▼ 実験成功!?





「つまり……あれか? 俺はお前の私的研究に巻き込まれたってことか? あぁ?」

「えへへー……ごめんなさい?」

「えへへー……じゃねぇよ!!」

可愛い声で無理矢理ドスをきかせて怒鳴る様子は、周りから見ればかなり異様な光景だ。しかし、残念ながら周りにはまったく人気はない。
くりくりと円らな瞳を怒らせ、平均よりも低い背を必死に伸ばして、青年は目の前の人物をひたすら睨みつける。茶色いふわふわの髪は逆立ち、その様はさながら怒り狂った猫のようだ。
そしてかたや、その華奢な青年に怒鳴られ、睨まれる人物はまさに猫のような青年とは対照的な青年だった。
赤く染めた髪をツンツンにワックスで固め、ピアスを開けて制服を着崩し、目付きは一瞬でも目を合わせれば射殺されそうなほど鋭い。典型的な“不良”の出で立ちだ。
その青年が、ただ困ったように眉根を寄せてひたすらに縮こまっている。しかし悪びれているというより、嵐が収まるのを待っているという感じである。大きな背を丸めて、猫のような青年を見下ろし、困ったように笑う様子は情けない犬のようだ。
このまるで正反対な二人は、静かな放課後、古びた校舎の階段下で言い争っていた。


――事の発端は、十分前に遡る。

がつん、と、背中を衝撃が走った。そう理解した次の瞬間、体に異様な浮遊感。纏わりついてきた“誰か”の体と一緒に、硬い階段を転がり落ちる。視界が真っ白になり、ぐるぐると回る。吐き気と共に火花が真っ白な視界に散って、そのまま意識が濁った闇に沈んだ。
……それから十分弱、漸く意識が混濁から浮上する。ぱちぱちと瞼を開閉して、絡まる四肢を見下ろす。二人はその一連の動作を同じタイミングで繰り返し、そして――悲鳴を呑み込んだ。
目の前に自分の顔がある。一人は状況が理解出来ず、あんぐりと口を開けて自分の顔をじっと見つめる。一人はしまった、という風に顔を顰めて視線をあらぬ方向へ逸らした。
そして――文頭の会話に戻る。

「しょ、しょうがないじゃなですか……まさかこんな時間に旧校舎に人がいるなんて思わなくて……」

「やめろ! 俺の顔でそんな気色わりぃツラすんな!!」

うるうると瞳を潤ませてこちらを窺う自分なんて、虫唾が走る……。この厄介な状況に、青年は頭を抱えた。どうして、こんな事になったのか。
彼はこの高校で知らない者はいないというくらいに、有名だった。赤い髪、鋭い目つき、最強の喧嘩殺法。これまで負けなしの連戦連勝に、廊下を通れば誰もが道を譲る。「赤い狼」、そう呼ばれているのが彼だ。
誰とも群れず、一匹狼を貫く。旧校舎の屋上は、彼のテリトリーで唯一心の安らぐ場所だった。今日もたっぷり眠り、いざ夜の街に繰り出そうと階段を下る途中で――この悲劇。

「最悪だ……なんなんだよ、お前……」

「だから、僕、見習い魔術師で……ここの生徒で……」

「そんな非現実的な話、信じろってか?」

「でも、実際に今こんな“状況”だし……」

「……くそっ」

赤い狼――新塚遥希(にいづかはるき)は再び頭を抱えた。この理解不能な状況と、目の前のコイツ。普通なら殴り飛ばして終わる所だが、“自分の体”を殴るほど馬鹿ではない。余りにも腹が立つので、コイツの体を殴ってやろうかとも思ったが、痛いのは中にいる“自分”なので結局やめた。
一方、遥希の中にいる青年――花邑奏音(はなむらかのん)は、内心非常に焦っていた。どうやって、この状況を収拾させたらいいのか……。こんな面倒なことになるとは、思いもしなかった。
花邑の家系は代々優秀な魔術師を輩出してきた名門で、彼はその後継者となるべく育てられた。見た目を裏切らない純粋な心の持ち主で、まさに箱入り息子の典型だ。疑うことを知らない奏音の心は、目の前の人物をもまるで恐れることはない。話せばきっと協力してくれると信じている表情で、にっこり笑う。
遥希は自分の顔がまるで邪気のない笑顔を浮かべる様子を間近で見せつけられて、全身が総毛立った。不気味なことこの上ない。

