雷火ひらめく 06.
翌朝。炭鉱の事故現場には、杉元さんにアシリパさん、白石さん、キロランケさんの一行に、永倉さんと牛山さんが向かうことになった。私は土方さん尾形さん、カノさんと共に剥製所に残り、慰留品を探している。
「人間剥製に残された皮と、贋物の刺青人皮に共通点が必ずあるはずだ。きっとこの家に手がかりが残されてる」
そう土方さんは言う。
作業場と思わしき場所には、よくわからない薬品や道具が山のように置かれている。しかし、それがどのように使われていたのか、全く見当も付かない。
「然程珍しい薬品があるわけでもないですね」
薬の知識もあるらしいカノさんが、並んだ小瓶を手に取り陽に透かしながら言う。私はそれを横目に作業場の隣室に進むと、そこは書斎だったのだろうか、たくさんの書物が置かれていた。机に置かれていた一冊を手に取って開いてみると、動物の解剖図と細かい英字が並んでいる。
「何かそれらしいことは書いてあるか」
「…あるかも知れませんが、分かりませんね。単語が専門的過ぎて、辞書でもないと読めそうにないです」
物珍しそうに眺めるばかりで特に手がかりを探す風でもない尾形さんに覗き込まれ、私は正直に感想を言って本を閉じた。尾形さんはふうん、と鼻を鳴らして、別の部屋の様子を見に行ってしまった。私はしばらくその部屋を探っていたが、それらしき紙片のひとつも見当たらなかった。諦めてふと窓の方へ顔を向けると、木々の間に何か影が見えた気がして窓際へ足を踏み出した。
その瞬間。ガチャンと硝子の割れる音と共に、尾形さんの声が響いた。
「あッ!?チッ…やられた」
向こうの部屋から聞こえた、尾形さんの珍しく慌てた様子に、何事かと土方さんたちのいる方へ駆け戻ると、彼から鋭い声が放たれた。
「家永ッ外へ出るな!撃たれるぞ!」
その言葉に、外へと出ようとしていたカノさんは、玄関扉へ掛けようとしていた手を引く。尾形さんが扉を開けたらしい向こう側の部屋は、もうもうと煙に覆われている。先程の音は火を投げ込まれた音だったのか、と緊迫した空気の中理解した。
「いま外にチラッと軍服が見えた。数名に囲まれているようだ」
尾形さんが銃を構え、窓際から様子を窺いながら言う。私は邪魔にならないよう壁際へと控えた。戦いになれば私は全く戦力にはならない。
「贋物製造に繋がる証拠を隠滅しに来たか」
土方さんも舶来物の銃に弾を装填し、臨戦体制を取った。
「鶴見中尉の手下がこの家を消しに来たということは…月島軍曹が生きて炭鉱を脱出したと考えるべきか」
「だろうな。…窓は鉄格子がある。外の連中にとっても突入するならば玄関以外はない。外の連中を玄関まで追い込む」
そう言い置いて、尾形さんは階段を駆け上がって行った。その背中を目で追っていると、土方さんに肩を叩かれる。
「なまえ、お前は家永と共に奥へ隠れていなさい」
「…はい。ご武運を」
「任せておけ」
不敵に笑う老人は、かつて壬生狼と呼ばれた維新の豪傑らしい余裕を見せていた。
家永さんを庇うように連れて、私は奥の部屋へ入り息を潜める。尾形さんが外へ向け発砲しているのだろう、階上から何度か銃声が聞こえた。鉄格子の嵌った窓からは、そんな争いの気配も関係ないように暖かな陽射しが入り込み、室内に舞う埃を煌めかせる。
しばらくすると激しい銃声と共に、室内へ踏み込むいくつもの靴音が聞こえた。私とカノさんは二人、体を震わせてただじっとしているしかない。鼓動が激しく鳴り、その音が外にまで聞こえてしまうのではないかと思うほどだ。ふと背嚢の中に入れた拳銃の存在を思い出したが、出したからと言って役に立つとも思えない。それでも手にするべきなのだろうか…物音に耳を集中させて動向を伺いながら、私は逡巡する。
