君にだけ僕が見えない。 彼らとの出会いは決して思い出しても楽しくなるようなものではない。 どちらかというと、血の気が引くようなものだった。 「おい、…お前呪われてるぞ」 高専初登校の日。 重い気持ちのまま、教室に入りなんとか自己紹介をしようと口を開いた途端、凛とした女性の声に阻まれる。 驚いて顔を上げると、物凄い風圧とダンッという衝撃音。状況に一瞬着いていけず、目を見開くとどうやらこれからクラスメイトになるであろう3人と1匹?が殺意剥き出しの瞳で僕を射抜いていた。 拳を構えるパンダに、薙刀を僕の顔スレスレで黒板にぶっ刺しているポニーテールのメガネ女子。首元に巻かれたネックウォーマーを下にずらし、何やら言おうと構えている謎の男子に、そして…僕の喉元目掛けて日本刀を構える長髪黒髪の…女の子。 彼らは殺気を滲ませながらも、どこか怯えながら僕を睨みつけていた。 「ゆうだを゛を゛を゛いじめるなあ゛あ゛あ゛」 「…ってな感じで、彼のことがだーい好きな里香ちゃんに呪われてる乙骨憂太君でーす、皆よろしくー!」 「早く言えよっっ!」 そんなこんなで適当な五条先生によってなんとか?場は収められたものの、僕にとっての高専初日はちょっとしたトラウマのような思い出として今でも鮮明に記憶に残っている。 君にだけ僕が見えない。 ━━━━━━━━━━━━━━━ 日本への一時帰国を命じられ、久しぶりに呪術高専東京校に帰還した。 午前中に到着したものの、お偉方への挨拶回りや、提出書類などなどやることが山積みで。再会を待ちわびた同期の皆に会うべく、高専へと到着した頃には日が沈みかけていた。 過ごした時間が長い訳では無い。 けれど幾つもの死線をくぐり抜けた仲間たちだ。 久しぶりの再会に心が踊らない訳が無かった。 職員室に寄り、軽く五条先生と会話をした後、現在の2年生の教室の場所を聞き足を向ける。 ガラリと勢い良く扉を開くと懐かしの声が次々に鼓膜を震わせた。 「おー!憂太じゃねーか!お前また身長伸びたか?」 「ひっさしぶりだなー、元気してたか?」 「おかか!」 『パンダくん、真希さん、狗巻くん!!!皆久しぶり!』 いつも通りの顔ぶれに喜びを隠しきれず駆け寄る。 「お前帰国するならもうちょい早く言えよ、パーティーでも開いてやったのに」 「ほんと、憂太さんは何もかも唐突なんだよなあー」 「しゃけしゃけ」 『ははは、ごめんね…僕自身も日本への帰還を聞かされたのが前日とかで…』 各々と言葉を交わしながら、一向に姿を現さないもう1人のクラスメイトの存在を探す。 会話の合間に目線で探していると、パンダくんが何かを察したように口を開いた。 「あー、澪はな…ちょっと用事とか言ってな。さっきまで教室に居たんだが…。多分まだ校内には居ると思うぞ」 「澪のやつ、憂太が帰ってきたって言ったら『用事思い出した!』とかなんとか言って勢い良く出ていってよ。尋常じゃなかったなー、憂太お前なんかしたの…ふがっ」 真希さんが最後まで言い終わる前に、パンダくんのもふもふの手が彼女の口を塞ぐ。 「はーいはい、まだまだお子様の真希は黙ってよーなー」 「ふっざけんな、いきなり何しやがる!殺すぞ!」 「おかかおかか」 案の定、じたばたと暴れる真希さんを「どうどう」と宥めるパンダくんと狗巻くん。動物(?)が暴れる人間を諌めようとしている普段では絶対に見られない光景を「あ、あはは…」と笑いながら眺めていると 「どうせ、そんな長くこっちにも居られないんだろ?会いにいけよ」 「すじこっ」 と、人間以上に空気や情緒を察せられるパンダくんと、それに激しく頷く狗巻くんが僕にウィンクを投げながらそう言う。 「うん、ありがとう。僕ちょっと行ってくるよ」 そんな1人と1匹と、未だにどういう話の流れか分かっていない真希さんの「あ?どういうこと…ふがっ」という声を聞きながら足早に教室を後にした。 ▲▼ 彼女の居場所は分からない。 とにかく見晴らしのいいグランドにでも出れば何か分かるのでは、という安易な考えで校内を歩く。 長く続く廊下を歩いていると、通りがかった教室に見覚えがあり足を止めた。扉上部につけられた室名札には【1年】と書かれており、机と椅子の3セットが部屋の真ん中辺りに置かれていた。 (1年前は、ここで皆と…彼女と出会ったんだよな…) あまり思い出したくない登校初日の記憶が蘇る。 その中でも、唯一【良い思い出】として残っているのは彼女…澪さんとの初会話だ。 初日からまぁ、案の定他のクラスメイトたちに馴染める訳もなく、特に真希さんからはかなり辛辣なお言葉を受けた僕は目に見えて落ち込んでいた。 新しく宛てがわれた寮の自室に帰る気もせず、誰もいなくなった教室で段々と赤く染っていく空を眺めているとガラリと扉が開いた。 視線を窓から、扉の方へ向けると「良かったまだ帰ってなかった!」と綺麗な黒髪を靡かせた女の子が、少し肩を上下させながら教室へと入って来た。 目の前までやってきた彼女はじっと僕の瞳を見つめる。 僕はというと、今度は一体何をされるんだろうと内心びくびくしていた。 『さっきは本当にごめんっっ』 予想に反して勢いよく頭を下げる彼女。今度は驚いた僕がその様をじっと見つめてしまうことになった。 「え、え!?」 『こういうのはその日に謝るのが礼儀だと思って、さっきは話も聞かずに刃を向けて…ほんとにごめんなさい』 「え、えっと、とりあえず顔を上げて…だいたい何も説明してなかった先生が悪いんだし…」 『それはそうなんだけどね…にしてもいきなりクラスメイトに刃向けるなんて…謝らないと私の気が済まないよ…ほんとにごめんね。調子良く聞こえるかもしれないんだけど、これからはクラスメイトとして仲良くしてくれると嬉しいな』 僕の言葉を聞いて勢い良く頭をあげた彼女は、顔に数束の髪がかかりながらも手を差し出す。 『やっぱり形からやっとかないとね!改めて乙骨憂太くん、これからよろしくね!』 そう言って、人懐こい笑顔を浮かべた彼女は恐る恐る差し出す僕の手をぎゅっと握った。 ・・・・ その日以来、僕は彼女にだけ少し特別な感情を抱くようになった。 他のクラスメイトたちよりも話しやすくて、何より人の気持ちの機微に敏感な彼女との会話は、当時の繊細な心理状態の僕には心地よかった。 同じ日本刀を扱うという共通点もあって、実技の授業では彼女とよく組み打ちをしたし、任務も何度か同行した。 必然的に他のクラスメイトたちよりも共に過ごす時間は長くなり…そして、時が経つにつれ僕は自分自身でも気づかないうちに彼女を目で追うようになっていた。 (今日は真希さんみたいに髪をひとつに結んでたな…可愛かったな…) (授業中眠そうだったけど、昨日はよく眠れなかったのかな…) (お昼は豆ご飯だったけどすごい丁寧に豆を避けて食べてたな…苦手なのかな) そうやって、寝ても覚めても彼女のことを考えた。 瞼を閉じれば鮮明に思い出される姿…黒髪を靡かせ、僕に笑顔を向ける彼女に、僕はいつしか恋情を抱くようになったのだ。 《約束だよ》 そしてその度に、脳裏に過ぎる大切なあの娘が笑顔で僕に語りかける。 (里香ちゃんがいながら、…自分は最低だ。) 自分を攻めるように、彼女にこれ以上の思いを抱いてはいけない、と脳が警鐘を鳴らしていた。 …それでも完全にその思いを消し去ることは出来なかった。 下駄箱まで向かい、外靴に履き替えてグラウンドに続く小路を歩く。じゃりじゃりと小石を踏み歩いていると、途中から芝生の生えた道に切り替わる。 (懐かしいな…) まだ完全には日が沈み切っていない夕暮れの中、照明に照らされたグラウンドが視界に入る。その周りの少し傾斜がかった芝生の上には、腰を下ろし談笑する学生が2人、そしてトラック内をひたすら走る学生が2人…どちらにも見覚えのある顔が見える。 そのまま歩を進め、ここから近い芝生に座る2人へと距離を近づけていく。 「…お、っこつ、先輩…」 2人の背後まで近づくと、ふと聞き馴染みのある声がした。 それに呼応するように 「乙骨?乙骨って特級の?」 「伏黒が唯一尊敬できるとかいうあの?」 と、今度は聞き覚えの無い声が次々と聞こえてくる。 グラウンドに立ち尽くす伏黒くんと、その隣に立ち尽くす見慣れない男の子。 そして振り返り、背後まで来ていた僕に驚きつつ「これが乙骨…」と目を見開いているこれまた見慣れない女の子。 …そして、今まで焦がれていた長い黒髪を靡かせる、未だこちらを振り向かない彼女。 「久しぶり、伏黒くん。君たちは初めましてだね。2年の乙骨憂太です。よろしくね。」 軽く挨拶をすると、何故か「おー!」「特級だー!」と彼らから感嘆の声が漏れ苦笑する。 「…澪さんも…久しぶり」 意を決して彼女にも声をかける。 背を向けた彼女の肩が小さく揺れ、恐る恐るこちらへと振り返る。 …しかし、ようやく目が合った彼女は明らかに僕を捉えていなくて。 何故か血の気の引いた顔をした彼女は、僕に一言も返すことなく、すぐ様立ち上がり背を向け走り去った。 ▲▼ 「あ、やっぱり来たねー憂太」 明らかに様子のおかしかった彼女を追いかけるのはなんとなく違う気がして。 一先ず、理由を知っていそうな先生に会いに、またも職員室へと向かった。僕が来ることを予想済みだったその人は、呑気にどこかの土産であろう和菓子を頬張っている。 「ほんとついさっき澪も来たのよ。真っ青な顔してね」 「!!な、何か言ってましたか?」 もぐもぐと口を動かす先生に、ずいっと顔を近づける。 「近い近い」と仰け反った先生は、落ち着けとばかりに「まぁまぁ座んなさいよ」とキャスターつきの椅子を指さす。 言われるままカラカラと音を立てながら、先生の傍まで椅子を持っていき腰を下ろした。 「はー、さっきも話した内容をまた話さなきゃいけないのか君ら2人一緒に来てよ」 「無茶言わないでください、僕にも分からないんですよ…。久しぶりに会ったら、いきなり彼女が逃げて…」 歯切れの悪い言葉が空を切る。 自分でも本当に意味がわからなくて、目の前で依然茶を啜る先生に、何と説明すれば良いか分からなかった。 「ねぇ憂太。君は澪のことをどう思ってる?」 「え…」 暫く膝上で握りしめた拳を見つめていた。 そんな様子を見兼ねてか、空になったであろう湯呑みをごとりと机に置いた先生は前置きなどなくそう言って、僕を見つめる。 布越しの視線は痛いくらいに僕を射抜き、咄嗟に答えることが出来なかった。 「…何故、澪の瞳に君が映らなくなったのか。その答えを僕は知ってる。けど、今の質問の答えによっては君のためにも…何より彼女のためにも、このまま真実を知らずに今までみたいに離れた方が両者のためになるかもしれない。」 いつものおちゃらけた雰囲気から打って変わって、真剣な声音で言う先生の言葉に虚をつかれた。 「た、大切な…仲間、です」 「わかってるよね憂太。それは僕が聞きたい答えじゃないってこと。」 なんとか答えた言葉もあっさりと一蹴される。 先生の言うように、今の質問の意図が何なのか僕は理解している。けれど、今まで明言して来なかったこの一言を口にしてしまえば、彼女との関係もあの娘との約束も…全てが無くなってしまうような気がして… …怖かった。 「…つくづく、愛ほど歪んだ呪いは無いね…」 いつか聞いた言葉をぼそりと呟いた先生は、小さく折りたたまれた紙を僕の目前に掲げる。 「…それでも、人間ってやつは誰かを愛し、愛されたがるんだから…どうしようも無いね。」 目線で受け取るように促され、その紙を受け取る。 自嘲するような笑いを浮かべた先生は、そのまま徐に立ち上がった。 「あの、先生っ…」 「澪なら寮の自室にいると思うよ。じゃ!」 いつものおちゃらけた声音に戻った先生は、それだけ言って後ろ手を振って部屋を後にした。 残された僕は、手元に残った紙へと視線を移す。 小さなメモ用紙が2回折られたそれに手をかけ、恐る恐る開いた。 「………。先生…、、」 走り書きで書かれた文字列を指先でなぞりため息が出た。 まさか、こんな時にこんなことをしてくるとは…。 まぁ、あの先生のことだ。何かしら最後にあるのではと考え無かった訳ではないけれど。 ぐしゃりと右手で紙を握りつぶし、近くのゴミ箱へと放り捨てる。 ある意味気持ちが吹っ切れて少し心が軽くなった。 《答えが書いてあると思ったでしょ!ざーんねん!悩み尽くせ若人よ!》 ← |