飛花追想記/殉情録 | ナノ

はじまりの中の赤 04.



ふと原稿用紙から顔を上げると、傾いた陽が差し込んで来ていた。今日は日がな一日自室で調べ物と原稿の推敲をしていた。随分と集中して書き物に没頭していたらしく、机の端に置いていた父の形見の懐中時計に目をやれば、針は夕刻近くを指していた。鉛筆を置き、伸びをして肩を回す。冷え込んできた室内を暖めようと火鉢の炭を起こし、雨戸を閉めようと障子を開けると、濡れ縁に思いもかけない人の姿があり、私は飛び上がった。
「な、なんで尾形さんがここに……」
「随分と不用心ですなぁ。俺が来たことに少しも気付かんかったな」
ははあ、と妙な笑い方をして、尾形さんは私を見上げる。一体いつからこの男はここに居たのだろう。そもそもこの家をどうやって知ったのか。私が困惑していれば、彼はさっさと靴を脱ぎ、勝手に火鉢の前に陣取ってしまった。そして縁側の方へ顎をしゃくる。見れば片隅に、撃ってきたらしき鳥が置いてあった。
「……お土産ですか?」
「腹が減った。女学校出のお嬢さんなら、料理くらいできるんだろ」
ただの土産というわけでもないらしい。私はため息を吐きながら雨戸を閉め、鳥を拾い上げて土間へと向かった。とりあえず、研いである米を炊こう、と思いながら。

よく分からないままに、尾形さんと夕食の卓を囲む。先日飯屋で昼食を共にした時にも思ったが、彼は意外によく食べる。神経質そうなので食にうるさいかと思えば、そうでもないらしい。私が出したものに特段文句も言わず箸をつけている。…従軍していれば贅沢も言っていられないだろうし、訓練で体を動かせば腹も減るだろうから、ごく普通のことなのかも知れないが。
私がそんなことを考えながら様子を伺っていると、何だと問いたげな視線が向けられた。
「今日は非番ですか。」
「……ああ。」
「どうして私の下宿を知っているんですか」
「お前、気付いて無かったか」
「気付くって、何に……」
むっとして言えば、揶揄うような顔をして尾形さんは言う。
「ここの家に程近い呉服屋の場所を俺に聞いただろう。あとはその辺にいたやつに、最近この辺りに越してきた女が居るかと聞けば、一発だったな」
「…あ!」
思い出した。小樽へ着いた日、確かに27聯隊の肩章の付いた兵卒に声を掛けた。あれは尾形さんだったのか。
「新聞記者ともあろう者が、話し掛けた相手の顔も覚えとらんとはな。注意力が足りないんじゃないか」
「あの時は、仕事じゃ無かったから…」
「言い訳だな」
鼻で笑われるが、言い返せない。尾形さんは味噌汁をすすりながら、更に言う。
「そもそも軍服を着ているとは言え、見ず知らずの男に自宅付近の情報を伝えるなんぞ、危機感に欠けているな。良さげな身なりをしていたんだ、後を尾けられてもおかしく無かったぞ。…あと、未婚の女が軽々しく男を家に上げるな。警戒心が無さすぎる」
つらつらと最もなことを指摘されてしまい、私は言葉に詰まりながら言い返す。
「家に上げるな、って尾形さんが勝手に上がり込んで来られたんじゃないですか。食事まで要求しておいて、その言い草はひどいんじゃないでしょうか」
「ははぁっ」
また妙な笑い声を上げ、尾形さんは機嫌良さそうに目を細めた。完全に揶揄われている。
「おいなまえ、酒はないのか」
「ありません。ここはお店じゃありませんから。呑みたいなら他所へ行ってください」
はっきりと言ってやれば、尾形さんはさして食い下がる風もなく、ふんと鼻を鳴らして残っていた鳥の煮物を口にした。

食事を終えると、尾形さんはさっさと兵舎へ帰って行った。本当に、気分屋の野良猫みたいな人だ。

→次

back



×
「#お仕置き」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -