▼ 愛に溺れる心臓のエトセトラ



「ねーねー! 楓ちゃん、今度は俺と一緒にご飯食べに行こう?」

「でしゃばるな、千石。楓と昼食を食べるのはこの俺だ」

「楓さん、あんな馬鹿は放っておいて僕とお昼行きましょう?」

「……楓、一緒に行こう」

「っ、だあああぁっ!! 五月蝿いっ! 喧しい! 散れ! 今すぐ俺の前から消えてくれ悪夢の化身たち!!」

生徒会の面々に取り囲まれ、奇妙な言葉を叫んでいるのは、一ヶ月前にこの学園に編入してきた一年生、剣崎楓(けんざきかえで)である。

ぼさぼさの漆黒の本物では絶対有り得ない髪(最早鬘と呼んでも差し支えないだろう)と、壜底眼鏡とまでは行かないか、ダサいフレームの分厚い眼鏡。

明らかに変装だと分かる様相を呈する彼は、僕こと――琴澤泪(ことざわなみだ)の不本意ながら同室者であり、更に不本意なことにクラスメートでもある。

誰が剣崎とお昼を共にするかで骨肉の争いを繰り広げる生徒会の皆様を眺めつつ、僕は案外学園のトップも幼稚なんだなぁ、とか思っていた。いや、寧ろ冷たい視線と共に侮蔑の感情を抱いていた。

「口には絶対に出さないけど……」

この学園で生徒会の悪口なんて言おうものなら、どんな制裁が来るか分からない。

厄介事、面倒事、どちらも遠慮したい。
僕は傍観者に徹したいのだ。
物語の中心になんて、居座るのはご免だ。

そう、僕の目標は“空気”。
僕は自分にそう言い聞かせ、助けを求める剣崎の視線から目を反らした。

ああ……もう、鬱陶しい。

「仕方ない、“駆け込み寺”に退散するか……」

独り言を呟きつつ、僕は席からこっそりと立ち上がり、抜き足差し足でドアまで移動した。そして我ながら俊敏な動きだと褒めてやりたいダッシュ力で、脱兎の如く教室を飛び出したのだった。


 ※ ※ ※ ※


「ウェルカム、泪ちゃん」

語尾にハートマークが着きそうな甘い声で僕を出迎えたのは、蕩けるような笑顔を浮かべた超絶美形だ。

「お邪魔します」

「ようこそ、エデンへ!」

「そのテンションウザいです」

「ひどっ」

誰もが見惚れる美貌を大袈裟なほどに歪めて、彼――桂木雨竜(かつらぎうりゅう)先輩は嘘泣きを始める。

……完璧に容姿と行動と言動が合っていない。

さらさらの黒髪を背中辺りまで伸ばして、淡い灰色の瞳は英国出身の母親譲り、くるくると七変化する端正な美貌は、まるで精巧な陶磁器人形のようだ。

「まあ、おふざけはこれくらいにしましょ。泪ちゃん、今日もお昼食べに来たんでしょう?」

「はい。貴方の幼馴染み率いるお馬鹿集団が僕のクラスに押し掛けて来てますから」

「あーもー……アイツ。ごめんね、またきつく“お仕置き”しとくから」

掛けて掛けて、と勧められたのは、豪華な革張りのソファー。
そう、僕が“駆け込み寺”と呼んでいるのは、生徒会メンバーが全て出払った後の、がらんとした“生徒会室”だった。
僕が此処に逃げ込む度に、桂木先輩は笑顔で迎えてくれる。

俺様なのにヘタレな生徒会長、海藤絆(かいどうばん)の幼馴染みであり、副会長である桂木先輩。生徒会メンバーで唯一、あの騒がしい元気一杯問題児にほだされて居ない人物でもある。
因みに、今現在編入生にへばりついているのは、生徒会長、書記、会計……そして何故か風紀委員長、だ。

「アイツらも、毎度毎度ご苦労さんなことで……誰が尻拭いしてるのか、思い出させてあげないと駄目かな?」

桂木先輩の笑顔がどす黒い。付属する言葉もかなりの毒を含有している。
えーと、もしかしなくても、僕って仕事の邪魔になってる?
平々凡々、何の取り柄もなく、ちょっと口が回るくらいの僕が、近くに居ては集中出来ないだろうな。……自分で言っててヘコんできた。

「先輩……僕、邪魔ですか?」

若干しゅんとしながら、僕は先輩に訊ねてみた。
邪魔なら迷惑になりたくないし、取り敢えず、空気の読めないヤツ――例えばあの編入生みたいに――にはなりたくない。

「……泪ちゃん?」

「はい……」

「俺がいつ、邪魔なんて言ったの?」

「うわっ……!」

腰に響く艶々しい声が聞こえたと思えば、突然隣から腕が伸びてきた。勿論、その腕とは桂木先輩の腕だ。

僕の隣で書類整理をしていた筈なのに、いつの間にか桂木先輩は僕を抱き殺す勢いで抱き締めている。桂木先輩の表情は悲しいかな、座高の差でうかがえない。

「泪ちゃんて、口は達者の癖に他人の感情の機微に疎いよね? 俺の気持ち、絶対気付いてないでしょ……」

「き、気持ちって……」

「全然分からない、ってことはないよね、泪ちゃん。君は聰い子だし、賢い子だ。まあ、そこが気に入ったんだけどね」

「えーっと……」

聞いちゃダメだ。
聞いちゃダメだ。
聞いちゃダメだ……。

ああダメだ。本当に。呆ロボットアニメの主人公みたいになってる。いや違うって、問題はそこじゃなくって、今考えねばならないのは如何にして、この後待ち受けているであろう桂木先輩の言葉を聞かないようにするかだ。……って、落ち着け、落ち着け琴澤泪。何を焦ってるんだ。混乱しても仕方ない。クールになれ。いつもの自分を、取り戻さないと――。

「俺は、泪ちゃんが好きだよ?」

「……っ」

「サバサバしてて、達観してて、傍観者に必死でなろうとしてる健気な泪ちゃんが、俺は本気で好きだよ?」

心臓が――加速する、疾駆する、暴走する、爆発する。

兎に角、僕の思考は完全に真っ白で、まるで退化してしまったかのように脳味噌が鈍感になっていた。

考えることを放棄したけれど、しかし、感情というものは別物のようにくるくると回転を始める。

桂木先輩は即ち――僕が好き?

「う、わ……」

不意打ち、予想外、想定外。
エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ。
脳内はバグを起こしたように「エトセトラ」を連呼している。

「ねえ、泪ちゃんはどうなの?」

「どう、って……」

桂木先輩の表情は、訊ねていると言うより、最早確信したそれだ。
多分、いやきっと、僕の顔は茹で蛸なのだろう。……顔を上げた先にあった桂木先輩の、キラキラしく美しい笑顔がそれを伝えてくる。

愛に溺れる。そんな感じ。
一旦気付けば、知らん振りなんて出来っこない。僕はそれほど、大人になれない。

「桂木先輩」

「ん?」

「愛してます」

最大級の愛情を、言葉に乗せた。

お昼時間の終わりのチャイムが鳴る。
その時初めて、僕はお昼ご飯を食べ損ねていることに気付いた。



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