飛花追想記/殉情録 | ナノ

異聞:きみをつれて




※304話以降の話の設定を含みます。
また、あくまで『もしも』の話となりますので、ご理解頂いた上でお読みください。



その日の朝、いつものように士官学校へ行くために家を出る時、玄関まで見送りに来たなまえは言った。
「夕刻、そちらの近くに寄る用があるので、終わる頃にお迎えに上がります」
昔から勘の良かった女は、そろそろ内示が出ることを察していたのか。夕暮れ時、約束通り士官学校の門の外でなまえは俺が出て来るのを待っていた。歳下の同輩たちが好奇の視線を向け囁く中、それらをいつも通り無視して俺はゆっくりとなまえの元へと歩いていく。今日は実家の用事でもこなしていたのか、美しく結われた髪と品の良い着物姿で、街角で佇んでいるだけで一服の絵のようにも見える。俺の姿を認めたなまえは、薄く紅を引いた唇に笑みを浮かべた。
「おつかれさまでした。今日は如何でしたか」
「……もうすぐ正式な辞令が出る。配属先は旭川だ」
そう告げると、なまえは少し目を丸くして驚いた様子を見せた。そしてその後すぐに、嬉しそうに破顔した。
「おめでとうございます。念願叶っての赴任ですね」
「ああ。… なまえ、お前は、」
「どうするんだなんて、つまらないこと聞かないで下さい。原稿はどこでだって書けるんですから、勿論あなたに着いて行きますよ」
約束したでしょう、となまえは目を細める。
ーー約束。
かつての金塊争奪戦の最中、確かにこいつは俺に言った。『最後まであなたと共にあります』と。あの時の言葉はそういう意味では無かった気がするが、結局今でもなまえは俺の側に居る。
「今度はゆっくりあの北の大地を見て回りたいです。…あの頃は、色々必死だったから」
「…良い思い出じゃねぇだろ」
「そうですか?確かにつらいこともたくさんありましたけど…それも含めて、私には良い思い出ですよ。だから、あなたと行きたいです」
ふふ、と微笑むなまえの視線の先には、かつて苦楽を共にした旅の仲間の姿が見えているのだろう。それは俺が踏み台にして来た奴らの姿でもある。

あらゆるものを利用し、手にかけ、血に塗れ死体を踏み付け乗り越えて、今のこの地位と名誉を手にした。望まれて生まれた者だけでなく、必要とされなかった俺でも、祝福を手にすることが出来るのだと……ただ、それを証明するためだけに。はりぼての、中身の虚ろな人形でも、多くの者の上に立つ人間になれるのだと立証したかった。そうすれば、母を顧みなかったあの男に、お前など大した人間ではないのだ、俺と同じ程度のものなのだと示すことが出来るとひたすらに信じて、手にした銃で標的を排除し続けた。
なまえはそんな俺の卑小でとても個人的な、どす黒い思いを知った上で、なお俺と同じ道を歩みたいと言った。初めは情けか憐憫かと勘ぐったが、その覚悟は本物で、俺の保身に持てるすべての力を注ぎ込んでくれた。実家の祖父や伯父たちに頭を下げ、目の傷の治療と士官学校への進学のための金銭援助を取り付けた。聞いてはいないが、金だけではなく、俺に対する口添えも引き出したのだろう。そうでなければ奥田中将の推挙があったとは言え、年齢的にも身体的にも無理がある士官学校への入学が、あれほど苦も無く進むとは考え難い。
「とにかく。念願叶って入学できたのですから、ちゃんと良い成績でご卒業頂きませんと困ります」
そう言い放ち、執拗に俺の学習を監視して来ることにはほとほと辟易したが。…結果、銀時計とまではいかなかったが好成績で卒業に至るので、成果はあったと言える。
そしてなまえは、第七師団のクーデターを未然に防いだ影の功労者がいるとの新聞記事を書いたりもした。記事には俺の名前は明確に出されてはいなかったが、読む者が読めばすぐに誰を指すのか判るような内容だった。真っ当な取材をする記者として名を上げていた女が書いたそれは、外部からの中立な目で見た評価として軍の上層部でも当然読まれたらしく、俺の価値を上げる一助を成した。
「私は嘘は書いていませんから」
「確かに嘘はなかったな」
「……少し、誇張はしましたけどね」
悪びれず笑う瞳には、昔にはなかった強かな光が宿っていた。

いつからかなまえは、俺の見えない方の視野を補うように、常に俺の右側を歩くようになった。今もそうだ。押し付けがましくはないその行動に、自然と甘えてしまうようになったのもいつの頃からだろうか。当然のように隣に居る女の手を取り、前を向いたまま呟く。
「…お前が望むなら、連れて行ってやらんこともない」
「はい、是非に。楽しみにしています」
素直ではない俺の物言いにも慣れた様子で、女は柔らかい声で返事をよこした。
なまえと出会って幾度目かの春。俺もなまえも歳を食ったが、こいつは出会った頃と変わらぬ眩しい笑顔を俺に向ける。かつては無かった目尻に寄った皺すら愛おしい。この光がある限り、俺は闇に堕ち切ることは無いのだろう。いつも側にある灯火。行先を照らす道標。俺が手にした、祝福の女。
共に手を取り、二人で歩き出した道に、淡い花弁が舞う。
かつて視界の中にいた亡霊の影は、もう見えない。



それは、叶わない夢の物語。

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