彼女には特級でさえ近づけない 『ちょ、こっち来ないでください、勢いが怖い、五条先生っっ』 「来ないでも何も、月子が俺の影から足どかしてくんないとそもそも俺、動けないじゃん〜」 『だ、だって足離したら先生絶対こっちに来ますよね!!?』 「そんなのあったりまえじゃーん!可愛い生徒に熱い抱擁をするのは先生の重要なお仕事だよ!」 『そんなお仕事聞いたことありませんよ!ケダモノですか!ケダモノですね!先生!』 東京都郊外にひっそりと佇む東京都立呪術高等専門学校。この学校に転校してきて1年が経とうとしているが未だに慣れないことが一つだけ。 それが目の前にいる、五条悟なる男だ。 日本に現在4人しか存在しない特級呪術師の1人であり、呪術界御三家の1つ五条家の現当主。 とにかく強くて、しかもとんでも無い美丈夫の彼のことを知らぬ者など呪術師の中では誰一人としていない。そんな彼から転入してから現在に至る数か月間、何故か熱烈な愛情表現を受けている。 「おい、また絡まれてんのか月子」 『ま、真希〜!助けてよ〜』 タイミングよく現れた同級生、真希の声に安堵する。そのすぐ後ろからパンダ君、棘君が姿を現した。 「あんたらほんと毎日毎日飽きもせず同じことやってられるよな、物好きか」 「しゃけしゃけ」 「さっさと教室はいろーぜ〜」 『好きでやってるんじゃないよ!?パンダ君はもう少しこっちに興味持って!!?』 教室の前で手を広げて今にでも襲い掛かろうとした状態で固まる先生と、寸での所で術式を発動させて動きを封じた私を横目に3人はさっさと教室に入っていってしまう。 閉まりゆく扉を見つめながら、目の前で依然笑顔を絶やさない先生へと視線を戻す。 『足、どかしますけど絶対こっち来ないでくださいね!ハグとかほっぺにチューとかしないでくださいね!!?』 「それは約束できないなあ」 『!!先生の変態!!スカポンタン!』 彼女には特級でさえ近づけない。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ここ高専にやって来るまで至って私は普通の人間だった。 所謂、呪霊も見えたことなんて無かったし、そもそもそんなオカルトじみた非科学的なものを信じてすらなかった。 けれど、決定的な出来事をきっかけに私はそれらを否定することが出来なくなったのだ。 時は少し遡る。 高校1年、9月。 地元でもそれなりに進学校として有名な高校に進学した私は友人もでき、毎日を平和に静かに過ごしていた。 しかし、その日はいつも以上に、違和感を覚えるくらい静かだった。 HRを終え、クラスメイトたちと挨拶を交わしスクールバッグを肩にかける。窓を見ると警報が出ていないのが不思議になるくらい雨が降っていた。傘立てに立てていた雨傘を手に取り、靴箱へと向かう。 生徒は私同様帰るもの、部活動へ向かう者、廊下の窓を見ながら、雨が止むのを待つか相談する者様々で、そんな彼らを尻目に私は長く続く廊下を進んでいく。 瞬間目の前がぱっと光った。 思わず目をつぶると、その後直ぐ体を震わすような轟音が鳴り響いたので雷だと瞬時に理解する。 近くに落ちたな…なんてことを考えながらゆっくりと目を開ける。すると目の前にはこの世のものとは思えない異形がギョロりと大きな一つ目を携えてこちらをじっと見つめている。 状況に頭が追いつかなかった。 光のせいで目がおかしくなったのか、恐怖が見せる幻影なのか。助けを求めようと、恐る恐る当たりを見渡せば、先程の生徒たちは1人として姿が見えない。長い長い廊下に佇むのは私とその化物だけだ。 足が震える。逃げなきゃ。そう思うのに足は動かない。 そうこうしている内に化物はバランスの悪い体を揺らしながらゆっくりとこちらに近づいてくる。 私を食べようとしているのか、不揃いの歯が生え揃った大きな口はだらしなく開いたままだ。 いきなり得体の知れない化物に食われて人生が終わる。 その事実を理解した途端、もう立つことさえ出来なくなりへなりと地面に膝を着いた。 段々と近づいてくる化物の影が私の体を覆い尽くす。 そろそろだ。食われる。殺される。死ぬんだ。 両手で体を包み込むように蹲りながら最期の瞬間を待った。…しかし、一行にその瞬間は訪れない。 恐怖のあまり正確な時間など分からないけれど、1分程はその状態だったように思う。 不思議に思い、恐る恐る顔を上げた。 目前にまで迫った大きな口と目。 しかし、それらはそれ以上近づくことは無く、微動だにしなかった。 「な、ん、で…」 思わずついて出た掠れた声が空気を震わせる。 次の瞬間、今度はぶちゅりと何かが潰れる音が鼓膜を震わせ、目の前にさっきまでいた化物は姿形を消し、代わりに長身の男性が背を向け立っていた。 「驚いた、呪術師の家系でも無い、幼少期の術式の自覚も無し。本当にこの危機的状況に遭遇したが故の突発的な才能の発現か」 意味のわからない単語を羅列するそいつは、依然と背を向けていたかと思うと、くるりと体をこちらに向ける。 目の周りは何故か白い布で覆われており、先程の化物とも違う恐怖を感じ思わず身構えた。 「そんな怖がらないでよ、僕、君のこと助けたんだよ?」 軽薄そうな声の主は、そのままゆっくりと近づいてくる。 長身ですらりと長いそいつの影は、一足先に私の体を飲み込む。 するとまたそいつも化物同様、動きを止めた。 「やっぱり君、術式使えるね?」 『じゅつ、しき?意味わかんない、なんの事か知らない、さっきの化物は?あんたは一体何者?夢よね、こんなの、私、わたし、、』 恐怖で頭がおかしくなりそうだった。 私はただ帰ろうとしただけだ。今まで普通に生きていただけだ。なのに、なのに。 涙がこぼれ、その後は言葉にならなかった。 「あー、泣かせちゃったか。君の術式、僕でも解呪できない感じなんだよね、しょうがない…憂太!」 またもよく分からないことを話すそいつは、頭を掻きながら聞き覚えのない名前を呼んだ。 「…ごめんね、少しだけ眠っていて。」 耳元で優しげな声が聞こえた瞬間、私の意識は暗闇に沈んで行った。 ▲▼ 里香ちゃんの呪いを解くために、高専で励むようになってから凡そ3ヶ月。 珍しく五条先生から課外授業がてら任務への同行を言い渡され、その日は高専から少し離れた地方のとある高校へと赴くことになっていた。 「この高校ではね、ここ数ヶ月で3人の生徒がいきなり姿を消してるんだ」 「それって、以前真希さんと行った小学校と…」 「そう!憂太の予想通り、今回も呪霊だよ。恐らく1級呪霊クラスだ」 初めての任務のことを思い出し、思わず生唾を飲む。 あの時以上に死を感じたことは今のところない。 毎日真希さんと特訓を詰んではいるもののまだ3ヶ月程だ。今回は五条先生の任務であり、自分は見学の立場ではあるが背筋が凍る思いがした。 「だいじょぶだいじょぶ!憂太は強くなってるし、今ならきっと余裕で祓えるよ。それに今日は僕の任務だしね。しっかり見学していくよーに!」 「…はい、分かりました。よろしくお願いします!」 激しい雨だった為、最寄り駅から歩いて10分ほどだったがタクシーに乗って高校まで向かうことにした。 雨は降っているものの、空は明るく狐の嫁入りのような天気だった。 校門まで到着し、傘をさしつつ車から降りる。 下校時間なのか、何人もの生徒とすれ違い、好奇の目を向けられるが気にすることなく校舎へと足を踏み入れたその瞬間だった。 ドンっと地震の揺れを感じたかのように体が震え、辺りが光に包まれた。雷のような現象だったが、明らかに呪霊の気配が混じっていることに即座に気づき、隣にいた五条先生に目配せする。 「どうやら早速お出ましのようだね」 「…みたいですね」 「さ、課外授業だ。しっかり先生の戦い方を見ておくよーに!」 「はい!」 おちゃらけた発言をしている割に、さっきとは打って変わって張り詰めた空気が先生を包んだ。 呪霊の気配から位置を索敵し、早速特定した先生は迷うことなく校舎内を進み、3階の廊下まで辿り着いた所で足を止めた。 目線の先には目的の呪霊、そしてその目前に生徒と思しき少女が蹲っている。 助けなきゃ!! 反射的に体が動きそうになるのを先生に制止される。 代わりに少女と呪霊に近づいていく先生の表情には何故か笑みが浮かべられていた。 程なくして消えた呪霊と、それから少しして聞こえてきた少女の泣き声と先生の僕を呼ぶ声。 何となく全てを察した僕は、僕と同じく高専に編入されるであろう少女に同情の念を抱いた。 「…ごめんね、少しだけ眠っていて。」 これが彼女、影野 月子と僕の初めての出会いだった。 ▲▼ あれよあれよと編入手続きが行われ、気づけば地元を離れ東京の高校での寮生活。 オマケに変なものまで見えるようになるし、変な力まで手にしてしまった。 あの騒動の後、私は1週間ほど眠りこけて居たようで目を覚ましたらまず長身の男、改め五条悟が事のあらましを簡単に説明してくれた。 「珍しいことなんだよ?普通は術式は46才で自覚するけど、君の場合は高一15才。僕からすれば全然若いけど、こんな歳を重ねてから、しかも今まで呪霊が見えたことも無いのに突発的に発現するなんて珍しいことなんだ」 『な、なるほど…でも私、術式なんて、そんな不思議な力無いですよ…?』 「いんや、僕もあの呪霊も君の術式を受けているんだ。君、何で呪霊や僕がいきなり動きを止めたと思う?」 突然の問に頭を傾げる。 「正解は君が術式を発動したから。古くは日本で活躍していた忍者の忍術の1つに【影縫い】っていうのがあってね。まぁ簡単に言うと暗示だ。影に手裏剣やら何やらを打ち込んで地面に固定し、本体も動けなくなる暗示をかける…君の術式はそれによく似てる。但し、君はまだ物に呪力を込められないから、固定する役割を君自身の体で担っているんだけどね。」 そこまで話終えると彼は一呼吸置いて、改めて私に向き直った。 「影野月子さん、呪術高専に編入しない?」 突然の申し出に目をぱちくりした。 呪術師?影縫い?呪術高専?編入? 怒涛の展開過ぎてついていけなかった。 「その術式は使いこなせるようになれば君自身を助ける強力な盾になる。今のまま普通の生活に戻ればいずれは君…死ぬよ」 『死…』 暫くの沈黙。 そんな脅しのような一言を浴びせられて、加えてあの化物…呪霊の件。 断るなんて無理な話だと思った。 『…わかりました、私、呪術高専に入ります、』 「…歓迎するよ、影野月子ちゃん」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 彼女、影野 月子が呪術高専に編入してきて凡そ1年。 最初は遭遇する呪霊や呪力の強い1級術師や僕や憂太含む特級術師に怯えていた彼女も漸くその気配に慣れてきたようで、最近では術式の効果もあり戦闘のサポート役として任務(但し昼間に限る)にも赴くようになっていた。 当初は自分の体の一部が対象の影に触れていることで動きを封じていた術式も、呪力を呪具【手裏剣】に込められるようになったことで遠くの位置からでも術式の発動が可能、また発動するしないもコントロール出来るようになった。 手裏剣も初めは命中率は低かったものの、真希や憂太たちとの練習の甲斐あって今では百発百中。狙った所に打てるようになったようで逞しくなったものだと元担任ながら感心してしまう。あー、さすが僕の教え子! そんな大変努力家で優秀な僕らの花、影野 月子だが 未だに僕にだけ術式を発動してくる。 今朝の一悶着もこの1年ほぼ毎日続いているもので、余りに僕にだけ警戒を緩めない彼女がおかしくって。 最近はエスカレートしている気もするが辞めるつもりは今のところ無い。まぁそれ以外にも彼女については色々気になってはいるのだが。 兎にも角にも、大大大好きな僕の教え子に触れられないなんて悲しすぎるでは無いか。 だって同じく特級の憂太にはあれだけ気を許していたというのに、あんまりだ! とまぁ、今日も彼女からの『ケダモノ!』という罵声を浴びれたことだし! 『足、どかしますけど絶対こっち来ないでくださいね!ハグとかほっぺにチューとかしないでくださいね!!?』 「それは約束できないなあ」 『!!先生の変態!!スカポンタン!次は手裏剣投げますからね!!』 「怖いなそれに今どきスカポンタンなんて言う女子高生いないよ月子」 『うるさいですよ!!』 術式が解かれ、体が自由になる。 顔を真っ赤にして急いで僕から離れ、教室の扉を手にかけようとする彼女の腕を掴み、手の甲にちゅっと口付けを落とすと益々沸騰せんばかりに顔が赤くなる。 「はい、今日も一日頑張っていきましょー」 『ーー!だ、だから、そういうのやめてって言ったのにっっっ、!』 もうっ、と怒っているのか照れているのか、自分でもよく分かっていなさそうな表情を向けた彼女はその後勢いよく扉を開け、教室へと姿を消した。 掴んだ彼女の細い腕と、唇に残った柔らかな肌の感触。 圧倒的にか弱い少女が、最強とも称される自分をこうも簡単に封じてしまう。 体がぞくりと身震いした。 なんて甘美な気分だろう、こんな感覚は生まれて初めてだ。 「君の成長が楽しみでならないよ」 扉に背を向け、可愛い可愛い新たな1年生たちの教室へと足を向ける。 ――君こそ、僕が探し求めていた運命の人かもしれない。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 影野 月子 (かげの つきこ)…とにかく面倒なの(術師、呪霊など)に好かれやすい女の子。艶々黒髪ロングヘアーがトレードマーク。ひょんなことからスカウトされ高専に入学。五条のお気に入りに。スキンシップが激しめで心臓が持たないので全力で逃げている。 術式は【影縫い】術師、非術師、呪詛師、呪霊、関係なく対象の影に自身の身体の一部か呪力を込めた物体が触れている限り相手の動きを封じることができる。相手の強さや能力に関係なく発動可能。グッドルッキングガイ五条悟だって動きを止めれちゃう。かなりのつよつよ能力ではあるものの、影が消えてしまう暗闇や、夜の戦闘では無力。それもあって等級は三級呪術師。 激重五条悟…何故か月子がお気に入り?な様子のグッドルッキングガイ。激重感情を向けている様だが余り月子は気づいていない。理由は不明。鉢合わせれば必ず抱き着きに行く、色々する。そして動きを封じられる。 セコム乙骨…同級生月子のセコム。月子がスカウトされるきっかけを目撃したこともあって何かと気にかけている模様。五条の魔の手から月子を救い出し、月子の平穏を支えてくれる大切なお方。只今海外遠征中の為、仕方なく真希さんに月子を任せたもののかなり心配。早く日本に帰りたい。 長身美女真希ちゃん…乙骨に代わって月子のセコムの任を頼まれるが、今のところ特に何もしていない。月子のことはかなり気に入っているし大切だが、五条の謎執着に若干引いている。触らぬ神に祟りなし。 パンダ…面白いのでとりあえず傍観。 棘…しゃけ! 月子ちゃんが遭遇した呪霊…高校創立当時からその土地に着いていた怨霊が長年の生徒や先生の不平不満で大きくなった。雨の日に現れ、その日校舎内にいた生徒をランダムで1人選び食べちゃう。今まで残念ながら3人食べちゃっている。 ← |