私にだけ彼が見えない。



完全に油断していた。
久しぶりの長期休暇明けの任務。等級2級への昇格もあって、少し浮き足立っていたのかもしれない。
目の前の呪霊一体を倒したところで、気を緩めてしまい背後からの攻撃に気づくことが出来なかった。

『くっ…!』


相手からの攻撃をもろに受けてしまう。
一瞬体に激痛が走りよろけたが、直ぐに痛みは引き、背後の敵に向き直る。
煌びやかな衣を身にまとい、顔は扇で隠しているそいつは気配からして準1級レベルだろうか。倒せるか倒せないか…微妙なところだ。
刀を持ち直し、全呪力を集中させ相手の喉元へと切り込みに行くべく構え直す、その瞬間だった。

《お主、中々面白い女子じゃの》

突然頭に流れ込んできた声に思わず踏み出そうとした足を止める。
辺りには私以外の人間はいない。だとすれば声の主は相対しているこの呪霊に他ならない。

『意思疎通できるのね…』
《ヒトの言葉を理解するなど妾にとっては容易いこと。…それよりも、妾は退屈しているのじゃ》

貴族の姫のような話しぶりをする呪霊はふよふよと浮遊しながら扇を煽る。

『悪いけどあんたが退屈してることなんて私には関係ないの。私はさっさとあんたを祓って、昨日取っておいたプリンを食べなきゃいけないんだから』
《ふふふ、威勢のいい娘じゃ。これなら十二分に妾を楽しませてくれそうじゃ》

酷く楽しそうに笑う呪霊に対して、私は苛立ちが募っていく。ただでさえ先ほどまで対峙していた一体を祓うのに予想以上の時間を要した。加えて、この目の前の奴からも一撃を食らっている。2級昇格の初陣がこれでは高専に帰ってから後輩や同期たちに示しがつかない。

刀を構え直し、呪力を刀身に篭める。
元々考えるよりも先に行動派だ。この呪霊を何がなんでも祓えば万事解決。プリンにありつける。そう、シンプルな話なのだ。


《まあまあ、そうかっかするでない》
『ちょっ、おま、降りて来い!逃げんな!!!』

急に空高く浮上した呪霊にそう言い放つも、素直に降りてくるはずもなく。

《面白いものを見せておくれよ娘、期待しておるぞ》

意味深な発言をしたそいつはそのままどこへともなく消えていった。


『ふっざけんなー!!戻ってこーい!!!』


▲▼


「で、平安貴族みたいな呪霊にまんまと逃げられたと」
『う、真希…そうなんだけどさ、そうなんだけどももっとオブラートに…こう見えて落ち込ん出るんだから…』
「まあ準1級クラスだったんだろ?逃がしたのはまぁ…アレだけど無傷で良かったじゃん」
「あ、真希がデレた」
「しゃけしゃけ」
『デレたデレた可愛い
「るせー!あー残念だったな澪、せっかく無傷だってのに、今から医務室送りにしてやる!」
『え!?私だけ!?パンダ君は!?棘くんは!?』
「俺は何も言ってないぞ
「すじこ
『こ、こいつらぁ!』

任務を終えて次の日。私はいつものように寮の自室から2年生の教室へ向かい皆と談笑していた。
真希の言う通り、無傷だった私は特に医務室へ向かうことも無く。一撃は受けたものの身体に異変が起きる訳でもなかったので、特に先生らに報告もしなかった。


「そういや、聞いたか」
『ひゃんのこひょでひゅか(何のことですか)』

真希に両の頬っぺを引っ張られながら答える。気が済んだのか漸く手を離した真希は「澪の頬柔けーな」とか見当違いのことを言った後に、私にとってここ最近1番のビッグニュースを口にした。

「憂太が高専に帰ってきてるらしいぞ」



私にだけ彼が見えない。
━━━━━━━━━━━━━




日本に4人しかいない特級呪術師の1人である彼、乙骨憂太は同級生であり、私の刀の師匠でもある。そんな彼との出会いは高専1年の初夏。
教室に入ってきた瞬間、溢れ出る呪力で思わず真希、パンダ君、棘君、私の4人で刃を向けてしまった。そんな出会いだった。

特級過呪怨霊であり想い人里香ちゃんでもある彼女と愛という呪いで繋がっていた彼は、最初こそ不慣れな高専での生活や任務に及び腰だったものの、「里香ちゃんの呪いを解く」という目標を達成するためにめきめきと刀の腕や呪力を磨いていった。

一応呪術師の家系でもあり、幼い頃から剣道まで習わされていたというのに、数ヵ月後には彼に指導を受けるまでになった私は情けなさを感じたものの、素直に尊敬の念と、…恋心を抱いてしまった。




(憂太には里香ちゃんがいるから。)



彼と毎日を過ごせば過ごす程募っていく思いに蓋をするため何度も何度もそう思い直した。まるで呪いのように。何度も何度も。


いつしか里香ちゃんの呪いを解き、特級過呪怨霊としての 里香ちゃんが彼から姿を消した頃…彼が海外に行くことになった。
詳しい概要は知らされなかったけれど、長期になるだろうとだけ聞かされた。
悲しいや寂しいよりも、ほっとした。
これでもう彼のことを考えなくて済む。
何気ない会話の中で掛けられる優しい言葉や笑顔にいちいち胸を高鳴らすことも、不意に触れた手の温もりに顔を赤らめることも全部全部、無くなるのだ。



「澪さん、向こうに行く前に伝えたいことがあるんだけど、いいかな」
『あ、ごめん、今日予定があって!』
「…そっか、それなら仕方ないね」
『うん、ごめんね…あ、そうだ明日の飛行機、気をつけてね!…えっと、そ、それじゃあ!』


彼との最後の会話は、同級生の旅立ちだというのに余りにもぎこちなく、あっさりとしたものだった。




……


(そっか、憂太帰ってきてるんだ…)


授業も終わり放課後。
特に予定も無かったので、なんとなく外の空気を吸いにグラウンドにやってきた。
芝生部分に腰を下ろし、何を考えるでもなく空を見上げる。


「どうかしたんですか、澪さん。上の空ですけど」
『あ、恵くん。ごめんごめん大丈夫、どしたの?』
「いや、ちょっと顔色悪い気がしたんで。なんでもないならいいっす」

そう言って優しい後輩の恵くんは、絶賛グラウンドの走り込みに明け暮れている悠仁くんに合流するべく走り去っていく。

「恋バナの気配を察知」
『うわあっ野薔薇ちゃん!いたの!』
「いましたよ、伏黒には分かんないだろーけど、澪さん絶賛恋に悩む乙女でしょ」

次にやってきたのは、ぱっつんボブヘアーが似合う美少女、釘崎野薔薇ちゃん。背後からのいきなりの登場と発言に驚いていると、よいしょっと私の隣へと腰を下ろした。

「分かるんですよね私もこう見えて乙女ですから!むさ苦しい男ばっかだし、真希さんはそもそも興味なさげだし。澪さんの恋バナ聞きたい!」

はよはよ、と目を輝かせている彼女に若干引きつつ

『ははは、私も昔は好きな人が居たけど今はね…居ないかなあ』

その答えに少し残念がった彼女だったが、「じゃあ昔好きだった人の話聞かせて!」とせがまれる。これは何らかのネタを提供しない限り逃がして貰えないやつだぞ…と途方に暮れていると、いきなりぞくりと身震いがした。
どうやら隣の彼女もそうだったようで、2人目を合わせる。


「…お、っこつ、先輩…」
「乙骨?乙骨って特級の?」
「伏黒が唯一尊敬できるとかいうあの?」

グラウンドの中心で立ち尽くす恵くんの声に呼応するように、1年生ちゃんずがそれぞれ反応する。
私はというと余りに突然の再会にどう反応すればいいか分からず、気配のする背後を振り返れずにいた。

「久しぶり、伏黒くん。君たちは初めましてだね。2年の乙骨憂太です。よろしくね。」


昔と変わらない優しげな声。


「…澪さんも…久しぶり」


名前を呼ばれ反射的に振り向いた。
…けれど気配はあるはずなのに、彼の姿は無くて。





恵くんにも、悠仁くんにも、野薔薇ちゃんにも見えている彼を、何故か私の目は写し出してはくれなかった。








「なるほどね、君だけ憂太が見えないと…

それ、多分【出雲のお神の祝福】だね、また君も厄介なものに好かれたもんだ」
『神…?祝福…?』


目の前でお茶をすすりながら、またどこかのお土産であろう和菓子を頬張る五条先生。
その口から予想外の単語と、呪いに反した祝福という単語が聞こえて首を傾げる。

「そう、祝福。出雲といえば縁結びの神で有名なのは君も知ってるでしょ?君、そのうちの神様に祝福を受けちゃったんだよ。」

祝福という割には嫌に呪いじみているな、なんて思いながら話を聞く。

「神様っていうのは時に呪いよりも恐ろしく厄介だからね。…君が祝福を受けた神は恐らく出雲大社に名を連ねる神の一人だろう。君も知っているだろうけど、世間では10月のことを神無月と呼び、島根県の出雲地方では全国の八百万の神々が集まることから神在月とも呼ぶ。
この期間中、神たちは様々な会議を行うんだけどその中でも有名なのが、人間の誰と誰を結婚させるか、所謂【縁結びの会議】だ。
大体の神はここで話し合いを基に男女のペアを作って、間接的に男女に接点を作らせようとするんだけど…時々直接人間に干渉する神がいてねぇ。その直接人間に干渉することを僕たちは皮肉を込めて【祝福】と呼んでるんだけど。君はそれをもろに受けちゃったみたいだね。」

一気に話し終えた五条先生は「はー喉が渇く乾く」と言って目の前の湯飲みを両手で持ちお行儀良く啜る。

『…なんとなく私が対峙した相手と、受けた祝福については分かりました。…けど、その祝福を受けたせいで憂太が見えない理由が分からないです、どうしたら元に戻るんですか…?』

そう、問題はこれなのだ。
根本的な解決の話は今のところ一切出ていない。

「まぁ、そう焦りなさんなって。解決策は案外簡単だから!」
『ほんとですか!先生解き方知ってるんですか!』
「勿論!僕を誰だと思ってるんだい?グッドルッキングガイ、五条悟だよ!」

格好よくポーズを決める五条先生をいつもなら冷ややかな目で見るところだが、今回ばかりはとても様になって見えた。さすが日本に4人しかいない特級様。普段は適当だけどやはり頼りになる。

『で、その解き方って何なんですか??』

期待を向けた眼差しを向ける。
目元を隠した先生の表情を読み取るには口元を見るのが手っ取り早い。
数秒して薄い唇が少し弧を描き、開いた。







「見えなくなった相手、つまり…



憂太と両思いになること!」







『はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜』

自室のベッドに仰向けになり、天井に向かって大きくため息をつく。

(祝福の解き方は【見えなくなった相手と両思いになること】か…)

先生との話し合いは有意義なものだった。
とりあえず呪霊でもなく、呪いでもない。相手は縁を司るであろう神だということは分かった。
そして私にかけられた【祝福】…その解き方も。

(それって、憂太が私を好きになる必要があるってことだよね…)

仰向けの体にぐっと力を込め勢いよく上半身を立たせ、ベッドに座り直す。

(ナイナイナイ、ナイ。無理だよ憂太が私を好きになるなんて。)

だって、憂太には…里香ちゃんがいるではないか。
あれだけ彼女の為に努力を怠らなかった彼を、ずっと傍で見てきたじゃないか。彼女が消えて尚、思い続ける彼を見て、かなうはずないと打ちのめされたじゃないか。
一生綺麗な思い出として彼に残り続ける里香ちゃんに、生身の私が勝てるはずなんてないじゃないか。

ただ姿を見て、優しく微笑む彼を見て。
胸を焦がすだけで十分だった。
彼の隣にいたいと願ったことだってあったけれど、自分の中で踏ん切りはつけていた。
既に埋まっている席を…里香ちゃんを退けてまで座りたいとは思わなかった。

『…何が祝福よ…。完全に呪いじゃない。しかも一生解けない呪い。』

苦々しげに呟いた言葉に呼応するように、しんとした部屋に扉を叩く音がした。








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夢主(澪mio):神様に祝福を受けてしまった2級呪術師。かなり思い付きで動く子。乙骨に淡い恋心を抱いていた時期があったが、彼が海外に行ったことを契機に完全に思いを断ち切った…はずだった。

乙骨:海外遠征から帰ってきた特級呪術師。出立前に夢主に伝えたいことを伝えられず、そのまま疎遠になってしまっていた。何か思うところがある模様。

GLG:夢主が祝福を受けたと聞いて、顔には出さなかったけれど滅茶苦茶に面白がっていた悪い大人。

出雲の神の祝福:掛けられたら好きな人が見えなくなる。思い人に告白するまで解くことができない。かなりはた迷惑。







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