まどろむ春の魔物 09.
尾形さんと土方歳三の協力関係が結ばれた後、私たちは火の手の上がる番屋から外へ出た。建物の外には、先程まで抗争に参加していたらしき日泥の半纏を着た数名の若者が待ち構えていた。彼らはどうやら崩壊した日泥一家を見限り、土方に着いて行くことを決めたようだ。彼らが嬉しそうに新しい親分を慕う様子をぼんやりと眺めていると、つと土方の視線が私に向いた。思わず尾形さんの後ろに隠れようとするが、当然のようにこの男は庇い立てもしてくれず、するりと身をかわす。
そろそろと後ろへ下がろうとすれば、がっしりと腕を掴まれてしまった。
「お、尾形さん…ッ」
私が小声で苛立ちを込めて名を呼ぶが、呼ばれた当人は我関せずと明後日の方向を見ている。
「さて、洋装のお嬢さん。あなたは何者かな。何ゆえこの番屋にこの男と共に居たのか」
私が尾形さんと小競り合いをしているうちに、老人が目の前までやって来ていた。穏やかな口調で問われるが、その目は鋭さを隠していない。私がどう取り繕うか迷っていると、その隙に尾形さんがさっさと口を開いてしまった。
「コイツは小樽の新聞記者だ。さっき町中を不用心に彷徨いていたので、拾った」
「ほう、新聞記者」
「師団に出入りして、鶴見中尉のことを嗅ぎ回っている」
「…それはなかなか穏やかではないな。お嬢さん、この男はあなたのことをこう言っているが、本当かな」
私が尾形さんと老人の顔を交互に見て言葉を発せずにいる間に、尾形さんはあっさりと私の身元を明らかにしてしまった。長い髭を触りながらひたと私の目を見てくる。小柄な方の老人も私の出方を伺っているようだ。
「…嗅ぎ回っている、と言われるのは語弊がございますが、尾形さんの言うことは概ね本当です。私はみょうじなまえ、小樽の新聞社に勤めております。鶴見中尉の元へ出入りしていることも事実です」
「小樽の新聞記者が何故ここにいるのだ」
私が覚悟を決めて素直に名を名乗れば、小柄な老人が厳しい口調で問いかけてくる。
「夕張炭鉱へ取材に行く途中でした。茨戸に寄ったのは、ここで抗争が起きているからついでに取材して来いと言われたので…」
「何だ、俺を追って来たんじゃないのか」
「ち、違います!何仰ってるんですか尾形さん!そもそもあなた、私のためだとか言って行き先も何も教えてくれずに出てしまわれたじゃないですか…」
尾形さんが突拍子もないことを言い出したので、私は慌てて彼の言動を否定する。顔が熱い。かっと頬に血が昇っているのが自分で分かる。そんな私たちの様子を見て、二人の老人はほのぼのと笑った。
「みょうじなまえと言ったな。どうやらお前のことを疑う必要は無さそうだ。しかし我々と刺青人皮の存在を知られた以上、このまま自由にしてやる訳にもいかん。しばらくは我らに同行して頂こうか」
「え……」
土方はにやりと笑みを浮かべて言う。顔は笑ってはいるが、その言葉は冗談などでも無さそうだ。
「安心しなさい、悪いようにはせん。新聞記者はいずれ必要になる人材だったしな」
柔らかい言葉で伝えられた拘束宣言に、私は今後の自らの行く末を案じ気が遠くなりそうだった。
結局、茨戸を後にした土方さんに連れられ、私は彼らが潜伏している山中の小屋へ来ていた。茨戸から同じようについて来た若者たちは、水を汲んだり薪を集めたりと甲斐甲斐しく働いている。私はと言えば、縁側に置かれた肘掛け付きの椅子にかけた土方さんの前に座して小さくなっている。
「……さて、みょうじ。お前の来歴は聞いたわけだが。協力関係を築くためにも情報を共有しておきたい。尾形、お前も聞いておけ。まず我々の現在の戦力だ」
土方さんは私のここに至るまでの話を聞いた後、火鉢の前で無関心を装う尾形さんに一声かけた上で自らの手の内を明かしてみせた。土方さんの手勢としては、まず同行していた小柄な老人ーー永倉新八。こちらもかつては新撰組として名を馳せた豪傑だ。名前を聞けば、あの鋭利な気配にも納得がいった。それ以外に、今この場には居ないが牛山と家永という男がいるらしい。この二人とは近々合流予定だということだ。そして、土方さんと牛山、家永は件の刺青の囚人なのだと言う。
ここまでの情報を教えられるとは思っておらず、私は戸惑いを隠せない。土方さんは完全に私を取り込みにかかっている。…まあ、こんな小娘ひとり、逃げられてもすぐに亡き者にできると思ってもいるのだろうが。
「我々も鶴見中尉と同じく、刺青人皮を集めている」
「それはどうしてですか。アイヌの埋蔵金を見つけて、何に使われようとしているのですか」
私は土方さんへ問うが、彼はにやりと笑みを浮かべるばかりで回答は得られない。…まだ核心を教えてもらえるほど信用してもらえてはいないようだ。
「お前は鶴見中尉の元へ出入りしていたと言っていたな。奴から刺青人皮の情報は聞かなかったか」
「……先日、ひとり囚人を取り逃した、とは聞きました」
今のこの状況では隠し事をする方が不利になる。私はそう腹を括って、鶴見中尉から聞いたことを答える。あの時、鶴見中尉が『いずれ手に入るだろう』と捕らえ損ねた囚人のことをモノのように言っていた意味が、今なら分かる。彼らは囚人を捕捉しようとしていたのでは無く、殺して皮を剥ごうとしていたのだ。私は尾形さんの頭の上に乗せられていたかの物を思い出し、陰鬱な気持ちになった。その間に、土方さんは鶴見中尉から逃げ果せた囚人について思案していたようだ。
「尾形、貴様は何か知っているか」
「囚人では無いが、鶴見中尉の元から逃げたやつは居るな。『不死身の杉元』だ」
尾形さんから発せられた名前に、私ははっと彼の顔を見る。
「その名前は少し前に別の囚人から聞いた。『不死身の杉元』…その男も金塊争奪戦に足を踏み入れていると見て間違いなさそうだな」
「みょうじ、お前も杉元という名に覚えがあるのか」
永倉さんから聞かれ、私は誤魔化しようもなく目を泳がせてしまう。もはや知っていると言っているも同然だ。あんな人の良さそうな青年を、こんな陰謀渦巻く場へ送り込む幇助をしてしまうのか。それとも既に、彼自身が望んでこの争いの場に立っているのか。……乾いた喉から言葉は出ず、小さく頷くのが精一杯だった。
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