▼ 隣の王子様




「隣のクラスにさ、王子って呼ばれてるヤツいるじゃん」

そう言って焼きそばパンを頬張る友人は、本当に脈絡がない。
言われてみれば、そんな綽名の生徒もいたな、くらいの認識しかなかったので、適当に受け流す。

「お前相変わらず、他人に興味ないよな。俺の名前覚えてる?」

「覚えてるよ、佐々川」

「下の名前は?」

「葉慈(ようじ)だろ」

「正解!」

「……」

確かに、記憶力はよくないという自覚はある。しかし、週に五回は学校で顔を合わせている相手の名前も覚えられないほどではない。かなり失礼だ。
その意味をそっと視線に込めて友人を睨む。手の中でクリームパンがぐにゃっと潰れた感触がする。そんなに力を入れたつもりはなかったけれど、予想以上に身体が力んでいたらしい。

「悪かったよ。でもさ、思春期まっただ中の高校生が、好きな女子の一人もいないなんて寂しいと思わないか? 女子に手紙やらなんやら一杯貰ってる癖に、誰だっけ? の一言で全部壊すお前が心配なんだよ」

「それとこれと、なんの繋がりがあんだよ」

「いやぁ、その王子はお前と違って女子には親切で、告白されても丁寧に断って、絶対傷つけずに終わらすんだってよ。お前も見習え、直羽(すぐは)」

「うるせぇ、覚えてないもんは仕方ないだろ。変に期待させるより、すっぱり言ってやる方がいいじゃないか」

「ものには言い様ってもんがあるでしょうが」

そう言われても、そんな聖人君子と一緒にされても困る――口には出さないけれど、嘆息の中にそう本音を織り交ぜた。
産まれてこのかた、女子との親密な会話なんて経験したことがない。例外は母親だけで、そもそも人付き合いが苦手な自分に、女子に気軽に会話なんて振れる筈がなかった。
喧噪とは程遠い屋上で二人、寒空の下で冷たい惣菜パンと珈琲牛乳を胃に詰め込む。そんなしょっぱい経験ならいくらでも思い出せる。

「で、その王子は何者なんだよ?」

「あ? ああ……最近ここに転校してきたらしいぜ。名前……は確か、桜葉禅(さくらばゆずる)。なんでも、お金持ちの家柄いい坊ちゃんらしいけどな」

「……ああ、アイツって、綽名が王子なのか」

「おい、お前もしかして知り合いとか言う?」

「家が隣だな。それと幼馴染だ」

「はあ!?」

友人――佐々川の素っ頓狂な声が耳に痛い。
家が隣、そして親同士が昔からの知り合い。それは紛れもない事実だ。
その伝手で隣の一軒家に引っ越してきた彼と、親しくなるなという方が難しいだろう。
ひょう、と吹き荒ぶ冷たい冬の風が目に沁みる。ぐしゃり、と佐々川の手の中で珈琲牛乳のパックが潰れた。

「俺さ……お前と一番仲いいのは勝手に自分だとか思ってたんだが、勘違いだったのか」

「いや、違わない。それは合ってる」

「いやいや、その桜葉某に、俺は負けた気分だ……」

「なんでだよ」

勝手に落ち込んで、勝手に完結させてしまったらしい佐々川は、すっかり意気消沈した様子で残りの焼きそばパンを口に放り込んだ。
理解出来ない友人の行動に、首を傾げざるを得ない。
予鈴が鳴る。急いでクリームパンを口に詰め込み、妙な沈黙を保ったままの佐々川と一緒に屋上を下りた。


 ※ ※ ※ ※ ※


初めて会ったのはいつの頃だったのか、よく覚えていない。
気づけば春休みや夏休みに、なにかにつけて家に遊びに来ていた少年と仲良くなった。それだけだ。
「ゆずる」という音がうまく言えなかったので、幼い頃の自分は幾分舌足らずな音で「ゆず」と呼んでいた。

「すーちゃん」

記憶とズレがある、低い声。
高い目線から自然と見上げるかたちになるのは、なんとも複雑だった。
思えば、いつごろからこんなにも身長に差異が出来てしまったんだろうか。
直羽は不満な気持ちを隠そうともしない。

「見下されてるようで、不愉快だこの体勢」

「えーと、ごめんね?」

そして不気味だ。それは口の中でとどめた。
言えば必ず、目の前の男は困ったような悲しいような顔をして黙ってしまうだろうから。男同士だというのは、とっくに理解している。
桜葉禅という青年は、確かに裕福な家庭で育ってはいるけれど、やんごとなき家柄などでは決してない。
両親は世界中を飛び回る外資系の会社の幹部で、夫婦そろって家にいることが少ない。寧ろ、家に居ない方が多い。
自然、禅の面倒を見るのは住み込みで働いている家政婦ということになる。
乳母のような女性に育てられ、不自由なく過ごせる家庭環境――そのすべての影響を受けて育ったらしい禅は、完璧に世間知らずな王子様だった。
そんな禅は、直羽を兄のように慕っているらしい。これは今も禅の母親代わりの家政婦から聞いた話で、直羽自身は疑問に思っている。