「煙が広がってきた…」
カノさんの呟きにふと気付けば、かなり火の手が回ってきてしまっていたようで、室内は白く霞んでいた。カノさんは咳き込みながら窓へ近付き開け放つ。私も手巾を口に当てて、少しでも空気を吸おうと窓側に寄った。
「逃げられない……」
私たちの力ではこの鉄格子はびくともしないだろう。…ここで炎と煙に巻かれて死ぬのだろうか。息苦しさに咳き込み、煙が染みる目からは涙がこぼれる。その時だった。
「牛山様ッ」
「どいてろ、家永」
窓の外に現れた牛山さんが格子を掴み、力任せに引っ張ると、メキメキと音を立ててそれは取り外された。人間離れした力に私は唖然とし、カノさんは少女のように目を輝かせていた。
「みょうじさんッ下がってて!」
開いた窓から銃剣を構えた杉元さんが飛び込んでくる。獰猛な目を光らせた彼はそのまま奥へと突入して行った。
「ジイさんと尾形のことは杉元へ任せておけ」
「なまえ、大丈夫か。早く出てこい」
牛山さんとその背に乗ったアシリパさんに促され、私も壊れた窓から外へ出る。すんでのところで私たちは命拾いしたらしい。側の林の中へ避難して後ろを振り返れば、剥製所はすっかり炎に包まれていた。私たちに遅れて、土方さんと杉元さん、そしてその後方に周囲を警戒しながらやって来る尾形さんの姿も見え、やっと一息吐いた。
剥製所に襲撃して来た27聯隊の兵たちは、土方さんたちにほぼ殲滅されたようだ。今のところ追手の気配はない。しかし油断ならない状況には変わりないだろう。
「大勢で行動すれば目立つ。ふた手に別れて逃げよう。月形の樺戸監獄で待ち合わせる」
土方さんの意見は最もだった。この人数は流石に多すぎる。しかも人目に付きやすい特徴のある風体の者ばかりが取り揃っている。一行は神妙に頷き同意を見せた。
「永倉たちを探して合流する。お前たちは先に月形へ向かえ」
「こいつらと?」
土方さんの命令に、牛山さんは困惑したように疑問を口にする。アシリパさんはそこが定位置かのように牛山さんの肩に乗ったままだ。それを見て、猿の親子のようで可愛らしいな、と緊張感も無く思ってしまった。
土方さんと共に行くのは永倉さん、カノさんにキロランケさんと白石さん。もう一組は残りの杉元さん、アシリパさんに尾形さん、牛山さんとなるようだ。アシリパさんは何故か牛山さんに懐いているようなので納得の人選だと思う。
「なまえ、お前も杉元たちと行くといい。……猫をしっかり見張っておけ」
「えっ、あ、はい…」
最後の言葉は私にだけ聞こえるよう、囁くように告げられた。思わず疑問を呈した顔をしてしまったのか、土方さんは鷹揚に微笑まれた。
「そちらには牛山を付ける。それに尾形も杉元も手練れの兵だ。何も心配することはない」
ふわと笑みかけられ、何となく胸が熱くなる。大人しくこくりと頷き、分かりましたと告げれば土方さんもひとつ頷かれた。
「みょうじさーん、行くよー」
「あ、はい!今行きます!」
名前を呼ばれて、私はお辞儀をし歩き出していた杉元さんたちを小走りに追った。列の最後尾を歩く尾形さんに追いついて、ふうと息を吐くと、横から調子の読めない声が降って来る。
「土方に何言われてたんだ」
「特に…そっちには牛山さんと尾形さん、杉元さんが同行するから安心しなさいと」
「……ふん。女に甘いジジイだ」
あなたのことを注視するよう言われました、などと言えるはずもなく。付け足すように言われた内容だけを告げれば、尾形さんは興味を失ったかのように足を早める。私もそれに続き、彼らと共に森の中へと分け入って行った。
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