雷火ひらめく 11.
この顔触れで師団の本拠地である旭川に滞在するのは目立ちすぎる、ということで私たちは旭川に程近いアイヌの集落に移動し、白石さんの救出作戦を練ることになった。途中、鈴川が逃走を謀ったが、手練れ揃いのこの集団から逃れられるはずもない。猟犬に追い込まれた哀れな獲物のように易々と捕縛されていて、鈴川が気の毒に思えてしまうほどだった。
「俺にどうしろっていうんだ!!」
「お前が樺戸監獄に潜入して熊岸長庵を脱獄させたように、第七師団から白石を助け出せ」
「方法を考えろ!お前は詐欺師だろ」
冷や汗をかきながら訴える鈴川に、土方さんと永倉さんは冷たく言い放つ。
「おい鈴川…協力しないなら俺がお前の皮を剥ぐ。この計画でドジを踏めば、お前は第七師団に皮を剥がされる。お前が皮を剥がされずに済む道は、計画を成功させるしかない」
杉元さんの鋭い眼光と穏やかではない言動に、鈴川はますます逃げ場をなくして追い込まれる。無理難題を押し付けられて、顔を赤くしたり青くしたりしている様子を見ていると、一体どちらが悪役なのかと思ってしまった。
「白石が旭川第七師団の兵営のどこにいるのか…中に潜入して探らなければなるまい」
キロランケさんの発言に皆が頷く。私は冬に訪れた第七師団の本陣を思い出していた。あの広大な敷地の中、しかも数多くの兵士がひしめく中で、白石さんを探し出すのはなかなかに難しいだろう。間借りしたアイヌの家で、私たちは顔を寄せ合って思案する。
「関係者に成りすますか?」
「カムイコタンの一件で警戒しているはずだから、よほどの関係者じゃない限り簡単に教えるはずがない」
牛山さんの意見に永倉さんが首を振る。一度救出作戦が失敗してしまったことで、師団側に警戒心を抱かせてしまったのはかなりの痛手だ。
「東京の師団の上級将校とかは?」
「いや…軍は上に行くほど横のつながりが強いから、架空の上級将校はバレる」
杉元さんの提案に、それまで黙っていた尾形さんが口を挟む。神妙な面持ちで告げられたそれに、杉元さんも普段のように噛み付くこともなく、そういうものかと素直に納得しているようだった。八方塞がりか、と意見が行き詰まったところに、家屋の外から飼い犬の鳴き声だけが虚しく響く。
「……イヌ」
ぽつり、と隅で体を小さくしていた鈴川が呟いて、皆が一斉に顔を上げた。詐欺師は思案しながら、とある男の名を口にした。
「犬童四郎助はどうだろうか」
「犬童?網走監獄の典獄?」
その名は私の記憶にもあった。網走から脱獄した囚人の情報を追っていた編集長が、古い友人から聞いたという話。土方さんに並々ならぬ執着を持っている様子だという男の名前だ。今思えば、かの編集長の友人のもたらした『土方歳三が生きて、網走に収監されている可能性がある』という情報は正しかったのだ。幻ではなく実在し目の前に悠然と座る土方さんの姿を見ながら、改めて思う。ふと、私の視線に気付いた土方さんと目が合う。すっと目を細められ、口の端に浮かべられた笑みに動揺し、私は顔を伏せた。
「その、犬童ってやつにコイツは似てるのか?」
杉元さんが鈴川を指差す。それに永倉さんと土方さんが答えた。
「似てないですよね?」
「似てない」
似ていないものにどうやって化けるのか。鈴川はにやりと笑いながら髭を撫でた。
「俺も犬童を知ってるがね、顔の骨格は近い気がする。…誰か実在の人物に成りすますってのは、その人物と似ていない部分を減らすってことだ」
そう言いながら、ざんばらに伸びた髪を切り、眉も剃り薄くする。
「髪の毛を横に流していたっけ」
鈴川の容姿が見る間に変わっていく。カノさんから借り受けた手鏡で切った髪を整えていると「なんとなく似てきたかも」と牛山さんから声が上がった。
「第七師団内に網走監獄の典獄と親しい人間がいる可能性は低いが、よほど似ていないと多少面識のある人間にならバレちまうぞ?大丈夫か?」
