雷火ひらめく 05.
剥製所の厨でカノさんと食事の用意をしながら、私は先程の話を頭の中で反芻していた。
以前からの予想通り、杉元さんたちもアイヌの埋蔵金を探して刺青の囚人を追っていた。鶴見中尉はこの争奪戦に混乱をもたらすために、この剥製所の主人に偽の刺青人皮を発注していた。贋作が炭鉱事故で消失していなければ、真贋を判別する方法も探さなければいけなくなる。
金塊を巡る戦いは、いつの間にか鶴見中尉率いる第七師団と、土方さん達、そして新たに杉元さん一行が参戦して三つ巴の状況を呈していた。
それにしても網走監獄に収監されている『のっぺらぼう』に杉元さんたちが確認したいこととは何だろう。そしてアイヌの少女ーーアシリパが言いさした『私の父』とは。
するり、と足元に柔らかいものが触れて私の意識は浮上する。下を見れば、先程土方さんに抱えられていた猫が、匂いにつられてこちらへ来ていたようだ。肉の切れ端を落としてやると、機嫌良さそうにそれを咥えて厨から出ていった。そしてそれと入れ違いに尾形さんがぬるりと現れる。
「どうかされましたか尾形さん。もうすぐ出来るので向こうで待っていて下さいよ」
顔を洗って衣服の泥埃も払ったらしく、少しさっぱりした様子の男は、私の言葉に答えず黙って厨の隅にある木箱へ腰を下ろした。カノさんが「困った猫ちゃんね」と微笑めば、つんとそっぽを向いていた。
「あの、カノさんは杉元さんたちとお知り合いだったんですか」
「ええ。札幌で、ちょっとね…うふふ」
鍋をかき回しながら気になっていたことを聞くと、カノさんは意味深で妖艶な笑みを浮かべた。…彼女のことだ、恐らくあの悪い癖を出したのだろう。後で杉元さんに聞いてみよう、と私は心に留めた。
出来上がった鍋を皆の居る部屋へと運ぶ。結局、人数的にあの不気味なヒトの剥製がある部屋で食事を取ることになってしまった。なるべくあれが目に入らないような場所へ陣取ろうとしたが、尾形さんに「お前はここだ」と隣へ押し込められた。それを見た杉元さんが、何故か厳しい顔をしていた。
「そうだ杉元、そこの彼女と知り合いなんだろ?紹介してくれよ」
アイヌの男が口火を切ったことで、やっと私は彼らの素性を知る機会を得た。坊主頭の男、白石さんは先の話の流れで察した通り、刺青の囚人のひとりだった。彼は数々の監獄を抜け出した『脱獄王』らしい。…記者としては大変興味がそそられる人物だ。いずれ詳しく話を聞いてみたい。
そんな彼は「白石由竹、独身で彼女はいません!付き合ったら一途で情熱的です!」と私に勢い良く手を差し出して来たが、尾形さんと杉元さんに恐ろしい目で睨まれ、一瞬で縮こまってしまっていた。
アイヌの少女は予想通りアシリパと名乗る。あなたのことを探していた、何事もなければ春にはあなたの住む村を訪れるつもりだったと告げれば、綺麗な青い目を丸くした。
「何故、私を尋ねるつもりだったんだ」
「あなたが杉元さんと共に、刺青の囚人のことを聞いて回っていると知ったからです」
訝しむ様子を見せられたので、自分は新聞記者であること、鶴見中尉がアイヌの埋蔵金を追っていると言う情報を得て、それを探っていたことを告げれば納得したような表情を見せた。
「なまえは新聞を書いているのか。すごいな!新しい時代の女だな、私と一緒だ」
きらきらと輝く笑顔は年相応のもので、彼女がこんな血生臭い争いに身を置いていることが信じ難い。しかし少し話をしただけで、彼女の賢さ聡明さは十分察することが出来た。そして杉元さんたちとの会話を聞いていると、彼らは皆対等な立場であることが窺い知れる。不思議な関係性だ。
そしてアイヌの男はキロランケと名乗る。彼はアシリパの父の友人、だと言うことだ。彫りの深い顔立ちで、かつては陸軍に所属し工兵として日露戦争にも出兵したのだという。…アシリパもキロランケも、純粋なアイヌ民族ではなさそうだ、と見た目から何となく思う。アイヌの人には樺太や露国の混血も多いと聞くので、特に気にすることでは無いのかも知れないけれど。
カノさんと私が作ったなんこ鍋を皆でつつく。暖かい食事のお陰で、このいびつな顔ぶれでもそれなりに場は和んでいる。馬の腸を煮込んだ鍋と聞いたキロランケさんは、渋い顔で肉を吹き出していた。馬肉が苦手らしい。
「……あんたら、その顔ぶれでよく手が組めてるな。特にそこの鶴見中尉の手下だった男…一度寝返ったやつはまた裏切るぜ」
杉元さんが鍋を咀嚼しながら忠告するように言う。言われた尾形さんは、ニヤリと笑う。
