彼方を照らし寒昴 02.
旭川での取材は予定通り、滞りなく済んだ。そちらへ行くのなら、と下宿先の西脇の奥様から託されたお使いも果たし、あとは第七師団の総本山を見学させてもらうだけだ。白く凍る息を吐き出し、私は旭川の街の大通りを師団本部に向けて歩く。陸軍の兵営が置かれたことにより拓けたこの街は、小樽とは違い明らかに軍事色が強い。北鎮部隊の軍都と呼ばれるに相応しい様相だ。
「百聞は一見にしかず、ってよく言ったものよね…来れて良かった」
私はひとりごちる。本当に、この北の地に来られて良かった。取材を任せてくれた編集長にも感謝し、手土産を買って帰ろうと思いながら、ゆっくりと師団通りを進んで行った。
大通りの突き当たりに、どっしりとした造りの門がそびえ立つ。その前で冬季被服を身に付けた兵士が銃を構え、訪れる者に鋭い視線を投げている。当然のことながら、小樽の鶴見中尉の兵舎とは厳重さが雲泥だ。私も深呼吸をひとつして、気を引き締めた。
「なまえさん!来たか!」
用向きを伝えるため衛兵へ声を掛けようとしたところ、大声で名を呼ばれた。声のした方へ顔を向ければ、鯉登少尉が満面の笑みで駆け寄って来るのが見えた。
「鯉登少尉殿、お久しぶりでございます。この度は私の我儘を聞いて頂きありがとうございます」
「いや、この程度大したことではない。鶴見中尉殿からもよく案内するよう言付かっている。この雪の中良く来られた」
私が礼をすると、彼も衛兵の前であるためか表情を引き締め慇懃に挨拶を返して来た。少尉が衛兵へ私が客人であることを告げれば、訝しげな顔をしていた兵達も敬礼をし、通りへと視線を戻した。
「行こう、案内する」
鯉登少尉の言葉に私は頷き、彼の後に続いて門をくぐった。
「流石、師団の総本部だけあって広いですね…」
「これでも今は兵ん数も減っちょっが、小樽とは規模がちごっでな」
第七師団は他の師団とは異なり、屯田兵が兵の半数を占めている。彼らは平時はこの兵営には居らず、各地の屯田兵村で開拓と訓練に当たるのが常だ。そして今は戦争後と言うこともあり、除隊された兵も多いのであろう。それでも私には十分な規模に見えた。連立する兵舎の向こう側からは、訓練に従事する声と銃声が聞こえていた。
「こん辺りが27聯隊の兵舎や。オイは普段ここん隣の官舎で起居しちょっ」
整然と同じ建物がこれだけ並ぶ様子は、東京でも見ることが無い。はぐれてしまえば忽ち迷子になってしまいそうだ。私は鯉登少尉の説明を聞きながら、大まかに配置図を手帳に書き付けた。
「鯉登、客人か」
「ああ、小樽から来られた。君たちは今から昼か」
歩いていると昼食に向かうらしい数名の青年将校に声を掛けられ、鯉登少尉が挨拶をする。少尉と同期か程近い年頃なのか、お互い気の知れた雰囲気だ。私も軽く会釈をすると、彼らの視線がぐっとこちらに集中するのを感じた。
「おい鯉登、えらく美人じゃないか…!」
「男のような格好で分からなかったが、女性でしたか」
「あれ……彼女、鯉登の『写真の君』じゃないか?」
「…写真?」
私が思わず復唱すると、鯉登少尉が突然横で奇声を上げた。
「キエエエエエェ!!きさんら!そんたなまえさんにゆなァ!!!」
私が驚いて少尉の顔を見上げれば、顔を真っ赤にして何やら早口で捲し立てている。それを見て同僚たちは「出たぞ鯉登の猿叫が」「だから貴様の薩摩弁は分からんと言っているだろう」と笑い合っている。
「なまえさんと仰るんですね。鯉登君からお噂はかねがね伺っておりました。今日、こちらへはどう言った御用で?」
「あ…あの、私は小樽の新聞社に勤めておりまして。旭川へは取材で参りました。せっかく来ましたので、この第七師団の本陣を見学させて頂きたく、鶴見中尉殿を介して鯉登少尉殿へお願いした次第です」
ひとりの青年にここへ来た理由を問われ、私は素直に答える。服装を見るに、彼らは恐らく皆鯉登少尉と同じく士官学校卒の少尉なのだろう。揶揄われている鯉登少尉を包む空気は優しいもので、彼らがこの兵営で良好な人間関係を築いていることが伺えた。…それが、私には少し羨ましく思えた。
「なるほど。鯉登の言うことは本当だったんですね」
「鯉登少尉殿が何か私のことを仰っていたのですか?『写真の君』って…?」
私が聞けば、眼鏡をかけた青年がにこりと笑って教えてくれた。
「いやあ、普段鶴見中尉殿鶴見中尉殿とうるさい鯉登君が、秋に小樽へ行ってから、時折写真を眺めてはため息を吐いていてね。皆でどうしたと問い詰めたら、あなたのことを教えてくれたんですよ。新聞社に勤める先進的で素敵な女性だ、とね」
「オイ貴様!それ以上なまえさんへ話すな!!さっさと飯へ行けェ!!」
鯉登少尉は大声で青年たちに怒鳴りつけ、彼らの背を押し追い払う。彼らは朗らかに笑い声を上げ、口々に「鯉登、頑張れよー」「後で詳しく聞かせてもらうぞ!」などと言いながら手を振り立ち去って行った。
ゼイゼイと肩で息をする鯉登少尉の顔をちらと見ると、視線が合った。彼は気まずそうに口を歪めて言う。
「あいつら…後で覚えちょけや……」
「皆さんと仲が宜しいんですね」
私が言えば、鯉登少尉は何事かを口籠もって黙ってしまう。その様子に私は目を細めた。
「私は、女学校であんな風に言い合える友人に巡り会えなかったので、鯉登少尉が羨ましいです」
「…オイも陸士に行っまでは鼻つまみ者やった」
ぽつりと零された意外な言葉に、私は驚き少尉の顔をじっと見る。その視線に彼はもぞもぞと体を動かした。
「オイは、海城学校におった頃までは、父上ん権威と財を盾にして好き放題しちょった。兄さあんこっもあって、家でも皆オイんことを腫れ物んごつ扱うちょったで…。鶴見中尉殿に出会えて、陸軍を目指さんな、今んオイは無い。奴らとも、なまえさんとも、こうしちょっことは無かった」
ゆっくりと歩きながら、訥々と語る姿は少し寂しげで、私が今まで見ていた鯉登少尉のものとは違っていた。明朗で自信に溢れた青年将校というのは、彼の一面でしか無かったようだ。漏れ出た内面には年相応の弱さが見えて、それが私には親近感を覚えさせた。
「何だ、そんな…面白い話だったか?」
「いえ…鯉登少尉殿にもそんな時があったのかと、意外だったので。鶴見中尉殿をお慕いされていらっしゃるのも、そういう理由だったんですね」
私が言うと、少尉は照れたように頬を掻き、うん、と呟いた。彼の兄のことや、鶴見中尉との因縁については気になったが、今これ以上口に出すのは何となく憚られた。
「あの、ところでなんですが。」
「なんじゃ、」
「どうして私の写真をお持ちなんですか?」
「キエエエエエッ」
私の問いに被せるように、鋭い猿叫が響き渡る。これはきちんと追及しておかなければいけない。
「どうやって入手されたんです?」
「キエエ……」
「叫んで誤魔化さないで下さい。どなたから、どうやって、手に入れられたんですか?」
にっこりと笑顔で言えば、鯉登少尉は背を丸めて顔を覆い隠してしまった。
「なまえさん、すんもはん…」
「謝らなくて良いんです。出どころを知っておきたいだけなので。で、どちらから入手されました?」
「つ、月島ァ……」
結局のところ、鯉登少尉は私の写真を月島軍曹にねだって貰ったらしい。鯉登少尉に見せられた写真は、何度か仕方なしに見合いした時に撮ったものだった。恐らく、鶴見中尉が私のことを調べた際に入手したものを、月島軍曹が預かっていたのだろう。…小樽へ戻ったら、月島軍曹にも釘を刺しておかないと、と私はため息を吐きながら思ったのだった。
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