▼ 追いかけっこ



 ちゅんちゅん、雀が可愛らしい鳴き声を交わしながら空を飛び回っている。梢の合間をすり抜け、楽しげに翼をばたつかせて、元気よく囀る。
 しかし――その平穏で静かな森の中に、突然硬質な弾丸の音が轟いた。
「だぁーかーらー!」
 木々の合間を縫って、ひたすら銃弾を躱して走る。たまに頬を熱い塊が掠めて、ちりっと火傷を残して樹木にめり込んだ。じりじりと痛い。けれどそれを気にしている暇はない。今は逃げることだけを考えろ――でないと、
「なんで逃げるんですかっ!」
「お前が追いかけてくるからだろうがー!!」
 理不尽にもほどがある。背後で猟銃をぶっ放す相手に、ひたすら怒りしか湧かない。
 これでもう、何回目だろうか……。

 この森は、もともとが俺の御先祖様が勝ち取ったものだ。狼族が支配し、これからも人間の干渉は一切許さない。
 人間は卑怯で最低の生き物だ。争うことばかりに夢中で、他の生き物を虐げることばかりに必死になる。少しでも自分たちと違う異分子が目の前にあらわれたら、すぐに攻撃と侮蔑を始める。それで滅んだ種族を山ほど見てきた。
 俺たちはそんな人間から、この森の生き物を守って暮らしている。
「カマラさん、なんか変な人間が森に入ってきたよ」
 そう報告してきたのは、森の入り口を監視している栗鼠のリコだった。慌ててやってきたのか、栗色の巻き毛がくしゃくしゃになっている。
 俺はリコの報告を聞いた途端、立ち上がった。
 この森に来る人間なんて最近じゃ珍しくなっている。俺たちが追い返し、ひたすら人間を遠ざけた結果、恐れおののいた人間たちは森の周りに関所を築いて、完全に外界から俺たちの森を遮断してしまった。何を考えているのやら――わざわざ敵対している種族を守るようなことをしてくれている。あっちは隔離しているつもりなのだろうが、人間と違って俺たちの仲間は姿形もまちまちで、元の姿に戻れば人間なんて容易く騙せるのに。
 そんな経緯もあって、この森は危険地帯と認識されている。賢明な人間は近づきもしない。その危険地帯に、久しぶりにやってきた人間――。
 俺は警戒するよりも、俄然興味を持った。どんな人間なのか……どうして、ここにやって来たのか。
「カマラさん?」
「おい、リコ。案内しろ」
「は、はいっ!」
 ぴょこぴょこと元の姿で駆けだすリコを、俺も狼の姿で追いかける。久しぶりに血が滾る――本能が闘いを求めているのかも知れない。人間との闘いに備えて、俺はひたすら身内の闘争本能を滾らせた。
 来るなら来い――古代から続く狼族の誇りを、見せつけてやる。
 しかし、殺る気満々で臨んだ人間との邂逅は、俺の理解の範疇を超える奇妙なものだった。

