ガラスの靴を履けないシンデレラ。中


「また背、曲がってんぞ!しゃんと伸ばせ!」

『はひっ、すみませんっっ』


モデルを引き受けたあの日から一週間。
早速次の日からウォーキング練習や表情作り、パフォーマンス練習などを詰め込んだ怒涛のメニューが組まれた。
幸い(私にとっては不幸なのだけど…)夏休み前ということもあり大学は絶賛テスト期間に突入。取っている講義のテストがほぼレポート提出のみの形式だった為、午前中はレポート作成に明け暮れ、昼過ぎからはアトリエに向かい三ツ谷さんのスパルタ指導を受けるという生活を送っていた。
それにしても準備期間が二週間、しかもモデルはど素人ときては流石にスパルタにならざるを得ないのも分かるが、初対面の時には想像の出来ないドスの利いた声を練習初日から聞いたせいで『この人本当はデザイナーじゃなくてヤクザなのでは?』なんてことを思ったりしていた。


「よし、一旦休憩するか。ほら、水分補給な。」

『あ、ありがとう、ございます』


1時間ほどみっちりとウォーキング練習をし、息も絶え絶えになっている私に天の恵みか、ミネラルウォーターが手渡される。一気に半分ほど飲み干すと「おー、いい飲みっぷり!」と三ツ谷さんに小さく拍手された。


「今日で1週間だが、だいぶ動きは良くなってきたな。初日みたいにヒール履いた瞬間転けるなんてことは無くなったし。いやぁー進歩進歩。」

『あ、ありがとうございます』

褒められて嬉しくなると共に、少し自信がつく。こうやって彼はこの1週間、項目事に練習しては毎回小さなことでもまず私を褒めてくれる。自信のじの字もない私にとってはその一つ一つの言葉に勇気づけられていた。
…しかし、勿論褒めてくれるだけではないのがスパルタ三ツ谷コーチ。「だけどなあ」と少し間を置いてから話を続ける。

「相変わらずヒール履くと猫背気味なんだよなぁ。初めて履くだろうし、高さもかなりあるし、怖くなる気持ちもわかるが…お前は特に背が高いから他の並のモデルよりも猫背になった時に目立つ。」

『…はい…』

三ツ谷さんの指摘にぐぅの音も出ない。

避けてきたヒールに勇気をだして足を入れ、一歩踏み出すことが出来たのも束の間。初日の私は上手く歩くことすら出来なかった。一、二歩進んではよろけ、また一、二歩進んではよろけ。産まれたての小鹿の歩行のように頼りない足取りを繰り返した。
そしてようやく一週間程たった今では、ランウェイと同じ距離を一周できるようにはなったが、彼の言うとおり。今度は別の問題が浮上した。どうにも無意識にバランスを取ろうとしてか背中が猫背になってしまうというものだ。
何度も自分なりに意識し、背筋を伸ばして歩くことを試みるのだが、これが中々上手くいかない。

静かに肩を落とす私を見かねたのか、また間髪入れずに彼が話し出す。


「が、その逆も然りだ。姿勢が綺麗なだけで高梨には迫力が出る。一瞬で観客の視線を引き付けることができる。…それは他のモデルたちにはぜってー真似出来ねぇ、お前の才能だ。」

『私の才能…』

これまた初めて言われた言葉で、思わず口に出して反芻した。
今まで生きてきて、自分の身長を卑下するものとは思っていても【才能】という風に捉えたことは一度も無かった。
せいぜい棚の上の物をとる時に脚立を使わなくていいとか、球技大会の際にバスケやバレーでちょっと活躍できるとか、その程度の使い道しか私は【私】に対して見つけることが出来なかった。
…それなのに出会ってまだ一週間の彼は、【私】の新たな可能性をどんどん見せつけてくれる…18年間【私】として生きている私よりも。
それが新鮮で、少し悔しくて、でも嬉しくて。最初は恐る恐る引き受けたモデルだったけれど、三ツ谷さんのお陰で徐々に自分の意思で楽しむ事ができるようになっていた。

・・・・・・・・・・

週の終わり、明日はショー本番まで迫った土曜日。
金曜日に最後の砦、唯一のペーパーテストを終え、落単はなんとか回避したのでは…と希望的観測をしたのも束の間。休むもなくその日はアトリエに向かい、深夜まで猛特訓。土曜の朝から練習が出来るようにと疲れ果てた後にアトリエ部屋の隅のソファで仮眠を取るような形で眠りこけっていた。


(…なんか…いい匂いがする…)


微かに鼻腔をくすぐる柑橘系の香り。徐々に強くなる匂いに重い瞼を開けると灰色に近い青い瞳が目前にあった。


『うわあ!!』

「!?おっと、あっぶねー」

思わず声を出すと、目の前にいた彼、三ツ谷さんが同じように声をあげる。両手に未だ湯気の立った紅茶入りのマグカップを持っていた彼は「セーフ…」と呟いた後、右手に持っていた方を寝起きの私に差し出した。


「おはよーさん、昨日あんだけしごいた割には案外元気だな。はい、どーぞ。」

『あはは、すみませんびっくりしちゃって…あ、ありがとうございます』


ソファから起き上がり、乱れているであろう髪を手櫛で直しながら彼に向き直る。先ほどの仕出かしを謝りながら素直に受け取ると、暖かな湯気と共に先ほどよりも強い柑橘…ベルガモットの香りが鼻腔いっぱいに広がった。両手で暖かいマグカップを持ちしばらく匂いを嗅いでいると、同じように彼も私の隣へと腰を下ろした。

「わりーな、こんなとこで寝させちまって。」

『いえいえ気にしないでください、無理言って泊めさせてもらったのは私の方ですし…練習時間少しでも確保したいですからこれくらいへっちゃらです!』

「…ありがとな」

胸を叩いてみせながらお道化たように言った。すると彼が想像以上に真剣な眼差しを向けながら一言だけそう言うものだから、どういう表情を作ればいいのか分からなくなって思わず少し冷めた紅茶を一気に喉に流し込む。案の定咽る私を笑いながら「さー、ラストスパート!頑張ってくぞー!」と気合を入れ直す彼。その様子を横目に今まで感じたことのない胸の痛みを覚えながら『はい!』と元気よく返事をした。


・・・・・・・・

Others side(八戒)


「やーっと終わったー!」

本日分の撮影が終わり、俺は思いっきり伸びをした。久しぶりの日本での撮影に緊張していたのか、いつもより肩がこっており右腕を根元から回すとゴリゴリと嫌な音が車内に響く。それに呼応するように、ハンドルを握る姉、柚葉がぶつぶつと文句を言い始める。

「ほんっっとうにスケジュール調整大変だったんだよ!今日の撮影地が三ツ谷のアトリエに近いからっていきなり16時以降の撮影キャンセルなんて!」

「ごめんって…でもありがと。姉ちゃんのおかげで久しぶりにタカちゃんに会えるよ。」

「ったく…ほんっとに私って弟に弱いのよねぇ…」

そう言ってため息をつく柚葉とは反対に、俺はというと現在進行形で胸の高鳴りを抑えるのに必死だった。
アトリエ近くのスーパーに公園、大学。車窓に映る風景は見慣れたものが増えていき、それに比例するように胸の高鳴りは最高潮を迎えようとしていた。通知がうるさいからと電源を落としていたスマホを起動し、パスコードを入力すると、ロックが解除される。現れた待ち受けには1年前に作業風景を盗撮した彼の写真。いつもなら絶対に撮らせてはくれないのだが、その日は異常な集中力でノートに衣装図案をスケッチしており簡単に収めることができた。


(あん時描いてたやつ…もう完成してんのかな…)


ふっと薄らと残った記憶を手繰り寄せる。
彼が一心不乱に描いていた、スケッチブックに現れた白黒のドレス。少し照れながら見せてもらったそれは、鎖骨を強調させるようなオフショルダーに、クビレを綺麗に魅せるマーメイドライン。足元は膝上から下がレース生地になっており、モデルのスラリとした足を惜しげも無く見せる仕様になっていた。…一応モデルの端くれである俺から見ても、着こなすのが難しい代物であるのは一目瞭然だった。



