万華鏡の欠片たち 03.
土方さんと牛山さんの背を追って、私は夜の森を歩く。力強い二人の姿が視界にあるだけで、こんな闇の中でも先程までの心細さはもうない。前を歩く土方さんの白髪が、洋灯の灯に照らされ道標のように光って見えた。
「近くにはいなさそうだな。何も聞こえん」
牛山さんが周囲を窺いながら言う。確かにしばらく前まで時折聞こえていた銃声もなく、森はうっそりとした静けさを取り戻している。
「夜明けが近い。都丹たちは根城へ戻るはずだ。それがどこにあるかだが…」
土方さんが呟く。夜陰に乗じての奇襲が盗賊たちの常套手段なら、明るくなってしまえば形勢が不利になる。この見通しの悪い森の中で、手がかりもなく彼らの潜伏先を見つけるのは、かなりの運がないと無理だろう。
と、その時牛山さんがぐっと首を横に向けた。
「……何か聞こえんか」
「犬の鳴き声?…あっ、リュウかもしれません」
牛山さんの声に耳をすませば、私にも微かに聞こえたような気がした。二人とともに鳴き声が聞こえた方向へ足を向ければ、そこにはやはりリュウと、全裸の白石さんとチカパシ君が居た。
「なまえだ!」
「なまえちゃーーーん!」
「ち、ちょっと白石さん、ご無事で何よりですがあんまり近寄らないでください…」
再会を喜ぶ白石さんとチカパシ君には申し訳ないが、今の彼らはあまり直視出来た姿では無い。今にも飛んで来そうな白石さんから逃れるように牛山さんの背に隠れると、牛山さんは「そうか、みょうじはこういうのは不慣れか」と笑う。白石さんは「クゥーン」と鳴いて眉を下げていた。
「なかなかな姿のところ悪いが、都丹たちの潜伏先は分かるか、白石」
「寝床を探す前に襲撃されちまったからなぁ…あ、こいつなら追えるんじゃないか」
「リュウは谷垣さんを追って来た実績もありますしね」
土方さんの問いに、白石さんはチカパシ君の側で座るリュウを指差す。私も同意するが、先行している彼らの匂いを嗅がせるものがないこの状態で、果たしてリュウは跡を辿ることができるのだろうか。
「リュウ、杉元ニシパたちはどこ?」
チカパシ君がリュウに話しかけると、リュウはついて来いと言うように歩き出した。
「追ってみるか」
「闇雲に歩き回るよりは良かろう」
牛山さんと土方さんは頷き合う。私も彼らの後に続いた。
そうして、森を抜けた私たちは廃屋となった待合旅館の前に辿り着いた。辺りに人影はないが、窓や出入口が厳重に塞がれているそこは、光を必要としない盲目の囚人たちの隠れ家にうってつけのように見える。
「…始まっているな」
土方さんがギラリと目を光らせる。その言葉に続くように、廃屋の中から激しい物音が聞こえて来た。
「なまえ、お前はここで白石たちと待っておれ。…牛山」
「おう」
土方さんの言葉に私は頷き、二人が旅館へ近づいていくのを白石さんとチカパシ君と共に見守る。声を掛けられた牛山さんは、塞がれた戸口を素手で破り、悠々と室内へと侵入して行った。
「あの二人が行けば、すぐ片付くだろ」
あくび混じりに白石さんは言う。そしてその言葉通り、すぐに中から聞こえていた物音は止み、アシリパさんとやはり全裸の杉元さん、尾形さんが出てきたのだった。
「なまえ!無事だったか」
「はい、アシリパさんも怪我はありませんか」
「私は大丈夫だ。…杉元、手当てするからこっちへ来い」
朝の光に隆々とした肉体を晒した杉元さんは、上半身から血を流していた。アシリパさんに呼ばれるまま、素直に手当を受けているその身体には、おびただしい数の傷痕が刻まれている。見た目の痛々しさに眉を寄せていると、それに気付いた杉元さんは「平気だよ」と言うようにニコリと笑ってみせた。
「不死身……」
「男の身体をジロジロみるなんざ、やらしい女だな」
「……や、」
思わず杉元さんの異名を呟くと、ニヤニヤと笑う尾形さんに揶揄い口調で言われ、私は口を開けたままはくはくと息を吐き出す。言い返そうと横を見れば、当然彼の裸が目に入る。それにまた、頬が一瞬にして上気してしまい、手のひらで顔を覆う。そんな私の様子を見て、尾形さんは楽しそうにいつもの「ははぁ」という笑い声を上げた。
私たちがそんなことをしている間に、はぐれていたらしい谷垣さんとキロランケさん、インカラマッさんが現れた。彼らは湖の方から舟で元の旅館へ戻ろうとしたが、盗賊たちに銃撃されこちらへ舞い戻ったらしい。
「犬より役に立っとらんぞ谷垣一等卒。秋田へ帰れ」
臀部を撃ち抜かれたらしい谷垣さんへ、尾形さんの辛辣な言葉が飛ぶ。怪我人を労わるようなことをしないのは彼らしいのだけれど、谷垣さんへの当たりは厳しすぎないだろうか、といつも思う。軍隊の上下関係ならば当然の仕打ちなのかも知れないが。
「これで図らずも合流出来たな」
いつの間にかやって来ていた永倉さんが皆を見ながら言う。都丹庵士は土方さんの預りとなったらしく、共に網走を目指すことになったようだ。
「一通り片付いたことだし、旅館へ戻ろう」
杉元さんの言葉に全員が同意し、襲撃の夜は終わりを迎えたのだった。
旅館に戻ると、宿の主人が無事を喜んで歓迎してくれた。勿論、都丹さんが昨夜の襲撃者の首領だということは宿の人たちには伏せておく。激闘の一夜を裸で過ごした男たちは、改めて温泉で汚れと疲れを落としに行った。
旅館には、土方さんたちに同行していたカノさんと夏太郎君が待機していた。久しぶりの再会に、私たちは互いの無事を喜び合う。
それに、見知らぬ顔の男がもう一人。
「ちょうどいい。なまえ、お前に紹介しておこう」
結局入れていなかった温泉に行って来ようか、と思ったところで土方さんに呼ばれた私は、彼の前に座り姿勢を正す。
「釧路の新聞社に勤めていた、石川啄木だ。…石川、これはみょうじなまえという。お前と同じ新聞記者だ」
「初めまして石川様。小樽の新聞社に勤めておりますみょうじと申します。釧路新聞、と言うことは島田様と同じ…」
「君、島田君の知り合い?」
石川啄木という名の小男は、広い額を撫でながら何かを思い出すように「ああ」と頷いた。
「小樽のみょうじ…聞いたことがある。『軍都・旭川』だったっけ。最近も夕張炭鉱の記事を書いていた人かな」
「あ、はい。読んで頂いていたんですね。光栄でございます」
「へぇ。まさか女だったとはねぇ」
石川さんはそう呟き、しげしげと値踏みするようにこちらを観察している。こういった類の視線を感じるのは久しぶりだな、と思っていると、永倉さんが「石川、下品な目でみょうじを見るな」と叱り付けた。…何故だか永倉さんは石川さんに手厳しい。注意された方は全く意に介していないようだが。
「お前たちにはいずれ、本分を発揮してもらう時が来る。それまでは共に情報収集に励んでくれ」
「…本分を、とは」
土方さんの言葉にひっかかり、疑問の目を向けると、老剣士は目を細め、笑みを浮かべるばかりで何も教えてくれなかった。
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