まどろむ春の魔物 10.
結局、私はあの後そのまま土方さん達に同行させられている。上げた原稿と共に消息を報せることを許可されたので、定期的に編集長へ手紙は書いているが。
ーー茨戸で軍を離れた尾形さんと再会したこと、前に話に出ていた『土方歳三』に抑留されていること、彼も鶴見中尉と同じく刺青の囚人を追っていること。しばらくは土方さんたちに同行せざるを得ないので、夕張へ行けるのは少し先になりそうだということまでは報告した。
編集長からは札幌の局留めで簡単な返事が来た。『こんな機会滅多にないから、そのまま取材を続けろ。原稿さえ送って来てくれれば、後の始末はこちらで付けておく』…面白がっている編集長の顔が目に浮かぶようだ。
立花の家へは諸事情で夕張に向かうのが遅れている、取引先へその旨を伝えて欲しいとの電報を打った。何か言ってくるだろうが、後処理は編集長に任せるしかなかった。
程なく茨戸を出てから身を隠していた小屋から、札幌に程近い家へ拠点が移された。そこには土方さんから話を聞いていた、囚人の牛山・家永の両名が既に逗留していた。
牛山さんは巨漢の男で、見るからに強そうだった。『不敗の牛山』と異名を持つのも納得だ。
土方さんには「牛山は女に見境が無い。よく気をつけるように」と言われた。それを聞いた牛山さんは豪快に笑い「ジイさんに殺されたくはないから、お前さんには手を出さんよ」と手を差し出した。握られた手は大きく、がっしりと力強かった。
家永さんは……美しい女性だった。怪我をしているらしく布団に横たわっていたが、その姿も儚く艶やかだ。彼、いや彼女は、私が挨拶すると美しい瞳を潤ませて嬉しそうに微笑んだ。
「なまえさんと仰るのね。なんて綺麗な髪。それに肌も白くてきめ細かくて…」
「家永、みょうじを食うんじゃ無いぞ」
「あら牛山様。人聞きの悪い」
牛山さんが妙な釘を刺すと、家永さんは鈴を転がすように笑った。後から聞けば、家永さんは『同物同治』…悪い部位を治すには同じ部位を食べる、という信念を持っているそうだ。その結果があの完成された美貌なのだと。牛山さんが言っていた「食べる」は比喩では無かったのかと気付き、用心しようと密かに心に誓った。
「こっちにある刺青の暗号はこの俺、牛山辰馬とここにいる家永、土方歳三、油紙に写した複製の暗号が二人分。そして尾形百之助が茨戸で手に入れた1枚…合計六人分だ」
主要人物が揃った昼下がり、状況の確認が行われる。私は部屋の隅で小さくなりながら、黙って聞いた話を手帳へ走り書く。土方さんは新聞に目を落としたまま耳だけを傾けているようだ。同じく火鉢の前を陣取って暖を取りながら話を聞いていた尾形さんが、徐に口を開いた。
「変人とジジイとチンピラ集めて、蝦夷共和国の夢をもう一度か?一発は不意打ちでブン殴れるかもしれんが、政府相手に戦い続けられる見通しはあるのかい?」
私はハッとして土方さんの方を見る。彼は微動だにせず、その顔は新聞に隠れて伺えない。土方さんの目的は、かつてなし得なかった現政府からの独立だと言うのだろうか。
「『のっぺらぼう』はアイヌなんだろ?」
続けられた尾形さんの言葉に、初めて土方さんがほんの少し動いた。永倉さんも「鶴見中尉はそこまで掴んでいたか」と驚いている。
『のっぺらぼう』とは、一体誰だろう。
今まで耳にしたことが無かったが、室内の空気が変わったことから、この金塊争奪戦の鍵を握る人物であることは間違い無さそうだ。重要人物であるが故に、鶴見中尉からも教えられることがなかったのだろう。あとで尾形さんに聞いてみようとは思うが、果たして答えてくれるだろうか。
尾形さんの話によれば、のっぺらぼうは金塊を元手に武器を買い、北海道の独立を図る同志であったはずの七人のアイヌを殺した。何故彼は仲間割れをしたのかーー。
「おそらくのっぺらぼうは、アイヌに成りすました極東ロシアのパルチザンだ」
それまで黙って話を聞いていた土方さんが口を開いた。思いがけない単語に、私は走らせていた鉛筆を止める。確かにアイヌの人々には露国に縁のある者も多いと聞いている。そして、土方さんが語るように多民族国家である露国では、今まで絶対的な専制君主制度を敷いてきた帝政ロシアと、君主制に異を唱える民主党、それに少数民族を主体としたパルチザンと、三つ巴の様相を見せていることは私も知っていた。
「つまり、のっぺらぼうは極東ロシアの独立戦争に使うため、アイヌの金塊を樺太経由で持ち出そうとして失敗したのが今回の発端なわけか」
尾形さんが納得したような口振りで言う。まだ私には全貌が見えていないが、それでも追い付けない程の話の広がりに思わず息を吐くと、それを聞きつけた土方さんが小さく笑った。
「なまえ、その様子だとお前は鶴見中尉や他からこの話は聞いてはおらんか」
「…はい。私は、ただの部外者ですから」
土方さんの目をしっかりと見て言えば、彼は面白そうに笑った。
「残念ながらお前はもう部外者じゃねぇよ。知りたがり屋め」
呆れたように尾形さんが言う。その言葉が少し嬉しそうに聞こえたのは、気のせいだろうか。ちらと横目で尾形さんを見れば、その皮肉を吐く唇が緩く弧を描いていた。
「ジイさん、あんた、これっぽっちものっぺらぼうを信用してなかったんだな。ということは、監獄の外にいるというのっぺらぼうの仲間も…」
「アイヌに成りすましたパルチザンの可能性が高い」
牛山さんの疑問を受けて、土方さんは言った。その言葉は暗い影となり、重い音として室内に落ちた。
聞いた話を思い出し、手帳に走り書いた内容を見返しては手帳を閉じる。…先程からそれを繰り返している。好奇心で踏み込んだ鶴見中尉の造反疑惑が、気付けばアイヌの埋蔵金を巡った争いへと移り変わっている。そしてその場には、いつの間にか私の席も用意されてしまった。一朝一夕では終わらないであろうこの戦いの行く末を、生きて見届けることが私は出来るのだろうか。
「何を考えている」
「わっ…!お、尾形さん驚かさないで下さい…」
ぼんやりと物思いに耽ってしまっていたらしい。急に目の前に普段と変わらぬ様子の漆黒の瞳が現れて、私の心臓は跳ね上がった。私が浅く息を繰り返していれば、尾形さんはただそれをじっと見ている。ーー彼なりに心配をしてくれているのだろうか。
「土方さんから聞いた話について考えていました。…鶴見中尉もご存知なのでしょうか。露国のパルチザンまでもがアイヌの埋蔵金を狙っていることを」
尾形さんは何も言わず、僅かに目を細める。これは肯定したと取って良さそうだ。
「『のっぺらぼう』とは、何者ですか」
私は聞きたかったことを口にする。ひたと彼の深い闇を潜めた目を見つめて。
「さっき聞いただろう」
「話の流れで何となくはわかりましたが、ちゃんと教えられていません。私はもう部外者ではないんでしょう、それなら知る権利もあると思います」
私がきっぱりと強い口調で言えば、一瞬尾形さんはきょとんとした後に、ははぁといつもの笑い声を上げた。
「『のっぺらぼう』は網走監獄に収監されている囚人だ。土方を始めとする24人の囚人にアイヌの埋蔵金の話をし、それぞれの体に刺青を彫り脱獄を促した張本人だ…囚人たちはその皮を剥がさないと金塊のありかは判明しないとは教えられていなかったようだがな」
「…その、のっぺらぼうはまだ網走にいるのですか」
「そのようだな」
「どうして、彼はのっぺらぼうと呼ばれているのでしょう」
「そのまんまの意味だ。奴には顔が無いらしい」
「え……」
私が息を呑むと、尾形さんはそんな私の反応にニヤリと笑って言った。
「顔の皮が剥がれてるらしいぜ」
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