まどろむ春の魔物 08.
何故こんなところに。今まで何をされていたんですか。まだ完治していなかったのにどうして。…思いもかけない再会に、そんな疑問と小言が口をついて出そうになるが、それは音にならず、私は唇を震わせるばかりだった。そんな私の様子を見て、尾形さんはふっと一瞬、目元を優しく緩めたように思えた。しかし次の瞬間にはいつもの顔に戻り、ぎろりとその黒目を彼方へ向けていた。
「…行くぞ」
「え、行くぞって……っ!」
するりと手を握られ、ぐいとそのまま引かれる。路地裏を早足で通り抜けて、どんどんと進んで行く。私は混乱した頭のまま繋がれた手をほどくことも出来ず、尾形さんに着いていくしか無かった。周囲には銃弾が飛び交い、剣戟の音も聞こえる。ちらと少し前にある尾形さんの顔を見れば、ぎらついた視線と不敵な表情に目を奪われた。
……こんな顔、見たことない。これは獲物を追う顔だ。初めて見る彼の、感情のこぼれ落ちた『生きた』表情だ。
どくどくと鳴る鼓動が耳につく。それは戦場を駆け抜けて、息が上がっているからだと思い込みたかった。
「ここだな」
尾形さんは一軒の大きな家の前で誰に聞かせるでもなく呟く。そのまま尾形さんは裏手に回り込む。全く状況が把握出来ないままに、私も後に続いた。裏手にある物置に人気が無いことを確認し、尾形さんは枯葉をその前に集め、徐に燐寸を擦った。炎を投げ込まれた枯葉は燻り、燃え上がる。
「…ちょっと、尾形さん、」
「黙ってろ。死にたくなけりゃ俺の後を離れるなよ、なまえ」
短く言われ、私は言葉を呑む。不承不承頷くと、それを確認した尾形さんは薄く口の端に笑みを浮かべた。そのまま物置から火の手が上がることを確認してから母屋の方へ踵を返して勝手口から母屋へ侵入した。
室内は薄暗く、人の気配が感じられない。尾形さんは「さて、どこに隠してあるか…」とこぼしながら何かを探し始めた。
「何を探していらっしゃるんですか」
「どうせこんな家には隠し部屋があるはずだ」
問い掛ければ、ちらとこちらを見て彼は言う。そうしてそこかしこの壁に手を当て、コツコツと叩いて音を聞いている。訳がわからないままに、私も尾形さんの真似をして怪しげな場所がないか目を走らせた。
しばらくそうしていると、突然尾形さんが何かに気付いたようで、私に向けて「しーっ」と指を立てた。次の瞬間、玄関の方から幾つかの慌ただしい足音と、何か言い争うような声が聞こえてきた。
「戻って来たな」
尾形さんは誰が来たのか分かっているようだ。肩から銃を下ろし、いつでも撃てるように弾を装填する。そして私に「行くぞ」と目で合図してそろそろと動き出した。二階へ続く階段を登る尾形さんに息を殺し続く。上から回り込むように進むにつれて、言い争う声の内容が聞き取れるようになってきた。
「オヤ…オヤジッ、もういい、もう十分だろっ」
「誰がオヤジだこの野郎……ずーーっと俺を騙してやがったくせに……」
親子らしき男が二人、何やら口論をしているようだ。見れば二人の足元には女がひとり、血に塗れて倒れている。私は口に手を当て、声を上げないように堪えた。尾形さんは鋭さを増した目で彼らの様子を伺っている。その表情は微かに苛立ちを浮かべているように思えた。
「いまにみてろッ俺はどこかよそへいって自分の力で一から成り上がってやる!こんなチンケな番屋より、もっともっとでかい御殿を建てるんだ!カネに困ったら俺んとこに来いッ、モッコ背負いをやらせてやるぜ!!」
息子らしき若い男が半分泣きながら啖呵を切ったその時、父親が倒れ伏した女の体の下から拳銃を抜き取り、息子へ向けた。撃たれる、と思った次の瞬間。私の横から発砲音と衝撃波が飛び出していた。