「兄貴みたいに思ってるヤツに、こんなことはしないよな?」

「ん? 誰が誰のお兄ちゃんだって?」

後ろから低く澄んだ声が聞こえる。
背中に貼り付くような体勢で自分にくっつく禅を首を捻って見上げて、直羽は思いっ切り嘆息した。
ここは自分の部屋だから、別に焦りも羞恥もない。それに、両親は今夜は帰らないと言っていた。
たまに帰ってきては、禅の両親は直羽の両親と共に出かけてしまう。
折角帰って来たのならば、自分の息子と少しくらい過ごせばいいのに……と直羽が不満を言えば、禅は透き通った目で「すーちゃんと一緒にいる方がいい」と言う。
甘いな、と自分自身でも思うけれど、禅の我儘に抗えた試しがないのも事実だった。
こんな関係になったのも、いつかは曖昧だと言ったら、禅は悲しむだろうか。
好きと言われたこともないし、好きだと自分から言ったこともない。
禅はこの感情をなんだと思っているんだろうか。そうふと疑問に思った。

「俺が、お前のお兄ちゃん代わりだって、喜代(きよ)さんが言ってたんだよ」

「それは……嫌だな」

禅の栗色の優しい色をした髪が、首筋にかかる。甘いシャンプーの香りがして、くしゃみが出そうになった。
お腹に回った禅の腕の力が強くなる。床に座り込んだ状態で、この体勢をずっと続けるのは正直疲れる。
もうそろそろ解放してもらおうと、禅の手をぽんぽんと叩く。すると待っていたのは解放ではなく、ぐるりと回転して押し倒された視界だった。

「……ゆずる」

「最近、すーちゃんは僕のこと“ゆず”って呼んでくれないね」

吐息がかかりそうな距離で、禅が囁く。
甘いマスク、鮮やかな笑顔、優しい言葉づかい――なにをとっても申し分なく、王子様。
表面だけ見れば、そうだ。誰もが悪印象を持たない。聖人君子の、桜葉禅。

「すーちゃんはどう思ってるか知らないけど、僕はずっとすーちゃんのこと好きでこんなことしてんるんだけど……気づいてる?」

ゆらゆらと、感情の窺えない瞳の奥で妖しい炎が揺れている。
同じことを考えていたことに軽く衝撃を受ける。見透かされたような的確な言葉に、つい直羽は瞠目した。

「もうさ、すーちゃんと一緒の学校に行けるのは嬉しいんだけど、いつまで他人でいなきゃならないの? もう女の子からの告白に使えそうな言葉全部使い切っちゃったよ。そろそろ、もう付き合ってる子いるからって――言いたいんだけど……直羽」

「――っ」

艶のある笑みは含みたっぷりで、澄んだ気配も爽やかさもない。
ひたすら情を滲ませた瞳は直羽だけを見詰めていた。

「兄だと思ってる人にこんなことしない。じゃあ、弟だって思ってるヤツに、こんなこと許さないんだって……思ってもいいんだよね?」

「……わかってんなら、聞くなよ」

もう唇が触れ合いそうだ。相手の顔も焦点が合わずぼやける距離で囁かれる睦言に、直羽は降参とばかりに長い長い息を吐いた。
床に縫いとめるように掴まれている手が熱い。柄にもなく顔にも熱が集まって、吐息も普段より温度が上がっている気がした。

「そんな悪趣味じゃねぇよ、ゆず。ちゃんと俺もお前が好きだ」

震えそうになる声を必死に抑えて、言い終わった瞬間に禅の唇に自分の唇を押し付けた。
驚いたように、禅の肩が跳ねる。そしてゆっくりと、禅の瞼が閉じていった。


 ※ ※ ※ ※ ※


「なあ、聞いたか? 例のお前の幼馴染の王子様、ついに彼女出来たらしいぞ」

小春日和の屋上は、それでも冷たい風に未だに春は遠いことを実感する。
悴んだ手で苦戦しつつあんパンの袋を開けて、直羽は佐々川の言葉に無表情に頷いた。

「これで女子の憧れの王子様は、他人のものかぁ〜……うちのクラスの女子が落ち込んでたわ」

「ふぅん……」

「またお前、他人に興味ないな……つまんねーの」

佐々川の言葉にいちいち反応するのもおかしい話だ。大抵、彼のこういった話は無視を決め込んでいる。
壁に完全に背を預けて、直羽はふっと吐息を漏らす。動揺しそうになる自分の心臓を持て余して、あんパンに齧り付いた。

「一回、その王子様と喋ってみたいもんだな。どんな子が彼女なのか、聞いてみたいぜ」

それなら、目の前にいるぞ――とか絶対に言えない。
勢いこんであんパンに噛り付いたものの、まったく味を感じない。珈琲牛乳を飲んでも、同様だった。
人並みの精神力しか持っていないという自信がある。
直羽は隣で繰り広げられる“王子様”の彼女はどんな子か、という話題に段々と疲れを感じてきていた。

「目の前にいるよ、僕の付き合ってる子」

「――!?」

頭上に影が――そう感じた瞬間に、昨日一日で散々聞き慣れてしまった声が響く。
その声が言い放った内容に愕然としながら、直羽は鋭い視線で相手を睨んだ。
佐々川が驚いて突然現れた噂の王子様――桜葉禅を見上げた。

「え? 桜葉? いまなんて……」

「だから、佐々川くんの隣にいる子が僕の付き合ってる子だから、よろしくね」

「……え、え……?」

佐々川が混乱するのはもっともだ。隣に座っているのは紛れもない、男で、しかも自分の友人なのだから。
爽やかな、妙にすっきりとした笑顔を浮かべている禅に、直羽は呆れて溜め息をついた。

「……ゆず、お前な」

「いいじゃない、すーちゃんの友達なんだから、わかってくれるよね?」

佐々川に向かって惜しみなく笑顔を振り撒く禅に、直羽は言葉も出なかった。

北風が吹き荒ぶ。
凍えた屋上に、束の間の温かな日差しが降り注いだ。





ともさんへのプレゼント^^
まったく王子っぽくなくてすいません…あだ名だけ王子orz


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