「そうですね。お風呂もいただけると嬉しいのですが」
「おーい、軍曹が宿に行くって言ってるぞ」
他愛もない会話をしていると杉元さんの呼ぶ声が聞こえた。今夜は鯉登少尉の希望通り、豊原で一番良い宿に泊まるようだ。
「あの、私少し出て参ります。ここなら新聞社があるでしょうから、アシリパさんたちの目撃情報がないか聞いてきます。買い足したいものもありますし」
「……そうか。気をつけてな」
投宿先を把握した私は、かねてより考えていたことを鯉登少尉へ告げた。少尉は少し残念そうな顔をしたが、止めることなく送り出してくれた。
軍人然とした彼を連れ歩くことは利点もあるが、訝しく思われることも多い。特にこれからのような情報収集においては。なので、ひとり身軽に動ける状況がありがたかった。

豊原の街は活気にあふれ、人の往来も多い。見る限り日本人の数も多いが、軍服姿の者は見かけなかった。……これなら、もし尾形さんが誰かの目に止まっていれば印象にも残りやすいだろうと思う。彼のことだ、用心深く外套で軍服を隠しているだろうけれど。
途中、小間物屋で日用品を買い足しついでに新聞社の有無を問えば、近くにあると教えてもらえた。聞いた場所へと向かうと確かに掲げられた看板が見えた。ためらいもせず戸を叩けば、中から人の良さそうな顔をした男が現れた。
「突然の訪問ごめんくださいませ。私は北海道は小樽にある新聞社で記者をしている者なのですが」
「……あ、もしかして噂の人かな」
「え、」
「立ち話も何だし、入って。寒いでしょ」
訳もわからず目を瞬かせていると、男は屋内へと私を招き入れた。中では数人が机に向かってそれぞれ原稿を書いたり作業をしていた。勧められるままに席へ付けば、温かい茶が供された。
「えっと、みょうじさんだったかな。少し前に小樽から郵便が来てたんだよ。『みょうじという名の女が訪ねて来るかもしれない』って」
「もしかして、斎藤編集長からですか!?」
「あ、うん、そう。『困っているようであれば助けてやって欲しい』とね」
驚きのあまり大声を出してしまい、今度は目の前の男が目を瞬かせている。心臓が跳ね、私は拳を握りしめる。……私の行先を予想し、便宜を図るよう手筈してくれていた編集長の心遣いに涙が滲む。勝手ばかりしている私なのに、祖父や伯父たち、そして編集長と、力強く私を支えてくれていることを改めて感じた。しかし感傷に浸っている時間はない。胸いっぱいに息を吸い込み心を落ち着ける。さっと目尻の涙を拭い、目の前の男に向き直った。
私は『脱走兵に連れ去られたアイヌの少女を追っている』という体で手短にここまでの経緯を伝え、先行するキロランケさんたちの目撃情報がないか問うた。
「脱走兵にそれを手引きしたアイヌの男、それに坊主頭の男と拐われたアイヌの少女、か。確かにそれは目立つ取り合わせだねぇ。……誰かそういう四人組見かけたりしなかったかな」
水野と名乗った私を招き入れてくれた方が、他の新聞社の面々に聞いてくれたが芳しい答えは無かった。
「軍服は脱いでいる可能性もある。何か写真とか無いかな」
「写真……あっ、あります」
水野さんに聞かれて、尾形さんの写真を一枚だけ自分が持っていることを思い出した。手帳に挟み込んでいたそれを見せると、しげしげと眺めた後「俺は覚えがないねぇ」と言った。他の方々も同様らしい。
「上等兵か。……もしかして君の良い人?」
「ち、違いますっ」
唐突にそんなことを聞かれ、私は勢いよく首を横に振る。……尾形さんと私はそういう関係ではない。そのはずだ。私の動揺を見て取った水野さんはふと笑みを洩らした。
「あ、そうなの。もしこの男を見かけたら、君が探していたことを伝えても良いのかな」
「……構いません」
一瞬、迷ったが私は了承の意を伝えた。尾形さんたちには警戒されるかもしれないが、私ひとりの存在を伝えたところで大した影響は無いだろうと考えて。
その後、少し雑談を交わしそろそろ暇乞いをしようかと考えていた頃。私の耳に銃声が飛び込んで来た。さして遠くないところから響く二度の発砲音。何かあったのかもしれない……ほとんど確信めいてそう思った。
「近いな」
「すみません、長らくお邪魔致しました」
そそくさと外套を掴み、席を立つと水野さんも立ち上がった。
「いや、こちらこそ引き留めて悪かった。あの銃声に覚えがあるのかな?私も少し同行して良いかい。道案内くらいは出来ると思うけど」
「お願いします!」
私が言えば、水野さんはにっこりと微笑んだ。
「君の周りには面白いことがたくさん起きるようだね」
新聞記者向けで羨ましい、と彼は呟いた。

水野さんを伴い、銃声の聞こえた方へ豊原の街を歩く。街のあちこちで聞き込みながら進むと、軍服姿の男が物盗りを追っていた、大変な足の速さと身軽さだったと早くも噂になっていた。……鯉登少尉だろうか、と私は見当を付ける。先の銃声も鯉登少尉の持つ拳銃だろう。
「君のお連れ様も随分と面白い人みたいだね」
「……まあ、そうかもしれません」
歩きながら水野さんは感心したように言う。私は苦笑混じりに相槌を打つほか無かった。その『面白い人』は帝国陸軍の尉官位ですと伝えたなら、水野さんはどんな顔をするだろうか。
そうして最終的に辿り着いたのは、町外れに建てられた大きな天幕だった。見慣れぬそれに首を傾げていると、水野さんが「この街に興行に来た曲馬団だよ」と教えて下さった。街から街へと渡り歩く軽業師たちのことらしい。日本ではまだ珍しいそれに、私の好奇心が疼き出す。華やかな色合いの天幕や幟も客寄せのものと考えれば納得だ。
私たちは一際騒がしい大天幕を覗き込む。そこには何やら大きな桶と格闘する杉元さん谷垣さん月島軍曹と、軽やかに馬に曲乗りする鯉登少尉の姿が見えた。
「あれがみょうじさんのお連れ様?」
「そうです……」
どう見ても軽業師ではない軍服姿の男たちの滑稽な姿に、笑いを堪えた水野さんの声。私は反応に困った返答を返し、目の前で繰り広げられる光景を呆然と眺めた。私が居なかったほんの少しの間に、どうしてこんなことになるのだろう。
「なまえさーん!」
華麗に馬を操る鯉登少尉が私に気付いたようで、ぱっと笑顔を咲かせて手を振る。私はそれに応えて小さく手を振った。鯉登少尉の声で他の三人がこちらへ顔を向けたので、そちらへ近付き声をかけた。
「これは一体、どういうことなんですか」
「まあ、話せば長くなるが……簡単に言えば、この曲馬団で芸をすることになった」
「はぁ」
渋い顔の月島軍曹から放たれた言葉に、間抜けな返事を洩らしてしまう。着いてきた水野さんがまた笑いを堪えている気配を感じる。
「とにかく、そういうことだ。詳しくは夜にでも話す。……踊りの稽古がある。行くぞ谷垣」
「えっ、踊りって……ちょっと、月島軍曹殿ーッ」
谷垣さんを連れて月島軍曹は去って行く。杉元さんも何かの練習をするらしく、手を振ってどこかへ移動してしまった。
すっかり置いてけぼりの私の耳に、水野さんの「いいネタが転がってきたなァ」という呟きがやけにはっきりと響いた。

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