雷火ひらめく 10.
『樺戸監獄に一番近い宿で落ち合おう』
夕張で二手に分かれる際、土方さんから言われていたため、私たちは月形に到着してすぐに目的の宿へと向かった。しかしそこで待っていたのは、永倉さんと家永さんの二人だけだった。
「土方さんと白石さん、キロランケさんは…?」
早々に私が問えば、永倉さんはまずは座りなさい、と私たちに着席を促した。言われるままにさして広くはない部屋に、顔を寄せ合うようにして集う。永倉さんの隣に詐欺師の鈴川が座ると、同じような顔がふたつ並んでいるように見えた。そう思っていたのは私だけでは無かったようで、杉元さんが「どっちがどっちだか…」と思わずこぼしていた。
「悪い知らせがふたつある。ひとつは…熊岸長庵は死んだ」
「え!?熊岸が死んだこと何で知ってる?」
全員が座り、永倉さんが切り出した途端に、私たちは一斉に声を上げた。その反応に永倉さんも驚いた顔をする。
「…もうひとつの悪い知らせとは?」
熊岸の話はさておき、とアシリパさんが続きを促す。永倉さんの口から聞かされたのは、思いもかけない事態だった。
「白石が第七師団に捕まった。今、土方さんとキロランケが救出に向かっておる」
「だからお二人しかここにいらっしゃらなかったんですね…」
私が言えば、永倉さんは重々しく頷かれた。先の話に繋がって納得はしたが、とても良くない情報には変わりない。誰からともなくため息がこぼされ、私たちの間に重苦しい沈黙が漂う。
「土方さんからはお前たちと合流してから追ってくるよう言いつかっている。疲れているだろうが、このまま出立するぞ」
「……仕方ないな。そうと決まれば、早く行こう」
杉元さんの言うように、私たちは同意するほか無かった。皆慌ただしく荷物をまとめ、出発の準備を整え始める。
「あ、あの!この近くに郵便局はありますか?」
私は部屋を出て宿の主人を捕まえ食い気味に問い掛ける。聞けば二町先にあるとのことなので、永倉さんへ断って局へと走ることにした。新聞社へ消息と、体裁は整っていないが、旅の合間に書き溜めたものを送ってしまいたかったのだ。
「あれ、みょうじさんどこ行くの」
「え、ちょっと郵便局へ…すぐ戻ります」
「ひとりは危ないよ、一緒に行こう」
宿を出る際、杉元さんに呼び止められた。やましいことがある訳ではないのだが、先のアイヌの村での彼の姿を思い出してしまい、少し反応が固くなってしまう。そんな私に杉元さんは不思議そうに首を傾げていた。
他愛もない話をしながら郵便局へ向かう。局についた私は、紙片に編集長へ現状と今後の動向を走り書きし、原稿を背嚢から取り出した。それをちらちらと杉元さんが様子見していた。
「大丈夫です、怪しい内容ではありませんよ」
そう言って杉元さんへ編集長への手紙と原稿の束を手渡す。彼はばつの悪そうな顔をしながら、それらを受け取った。
「…ごめん。みょうじさんを疑うつもりは無いんだけど」
「いえ、こんな状況ですから、怪しまれても仕方ないと思います。見ていただいて多少なりとも身の潔白が証明出来るなら、安いものです」
私は笑いながら言う。…逆の立場なら、私だって同じように疑っただろう。実は鶴見中尉と内通しているのではなかろうか、と。
ざっと手紙や原稿に目を通して、杉元さんはもう一度「ごめん」と言いながら私にそれを返してくれた。返却されたそれらをまとめて封筒へ押し込み、編集長に宛てて発送する。
「… みょうじさんの字、綺麗だね。性格が出てる気がする」
杉元さんは淡く微笑みながら言う。手紙の内容には触れないその言葉は、彼からのあたたかい優しさに満ちていた。