(意味わかんねぇ……っ!)
 ひたすら銃弾を避けながら、俺はつい一か月前の出来事を思い返していた。
 あの時、リコが知らせてきた闖入者と、排除がてら闘う気満々だった俺は、森の入り口でうろうろしていた人間を見て、唖然とした。
 見るからに、ひょろい。俺もお世辞にも筋骨隆々とは言えない体つきだが、目の前にいる男は縦に長くて痩せている。挙動不審な動作で猟銃を抱えて、ひたすら入り口で立ちすくんでいるようだ。俺はそれを見て急激に戦闘意欲が失せた。萎んでしまった闘志はもとに戻ることはなく、ひたすらにひ弱そうな人間を冷めた目で見つめた。
 あの時からだ――何故かあの人間は俺に付き纏うようになったのは!
「待ってーっ! 待ってください、お願いですからーっ!」
「こんな状態で待てるか馬鹿野郎っ!」
「だって、貴方を倒さないと僕も帰れないんですぅ!」
「んなこと知るか!」
 泣きそうな声で、よたよたと覚束ない足取りで追いかけてくる人間は、壊滅的に射撃の腕が悪い。手入れの行き届いた良い猟銃を持っていても、腕が悪くちゃ宝の持ち腐れだろう。俺を目掛けて撃っているはずの鉛弾はすべて、俺の左右に立っていた樹や岩に当たってめり込んで終わりだ。それを傍目に、俺は呆れて溜め息を吐く。
 人間――確か名前はグランと言った――は、狩人として村で暮らしていたが、近くの森に棲む主の鹿を誤って殺してしまい、村を追い出された。途方に暮れたグランは、そこである条件を村人から出される。
『禁忌の森の主の狼王を仕留めて首を持って来い。そうすればお前の勇気を称えて村に戻ることを許す』
 両親を早くに亡くして身寄りのないグランは、一縷の望みに縋った。
 村人はそんなグランを嘲笑し、到底敵う相手ではないと口ぐちに言いながらグランを追い出した。――という、経緯らしいと追い駆けられながらも何故か、俺はグランから訴えかけられていた。そして次に続くのは、「だから僕にその首ください!」だった。誰がやるか!
 狼王というのは、勿論俺の通り名だ。先祖代々、この森を守り続けた者として、森の住民が尊敬の念を込めて狼族の長をそう呼んだ。
 俺はまだまだ未熟者だし、正直狼王の名前を継ぐのは早いと思っているけれど、森の者からすれば長を継いだ俺はれっきとした「狼王」なのだろう。
「うわっ!」
 銃弾が、惜しい場所を飛んで目の前の樹にまためり込んだ。俺の腕に熱い感触が残っている。そろそろ息が苦しくなって、俺は足を止めた。乱れた呼吸を整えながら、後方を振り向く。そこには汗だくになったグランが両ひざに手をついて、荒い息を繰り返していた。
 狩人を名乗っているにしては、グランは体力がなさすぎる。俺と小一時間追いかけっこをしただけでこの有様では、他の動物どもにも舐められる。
「お前さ、本当に狩人なのか?」
「僕は……っ、元は野兎専門の……狩人で……」
「はぁ?」
 そんな狩人がいるのかと、思わず素っ頓狂な声を上げた。
 グランはまだ荒い息を整えている。俺は呆れて息を吐いた。
「人間ってよ、なんでそんなに馬鹿なんだ?」
 狩りをするのにいちいち獲物を選んでいたんじゃ、食っていくのも苦労するだろうに。
「だって、僕に狩れるはずがないじゃないですか……! 大きな熊や狼や……考えただけで怖いです!」
「じゃあ、なんで俺を追いかけて怖くないんだよ」
「そ、それは……その……」
 それは、自分ではわからないと、グランは曖昧な表情で言った。
 俺も意味がわからない――。俺は仮にも「狼王」とまで言われている狼族の長だ。その俺を追いかけて怖くないなんて、古参の狩人でも絶対に口にしないだろう。口にしたら最後、俺の牙にかかって死ぬ運命だ。俺は自分で言うのもなんだが、沸点は低いほうだ。人間に舐められたままじゃ、狼族の名が廃る。
 しかし、この男には怒りもなにも沸いてこない。寧ろ哀れな感情ばかり沸いてきて、どうしたって力が出ないのだ。こんなビビりの狩人もどきを倒したところで、俺に何ら利益もない。逆に惨めになるだけじゃないのか……とさえ思う。
「なぁ……お前さ、」
「は、はい!?」
「行くとこないんなら、ここに住むか?」
「へ、えええぇ!!?」
 我ながら、どうしてこんなこと口走ったのかいまだに理解できないでいる。
 この時は、なんだかこの人間が哀れになっただけなのだ。他の感情なんてなかった。気づいたら、ぽろっと言葉が零れていた。
 ぽかんと間抜けに口を開けたまま突っ立っているグランに、俺は何とも言えない表情を向けるのだった。