「親殺しってのは……巣立ちのための通過儀礼だぜ」
父親を撃ち殺した尾形さんが、排莢しながら淡々と言う。下の階にいる息子に向けられた視線はひどく冷たく、私は密かに震えた。
「テメエみたいな意気地の無い奴が一番むかつくんだ」
そう言いながら階段を降り、女の側に落ちていた箱を取り上げる。
「あ、あんたそれが何なのか分かっているのか」
「分かってるさ。お前には不要なモンだろ。…さっさと行け、つまらん追っ手に捕まる前に町を出るんだな」
尾形さんは冷ややかに言ってのけ、男に興味を無くしたように私の方を見て「もう良いぞ」と言った。私は頷き、随分煙臭くなって来た二階から下へと降りた。その間に男は立ち去っていた。
「…彼らは、」
「この茨戸でニシン漁と賭場をやってた奴らだ。奴らの利権争いに、アイヌの金塊が絡んでやがった」
尾形さんは手にした箱の中身を確かめる。それは変わった紋様が描かれた皮だった。太い線と細い線が曲線を描き、所々に漢字が見える。
「……あ」
思わず声が洩れる。いつか鶴見中尉の描いた線が脳裏に蘇る。それに気付いたと同時に、胃から込み上げる嘔吐感に私は口を押さえてしゃがみこんだ。
ーーこれは、人の、剥がれた皮だ。
「鶴見中尉が追っているものが、これだ。この刺青人皮がアイヌの埋蔵金へ繋がる鍵だ。…お前が知りたかったもののひとつだ、なまえ」
尾形さんの淡々とした声が鼓膜を打つ。その声を聞きながら、私は必死で吐き気を堪えていた。苦しくて涙が溢れる。24人の囚人……その皮を剥いだ上に積まれる金塊は、血にまみれて見えた。
煙の匂いが強くなってきた。裏手の物置から、この母屋にも火が移ってきたのかもしれない。尾形さんは座ったまま動かない。私もまだ、動ける状態では無かった。しゃくり上げそうになる息を堪え、滲む涙を指で拭う。
「…来た。なまえ、大人しくしてろ」
尾形さんの待ち人が来たらしい。ちらとこちらを見て念を押す彼に、私は黙ったまま頷いた。それを確認した尾形さんは、何故か頭の上に先程の刺青人皮を置いた。
薄い煙の中現れたのは、長い白髪をなびかせ刀を握った洋装の老人だった。鋭い眼光から、只者では無いことが素人目にもわかる。その少し後ろに、小柄な着物姿の老人。こちらも好々爺に見えるが、眼光は鋭い。
「どんなもんだい」
尾形さんは自分の頭の上の皮を指差し、戯けてみせる。その姿を見て、小柄な老人は呆れたようにため息を吐いた。
「ヤレヤレ…番屋に放火して女将に出させる方法は、イチかバチかで考えてはいた。ただ、ひとつ狂えば刺青人皮が燃えてしまう危険な方法だからな。馬じゃなく私の頭を撃ちぬくことも出来たはずだ…なにが狙いだ?」
どうやら彼らも囚人の皮を追っていたようだ。問われた尾形さんは刺青人皮を手に取りながら言う。
「茨戸まで来たのは刺青の噂を偶然耳にしたからなんだがね。床屋の前であんたらを見てすぐにわかった。俺は情報将校である鶴見中尉の下で動いてたからよく知ってるぜ。土方歳三さん」
口に出された名前に、私はびくりと肩を跳ねさせてしまう。呼ばれた白髪の老人は、何も言わずじっと尾形さんを見据えている。この人が、網走監獄に捕らえられていたという幕末の鬼なのか。
一触即発、といった空気が流れるが、それを尾形さんは一言でぶち破った。
「腕の立つ用心棒はいらねえかい」
そうして、二人の老人へ刺青人皮を差し出した。私は驚いて尾形さんの顔を見るが、彼はひたと老人と目を合わせたまま、不敵な笑みを浮かべている。
「…いいだろう。名は」
「尾形百之助」
焦げ臭い匂いの中交渉は成立し、刺青人皮は土方歳三を名乗る老人の手に渡った。
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