郵便局から戻れば、ちょうど出立の準備が整ったところだった。私たちはそのまま月形を出て、土方さんたちが先行した道をたどる。永倉さんが馬を数頭手配していたため、ちょっとした旅商のようにも見えるだろう。
「みょうじ、お前も乗ると良い」
永倉さんの配慮で私も騎乗させてもらうことになり、随分と助かった。夕張からの強行軍に体力の枯渇を感じていたのだ。…年少のアシリパさんを歩かせておいて良いのだろうか、とも思ったが、彼女はしばしば牛山さんの背に乗っていたから良しとすることにした。それよりもちゃっかり私の乗る馬に同乗し手綱を握る尾形さんへ、杉元さんの鋭い眼光が突き刺さっていることが気になってしまう。折々にきつい視線を向けられている当人は全く素知らぬ顔で、悠々と馬を進ませている。それがまた、杉元さんの機嫌を悪くしているようだった。
「うたた寝するのは構わんが、落ちんなよ」
「…っ、分かってます」
そんなことを考えつつも、私は疲れからうとうととしていたようだ。尾形さんに耳元で言われ、慌てて鞍を握る手に力を込めた。そんな私の様子に、背後の男はくつくつと喉を鳴らしていた。
そうして私たちは数日かけて道を進み、旭川から25キロほど手前の深川村で土方さんとキロランケさんと合流した。そこに白石さんの姿はなく、奪還作戦が失敗に終わったことを知る。
「おそらく白石は今頃旭川へ着いてしまっているだろう。アイツが勝手に脱出できたとしても、いつになるかわからないものを我々は待っているわけにもいかない」
土方さんが渋い表情で最もなことを仰る。
「そもそも脱出できるかどうか…脱獄王とはいえ監獄とは違うんだ。どんな扱いを受けているか」
「今この瞬間、皮を剥がされているかも」
カノさんがやんわりと微笑みながら、不穏なことを言う。しかしそれも考え得る事態だ。鶴見中尉にしてみれば、必要なのは白石さん本人ではなく、その体に彫られた刺青だけなのだから。
「尾形、見て来いよ。お前第七師団だろ?」
「……俺はいま脱走兵扱いだ」
牛山さんの言葉に、尾形さんは素気無く答える。脱走兵扱いの尾形さんが顔見知りの者に姿を見られたら、白石さんだけでなく尾形さんまで拘束されてしまうだろう。
「キロランケは?元第七師団だろ?」
「俺はカムイコタンで顔を見られた」
杉元さんはキロランケさんに話を振るが、彼は白石さんの救出を試みた際に顔を見られてしまったらしい。
「なまえ、お前行ってこい」
「尾形さん…全くの部外者である私が、そう簡単に師団本部に入れるとお思いですか」
「前に行ったんじゃねぇのか。鶴見中尉の紹介で取材にだとか言えばいけるだろ」
半ば投げやりに尾形さんは無茶振りをするが、無理があるのは火を見るよりも明らかだった。冬に取材に訪れた時も、根回しを重ねてやっと入ることが出来たのだ。
「尾形、みょうじさんに無茶言うなよ」
じろりと杉元さんが尾形さんを睨み付けながら言う。仕方のないこととは言え、本当にこの二人は相性が悪い。半分以上は杉元さんが一方的に突っ掛かって、尾形さんは歯牙にもかけていないのだが…。私が杉元さんに大丈夫ですから、と宥めれば、彼は不服そうにしながらも矛先を収めた。
そんな小さないざこざの間にも、各人が白石さんのことを考えていたようで、何となく彼のことはもう良いのでは、という空気が流れる。
「あいつの入れ墨は写してるし」
キロランケさんが総意のように呟く。しかし杉元さんは違った。
「いや……俺は助けたい。この詐欺師を使おう」
偽アイヌの村から連行してきた鈴川の頭を掴み、杉元さんは神妙な顔で言った。
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