「杉元…お前には殺されかけたが、俺は根に持つ性格じゃねえ。でも今のは傷ついたよ」
『根に持つ性格じゃない』その発言に私は若干の疑問を覚えながらも、今言うことではないなと黙りを決め込んだ。二人の小競り合いは「食事中にケンカすんなよ」という白石さんの一言で終息した。
そのまま話は刺青人皮の真贋の見極めについてに移る。月島軍曹が坑道から生き延びていたなら、判別方法を見つける必要性が出てくる。それが出来そうな人物に、カノさんが心当たりがあると言う。熊岸長庵という贋札犯。カノさんによると、贋札作りだけでなくあらゆる美術品の贋作を作ってきた彼ならば、判別方法を見つけられるかもしれない、とのことだ。
「熊岸は今、月形の樺戸監獄に収監されています」
カノさんの発言により、一行の次の目的地は樺戸監獄に決まった。…ここまで首を突っ込んだ以上、私も同行しない訳にはいかないだろう。小樽に帰れるのは、まだ先のことになりそうだ。
その日の夜はそのまま剥製所で雑魚寝となった。明日は朝から炭鉱へ向かい月島軍曹の生死を探る者と、この剥製所に残された手がかりがないかを探す者、二手に分かれることになっている。…鶴見中尉の思惑を考えれば、贋の刺青人皮は闇に葬られていて欲しい。しかし私は月島軍曹の死は望んでいない。そんな両立しない思いを抱えて眠れないまま、夜はふける。何度目かも忘れた寝返りを打った後、そっと部屋を抜け出し外を覗けば、玄関先に佇む人影があった。
「…杉元さん」
「あれみょうじさん。起きちゃったの?」
「色々あったせいか、眠れなくって」
まだ雪の残る小樽で出会った時と同じような優しい声に、私の心は温まる。彼は眉を下げて笑い「良かったらここ、座んなよ」と自分の上着を敷いた。断っても聞かなさそうな雰囲気に、私は有り難く座らせてもらうことにする。
「…何でここにみょうじさんが居るのか、どうしてあいつらと一緒に居るのか…教えてもらって良いかな」
少し言いづらそうに杉元さんは私に聞く。淡い月明かりに煙る瞳には、困惑の色が見える。そんな彼を安心させるように私は正直に答える。
「ここへは夕張炭鉱を取材するために来ました。元々私が北海道に来たのは、鶴見中尉が陸軍への謀反を企てているという情報があって…それを知った東京の新聞社が独占記事にしたいと、調査のため私をこちらへ送り込んだんです」
「君みたいな女の子を?」
「女の子、と言ってもらえる歳でもないですよ。多分、杉元さんと私はそんなに変わらない年齢だと思います」
私が苦笑すれば、杉元さんは純粋に驚いた顔をした。彼は徴兵され日露戦争へ出征し、満期除隊したと言っていたから、恐らく私たちは同じくらいの歳のはずだ。
「私は記者として、自分の意思で小樽へ来たんです。それで27聯隊に御用聞きとして出入りしていたので、尾形さんとも顔馴染みだったんです。土方さん達とはここに来る前に、色々あって行き合いました」
「なるほど、そっか。…とりあえずみょうじさんが向こう側の人じゃなくて良かった」
私の話を聞いた杉元さんは、少なくとも敵対する立場ではないと理解してくれたようで、安堵した柔らかい笑顔を見せた。
「杉元さんはアイヌの埋蔵金を手に入れて、どうされるおつもりなんですか」
「…戦死した幼馴染の最後の願いを叶えたいんだ。でも、もうそれだけじゃない」
杉元さんは真っ直ぐに前を見て続ける。
「アシリパさんの為に、何としてでものっぺらぼうに会わなきゃいけない。俺はあの子に命を救われた。だから、今度は俺があの子を守ってやる番なんだ。…俺たちは相棒だから」
じっと前を見る杉元さんの瞳は力強く瞬く。彼はこの先どんなことがあろうとも後ろを振り返らないのだろうな、と感じた。
交代が来るまで不寝番をするという杉元さんを置いて、私が部屋へ戻ろうとしたところで、猫のように目を光らせた尾形さんが影から姿を現した。
「こんな夜更けに男と逢引きですかな」
「……違います。そんな話していなかったでしょう。ずっと聞いてらしたくせに」
私が睨み付けると、尾形さんはくっと笑いをこぼした。そしてするりと私の頭を撫でる。無骨な手が髪に触れ、夜の闇を吸い込んだ目が緩く細められる。
「早く寝ろ、明日も動くぞ」
「…はい。おやすみなさい、尾形さん」
彼にしては優しい声色に背を押され、私も素直に答える。やっと訪れた眠気に誘われて私は寝床へと戻って行った。
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