「新薬の実験中だったんです。まさか、こんな効果をもたらすなんて想像もしてなくて……本当にごめんなさい」

「……悪いと思ってんなら、はやく戻せよ」

奏音のしおらしい態度に毒気を抜かれて、遥希は憮然とした様子で腕を組む。戻せるならばもう何も言うまい。一刻も早く目の前の悪夢――無邪気に笑う不気味な自分――から解放されたい。それだけだ。そしてさっさとこの電波なヤツともおさらばしたい。面倒事はお断りだ。
しかし、奏音は益々困ったように眉間に皺を寄せ途方に暮れた口調で言った。

「それが――僕では戻せないんです……」

「――……なんだって?」

遥希は自分の(正しくは奏音の)耳を疑った。思考が理解を拒む。間抜けだと思いながらも、聞き返した。

「ですから……見習いの僕にはこの状況を戻すことが出来ません。だから、長老様に頼まないと……」

「ふざけんなよ……マジで言ってんのか?」

「はい……残念ながら」

血が上りやすい性分を理解しているが、こればっかりはどうしようもない。つい頭よりも先に、体が動いてしまう。気が付いた時には……目の前の自分の頬を思いっきり殴っていた。鈍い音が宙を舞う。
冷えた思考で慌てて吹っ飛んだ体に駆け寄れば、驚いた表情で固まる奏音と目が合った。その表情に、ふたたび怒りがむらむらとわき上がる。
遥希は低い声を絞り出した。柄ではないと自覚しながら。

「てめぇ……人様に迷惑かけるような実験を学校でするんじゃねぇよ……。性格だけじゃなく、常識も抜けてんのか?」

「うっ……ごめんなさい……」

奏音はじくじくと痛む頬を押さえて立ち上がる。こんな体験は初めてで、誰かに本気で叱られるのも初めてだった。
両親も長老も、奏音をまるで腫物を触るように接する。それは偏に奏音の強大過ぎる魔力が暴走しない為の行動だったのだが、まるで愛情を感じない言動や表情は、奏音を孤独にしていった。
今、本気で自分を叱る相手に出会った奏音は、衝撃と歓喜を感じていた。純粋に、嬉しいと。その思考は例えるなら、初めて構ってもらえた子供のそれだった。

「あのっ……本当に、ごめんなさい。長老様は今僕の家にいるので、すぐに元に戻してくれる筈です!」

「当然だろ。早く連れてけよな……」

「はい!」

遥希は急に元気になった奏音に首を傾げる。殴って嫌われるなら兎も角、逆に懐かれたらしいと気づいた遥希は、なんとも複雑な気持ちになった。
改めて見れば、奏音は育ちの良さそうな顔立ちをしている。常識や性格が抜けているのも、箱入り息子だからだろうと遥希は納得する。魔術師の家族なんてヘンテコな環境で育ったならば、尚更だ。
まるで小型犬(見た目は自分だが)に懐かれたような気分になって、遥希は益々困惑を深めた。

「僕、花邑奏音って言います。えっと……」

「新塚遥希……」

「新塚……遥希先輩……」

にっこりと嬉しそうに笑う奏音に、遥希は階段脇の鏡を見た。さっき転んだ直後に見た時には気づかなかった、奏音の可憐な容姿に、今更ながらにどぎまぎする。
早く、自分の体に戻りたい。それもある。しかし今は、奏音の本来の表情や声が気になる。――そこまで思考が至った瞬間、遥希は強く頭(かぶり)を振った。何を考えているのかと、自分の意味不明な思考に混乱した。
先に立って歩き出した遥希の背中(奏音の背中?)を見て、奏音は緩む唇を自覚する。この名前を知らない感情は、一体何なのか。理解出来ないまま、心地いい感覚に安堵する。遥希は、奏音に新しい感情を教えてくれる。まだまだ知らないモノがいっぱいある筈だと、弾んだ心で思う。

奏音は、これから始まるであろう楽しい日常を思ってほほ笑む。絶対に、遥希と親しくなってやると、決意を固めた。
一方遥希は、背筋を這い上がる嫌な予感に震えていた。何故か、この自称魔術師見習いの後輩と出会ってしまったことで、自分の日常が劇的に変化してしまう気がして。

遥希の悪い予感は、残念ながら近い未来で現実となる。この時から、遥希は奏音の暮らす別世界の扉を叩いてしまっていたのだ。
薄暗い放課後の古びた廊下で、遥希は止まない悪寒を持て余す。夕闇は、もうすぐそこまで迫っていた――。





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -