「ほら名無し」
「あ、ありがとう」
唇からこぼれる息は真っ白に染まって、そうして真っ黒な暗闇に溶けていく。
跡部が渡してくれた缶コーヒーをすっかり冷えた両手で握って、暗闇を見上げる。学校から一番近いこの公園は、付き合った当初から、二人で一緒に過ごしてきた場所。今みたいに、真夜中にこっそり抜け出してデートをしたこともあった。
そんな公園の寒空の下で、跡部はあたしを後ろからぎゅうっと抱きしめて、震える肩を、優しく支えてくれた。
「次、跡部が日本の夜空を見るのはいつになるかな」
「さぁな、まだわからねぇ」
「…もしかしたら、帰って来なかったりして」
冗談めかして、控えめに紡げば、跡部はその碧い瞳を細めて、ぐしゃりとあたしの髪を撫でた。少し乱暴で、でも、胸がちくちくと痛むような優しさが含まれている気がして。
突き刺すような夜の冷気が纏わり付いているというのに、不思議と、瞼の奥はじわりと熱くなる。
「名無し、頼むから泣くんじゃねぇぞ」
「ばかじゃないの、誰が泣いてるっていうのよ」
「…いや、泣いてないなら、それでいい」
あたしの肩は、小さく震える。
その度に跡部の腕に力が込められて、痛みさえも感じてしまいそう。けれど、冷えきった体は神経が鈍ってしまっているのか、跡部がいくら抱き着こうとも、体が悲鳴を上げることは無かった。
その割に、瞼の奥、それから喉の奥までもがひどく熱を持っていて、呼吸は苦しくなるばかり。
「荷物はもう纏めたの?」
「当たり前だろ。つうか前日になって纏まってなかったら、まずいだろ」
「それもそうね」
「ああ」
「…ねえ、」
「何だ」
「……その…、」
何気ない会話をしていたはずだったのに、突然、言葉が出てこなくなってしまった。
それどころか、俯けば俯くほど、水滴がコートに垂れて、染みを作っていく。
それを右手の人差し指で拭いながら、あたしはようやく泣いていることを自覚した。
「泣いてないっつったのは誰だよ、アーン?」
「…ごめ、…っ」
「謝るくらいなら、泣き止め」
「うん、ごめん…」
「だから、」
「…好きになってごめんね、跡部」
両手の甲で拭っても拭えきれないほど、泣きじゃくってしまったあたしが紡いだ言葉に、跡部の顔色が変わる。
「好きにならなければ、こんなに寂しい気持ちを、知らずに済んだのに」と続ければ、彼は苛立ったように眉間にシワを寄せて、あたしの体を反転させる。
今までくっついていた背中がひやりと冷えた代わりに、今度は、胸やお腹側が、温かいぬくもりに包まれた。
「名無しがいたから、寂しいという感情を知ったんだ。謝るような事なんざしてねぇだろ、お前は」
あたしの顔の近くにある、跡部の肩も震えている。
冬の冷気は、彼をも、震えさせてしまうのか。
そんな事を考えている内に、流れる涙はぴたりと止んで、あたしの呼吸は落ち着きを取り戻し始めていた。
すると、そのタイミングを見計らった跡部は、そっと、体を離した。
「必ず、お前を迎えに帰ってくる」
跡部はあたしの左手を取ると、薬指の付け根に、そっと唇を落とした。
まだ指輪も買えなければ、書類を書くことさえ認められないあたしたちの存在を、神に誓っているようだった。
明日、跡部は海外へ向かう。
あたしはそんな彼が誓いを立てた薬指を、これからずっと、守っていかなければならない。
そこに、正式な誓いを立てる日が来るまで、ずっと。
本物のきらめきに、夢を見た
(世界で何よりも輝く、最愛の誓いに)
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テーマは「純愛」。
冬の寒さに負けないあたたかさを表現できたら、と思いましたが、いつの間にか切ないお話になってしまいました…。
でも冬だからこそ、切ない恋が似合うと思います。
庭球純愛様、1000000hitおめでとうございます。
企画に参加出来たことが嬉しく、光栄に思います。
ありがとうございました!
(2009/12 ふみ)
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