飛花追想記/殉情録 | ナノ

閑話:空よりの客



「旦那様、郵便でございます」
いつものように使用人から郵便を受け取る。名目上は現役を退いたとは言え、まだまだ立花のところへは挨拶や依頼の文が日々届けられる。数枚の葉書に混じって、それは立花の元へと届けられた。長旅を経て、秋風の匂いを纏わせた一通の封書。端正な字で綴られた裏書を見るまでも無い。
「やれやれ、今度は何処から送ってきたのやら」
苦笑混じりの独り言を漏らしながら、立花は文箱から小刀を取り出す。封を丁寧に切り、開いた中には数枚の便箋と共に一枚の写真が同封されていた。
「おや」
目を丸くしたところで、廊下を渡る慌ただしい足音が近付いて来た。
「父さん、なまえから手紙が届いたって!?」
「お前はいつまで経っても喧しいのう」
もう少し家長としての威厳と落ち着きを持て、と苦言を呈するが長男は意に介さない。どすん、と勢い良く立花の前に座り鼻息荒く問う。
「あの子は!今何処にいますか!」
「手紙の消印は北見だな」
「釧路から北に…?一体何処へ行くつもりなんだ…」
ぶつぶつと長男は呟き、眉を顰める。頭の中では先の街に都合の付く者が居るかを検討しているのだろう。可愛い妹の忘れ形見を心配しているのは分かるが、息子は孫娘が負った使命を忘れてはおらぬかと立花は嘆息してしまう。

なまえが北の大地へ飛び出してもうすぐ一年。最初こそ定期的に便りが来たが、春先に釧路を発ってからはまちまちとなった。届けられる手紙や電報には繰り返し自分は無事であること、心配を掛けて済まないことが綴られているが、彼女が今、何処で誰と何をしているのかは曖昧にされている。それはいつ、出した手紙が彼女の追う陸軍中尉の手に渡るか分からないからという用心に他ならない。
孫娘が危険な橋を渡っていることは立花も承知しているし、北海道行きを依頼して来た新聞社の重役や、陸軍の者から随時事の進捗報告を受けてはいる。双方からなまえの働きは上々だと高い評価を聞くが、それも彼女の所在や行動の確信に迫ったものではない。情報はどこから流出するか分からないものだ。致し方ないのは立花も理解している。
なまえは忙しない旅路の中でも原稿を書いては釧路へ送っているらしく、ぽつぽつと彼女の手による記事が新聞に掲載されている。小樽の新聞社から届けられるそれを見ては、立花は孫娘の身を慮るばかりだ。

「ほれ、この通り元気にしているようだぞ」
ひらりと同封されていた写真を見せると、長男はカッと目を見開く。そこには北海道へ立つ前に仕立てさせた洋装に身を包んだなまえが写っていた。
「ああ…少し痩せたか……」
「そうさな。しかし随分と良い顔をしていると思わんか」
「……そうですね」
僅かに微笑みを浮かべるその顔の、真っ直ぐな眼差しは東京にいた時と変わらない。しかし、ここにいた時に彼女が折々に漂わせていた、世を倦むような気配は写真からは見られなかった。代わりに見えるのは、しっかりと地に足の付いた、生きた表情だ。
写真を食い入るように見ていた長男は、しばしの沈黙の後、長々と息を吐き出した。
「父さんがなまえを北へ行かせると聞いた時は、何を言い出すのかと思っていました。今でもすぐに呼び戻せるものならそうしたいとも。…ですが、こんな顔をされては、無理強いは出来ないですね」
諦めたように寂しく微笑み、少し出て参りますと言って長男は立花の部屋から立ち去った。
息子の背を見送り、立花は煙管に火を入れる。煙を燻らせながら、再び手元の写真を見る。若くしてその生涯を終えた愛娘の面差しに似た、しかし確実に異なるその姿。男であればもっと生きやすかっただろうかと彼女に言ったこともあったが、性別なぞ関係ないと言わんばかりに、なまえはその足で己の道を切り拓いている。
遠い秋空の下で、今もがむしゃらに突き進んでいるであろう孫娘を思い、立花は静かに微笑んだ。

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