尾形さんが懸念を口にする。それを受けて、土方さんが犬童四郎助の人となりを述べられた。
「犬童は……厳格で潔癖、規律の鬼といわれながらも、個人的な恨みで私を幽閉する矛盾を持ち合わせている。心の歪みが顔に現れている」
「ふむふむ。ならば、これでどうかな」
それを聞いた鈴川がスッと表情を変える。……そのあまりの変貌に、私たちは息を呑んだ。土方さんやカノさん、牛山さんといった本物の犬童を知る者が目を見開いているところをみると、本当に似て見えるのだろう。これが詐欺師・鈴川の本領なのか、と。
「…で、網走監獄の典獄に化けて、第七師団相手にどうしようってんだ?」
「俺に考えがある。まあ……焦るなって。準備が必要だ」
杉元さんの最もな疑問に、態度まで尊大になった鈴川はごろりと床へ横になる。途中まで話を聞いていた風だったアシリパさんも、眠気に誘われてしまったようだ。すっかり夢の中に居る少女を膝へ抱き上げる土方さんは、好々爺然としていた。
翌朝、私たちは計画の実行に向けて更なる打ち合わせを行った。
「白石を連行した連中の肩章の番号が27だった……旭川に4つある歩兵聯隊のひとつ、歩兵第27聯隊」
キロランケさんがどこからか入手してきた、師団本部の見取図を見ながら情報を整理する。
「ここが27聯隊の兵舎だ」
「ちょっと待て。27聯隊?」
図を指し示すキロランケさんの発言に、尾形さんが声を上げる。私は口を開きかけたまま、尾形さんの方を見遣る。そんな私たちの様子に、杉元さんが首を傾げた。
「どうした尾形、みょうじさんも」
「いや、お前らアホか」
呆れた顔で尾形さんは羽織ったままだった外套を捲り上げる。私はその肩を指さす。そこにはしっかりと27の数字が乗っていた。
「あ…!そうだったっけ。ってことは鶴見中尉も同じ聯隊か…」
苦い顔をする杉元さんへ、私は眉を下げ頷いた。
「白石は27聯隊が密かに確保している可能性が高い。なぜなら、聯隊長は鶴見中尉の息がかかった淀川中佐だ」
尾形さんが淡々と現状を整理して、あまり直視したくない事実を述べる。鶴見中尉の手は当然のようにここまで伸びていたわけだ。白石さんの身柄が27聯隊の元にあるのなら、救出はなお難しくなりそうだ。
「直接潜入して白石を引っ張り出すのは鈴川と杉元がやるとして、どこへ他の人員を配置するかだな…」
元工兵だったというキロランケさんが、地図を見ながら思案する。横からそれを眺めていると、記憶と建物の配置に違和感を覚えた。
「あの、すみません。その見取図古くないですか」
「あ?そうなのか?」
「私が冬に見学に伺った時と少し違うような…。尾形さん、覚えていらっしゃいませんか」
「……俺はここ1年ほど旭川には行ってねぇ」
尾形さんへ確認してみるが、素気無く返されてしまった。私は背嚢を探り、当時の取材内容を書き記した帳面を取り出した。何となく手放せなくて荷物に入れていたのが功を奏した。
「あった。走り書きで申し訳ないのですが…」
私が差し出した頁には、大まかな27聯隊の兵舎周辺の図が記してある。キロランケさんの手持ちの地図と照らし合わせると、いくつか馬房や倉庫の配置が変わり、通り抜け出来なくなっている箇所が見当たった。
「こっちを鵜呑みにしていたら、行き止まりにぶち当たってたかもな」
「なまえのお陰で助かったな!ありがとう」
アシリパさんから礼を言われ、私は笑みを返す。自分は何の役にも立てないと気を揉んでいたが、少しばかり気が楽になった。
…しかし、こんな付け焼き刃に近い手段であの鶴見中尉を出し抜くことが出来るのだろうか。何度も見た、琺瑯の額当ての下に潜む闇を思い出し、私は身震いする。他に手立てが無いとはいえ、鈴川の詐欺師としての技量にすべてを賭けたこの作戦の行く末に、私は一抹の不安を覚えずにはいられないのだった。
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