「俺はこの森に住むことは許したが、狩りをすることまで許してねぇぞ!!」
 ばんばん銃弾が飛んでくる状況で、それでも俺は息も乱れてはいない。たまに危うい位置を飛んでくる弾丸を避けつつ、全然成長しない相手に怒鳴った。
 グランが森に住み着いて三か月――俺はその三か月の間、ずっとこのくだらない追いかけっこにつき合わされている。
 何度言っても、何度いなしても諦めない相手にそろそろ本気でイラついてきた。
 まだ村に戻る希望を捨てきれないでいるグランは、こうして昼の腹ごなしが終わった途端に俺に襲い掛かってくる。ある日は弓矢で、またある日は鉈で、そのまたある日はナイフで……。
 今日は初めて森に来た時に使っていた猟銃を使って、惨敗の毎日に懲りもせずに挑んでくる。
 その根性は見上げたものだと思うが、毎日このぬるい狩りごっこにつき合わされるほうの身になってほしいものだ。
「もうそろそろ諦めろってー!!」
「いやです! 絶対、捕まえてみせますからねー!!」
 殺す、から、捕まえる、に。グランの目標は変化している。
 これは、この森で暮らして動物たちと仲良くなってから、グランなりに考えを改めた結果のようだ。
 最初は怖がってそばに近寄りもしなかったリコも、人間だと馬鹿にしていた他の連中も、今ではすっかりグランを気に入っている。これはいい変化なのか疑問だったが、グランは最初の頃と違って穏やかな表情が多くなったようだ。――しかし、それは俺以外の時だけだ。
 一応、命の恩人である俺に対して感謝の一言くらいあってもいいのでは? そう言いたくなるほどには、グランは俺の前では不敵な表情(とは名ばかりの強がりな)を崩さない。片っ端から武器を持って追いかけてくるその姿は、傍から見れば滑稽なことだろう。
 言葉遣いは相変わらず丁寧だ。しかし、表情が小生意気で腹立たしいことこの上ない。
 どうしてこの人間に俺が気を遣って逃げ回らねばならないのか……。殺(や)る気が起きないと言えども、一発ぶんなぐるくらいはできる。
「いい加減、諦めねぇとまじで殴り飛ばすぞっ!」
「それはいやですっ! カマラさんが本気になったら僕が敵うわけないでしょー!」
「じゃあもう大人しくここで暮らしとけこの馬鹿っ!!」
 言ってることと行動が矛盾しているこの生き物が本気でわからない――。
 心の中で絶叫しながら、俺はまたグランから逃げるために走り出した。


 最初、森の奥から現れた彼を見た瞬間から、もう僕には闘う意思なんて残ってなかった。
 兎に角、迫力がある。凄まじい闘気が全身から溢れて、一瞬で僕は殺されるんだなって思った。
「行くとこないんなら、ここに住むか?」
 それでも、素直に殺されるなんて悔しくて、流れ弾でもいいから当たらないかと必死で追いかけた相手に、優しい言葉をかけられた時、僕はもうその言葉に抗えなかった。
 苦々しい顔――言うつもりなんてなかったんだということがひたすら伝わってくる表情にも、僕はなんだか救われた気がした。
 村人たちの侮蔑や冷徹な顔や、子どもたちの馬鹿にした言動――僕を心底嫌っている村の人々とはまるっきり違う、外界から来た天敵ほどの認識。彼……カマラさんの態度は、久しぶりに僕の心を癒してくれた。
 それなのに、僕はどうしてかカマラさんにだけ素直になれないでいる。
 他の動物たち、特に栗鼠の獣人リコくんとはとても仲良しになれたのに、一番仲良くなりたいカマラさんにだけ、変に天邪鬼なのだ。
 どうしてなのか――いくら考えても答えは出なかった。
「それって、カマラさんに構って欲しいからじゃないの?」
 どうしたらいいかわからなくて、リコくんにそっと打ち明けてみた。すると、予想外の答えが返ってきて僕はしばらく固まってしまった。
 僕は、カマラさんに構って欲しい?
「だって、狩人じゃなくなったグランくんになんてカマラさんは興味を示さないんじゃないかな。ここの住人になっちゃえば、カマラさんは決して見捨てはしないけど……グランくんにだけ構っている暇はないだろうしね。だから、グランくんはカマラさんの興味を引いておきたくてあんな追いかけっこ仕掛けてるんでしょう?」
 まるで至極当然のことのように言われた言葉は、確かに僕の心の奥底の願望らしかった。
 すとんと、今までもやもやと理解できなかった行動の理由が落ちてきた。

 カマラさんは、まだ気づいていない。
 僕の真意と気持ちに、まだ一向に気づく気配はない。
 なら、気づくまで、カマラさんの体に染み込むくらいに、この追いかけっこを続けてやろう。
 そして――僕の気持ちを、いつか伝えられればいいと思う。

「だぁーっ!! もういい加減にしろってー!!」
 今日もまた、獣人の森に銃声と絶叫が響く。
 狼と狩人の生ぬるい追いかけっこは、その後もしばらく続いたという……。


 畢


天敵企画様に投稿いたしました!
ありがとうございます^^*



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