「タカちゃん…これデザインめっちゃいいけど、着れるやつ相当限られるよ…?」

「…、わーってるよ、でも俺…ぜってーこれ完成させてーんだ。」


痛いところを付かれたと一瞬無言になった記憶の彼は自分の中の躊躇いを払拭するようにそう言う。

「まぁ、モデルが居なかったら俺がなるよ!タカちゃんのドレス、絶対着こなしてやる!」

「おー、そん時は頼んだ」


半ば冗談で言ったセリフだった。
男である俺があんな華奢なドレスを着こなせるわけも無いのだけど、いざとなればタカちゃんの為に女装くらい厭わないと思っていたが…

(これは…本気で俺もドレスに腕を通すことを覚悟しなきゃな…やるなら本気で着こなしてやる…)


アトリエに向かうことを伝えたメールの返事には「ショーの準備してっからあんま構えないかも」という一文と共に画像が添付されており、へっぴり腰になりながらもヒールを履いて必死に歩く女が写っていた。



・・・・・・・・







その日の夕方、訪問者は突然現れた。


「ターカーちゃーん!!!!」


練習も終盤に差し掛かっていた頃。明日の本番に向けてドレスに着替え、イヤリングにネックレス、ヒールにメイクにヘアアレンジ、本番同様のフル装備の状態でのウオーキング練習をしていた時のことだった。
突如アトリエ部屋の扉がバンっと音を立てて開いたかと思うと、風の如き速さで長身の男が聴きなれない呼び名を叫びながら三ツ谷さんに抱き着いていた。何が何やら、それまで三ツ谷さんの手を借りながら立っていた私は唖然とその様子を見つめながらなんとかバランスを保つ。
数分遅れてスーツを完璧に着こなした綺麗なお姉さんが開きっぱなしになった扉を丁寧に閉めながら、そんな二人を一瞥しながら私にぺこりと一礼した。


「八戒!八戒てばっ!こっち!こら!挨拶!!」

未だに久しぶりに飼い主に会えた犬のように興奮している長身の男、八戒さんにお姉さんが手招きしながら怒号を飛ばすと、ようやくこちらに気づいたのか八戒さんと目が合う。大人しくお姉さんの隣に並んだ彼らに見つめられる私。なんだか居たたまれなくなった私は、この状況への説明と助けを求めるべく三ツ谷さんを見つめた。


「あー、わりぃ高梨にはまだ説明してなかったな。この二人は俺の昔からのダチ、柴八戒と柴柚葉。こう見えて姉弟なんだぜ。八戒は現役のモデル、柚葉はこいつのマネージャーみたいなもんを務めてる。んで、こいつは高梨美沙。俺がスカウトしたモデルで明日のショーにはこいつも出るんだ。」

互いの自己紹介を簡単に済ませると、何故か八戒君から痛いほどの視線を向けられる。
怖くて思わず目を逸らすと、それと同時にずいっと目の前まで近づいてこられる。身長差は5p程だというのにそれ以上の威圧感を覚え、これが本物のモデルか…なんて圧倒されていると、今度は勢いよく両手で腰を掴まれる。


『ひゃあ!!!?』

「おい八戒!?」「ちょ、あんたいきなり何やってんの!!?」

私の悲鳴と同時に三ツ谷さん、柚葉さんも声を上げる。
しかし絶賛問題行動中の八戒さんは一切それらに動じず依然私の腰辺りを触りまくっている。
驚きと羞恥に固まっていると何かを理解したような表情で私を見据えた彼は、そんな彼の両隣で騒いでいる二人にはお構いなしでまた私を見据える。

「腹への力の入れ方がなってねえ。後、体の重心が前に行きすぎてる。自分が思うより体を後ろに倒せ。視線も上げる。歩幅は肩幅くらいに開けて。」

『え?』


一体何を言われるのかと身構えていると、彼の口から飛び出たのは全て私へのアドバイスに聞こえた。
呆気に取られていると、今度はお腹に手を当てられ思わず力が入ってしまう。


「そうそう、そんな感じ。歩くときは常にこの感じで。一瞬も力を抜くなよ。」

『は、はい』

どうやら正解だったようで、にこりと微笑んだ彼に安堵する。それは三ツ谷さんも柚葉さんも同じようで、セクハラ行為には目をつむりつつ、私たちの様子を少し離れた場所で観察している。

「左右にふらふらしない。床をチラチラ見ない、前だけ見て歩け。」

『は、はい!』

…いつの間にか始まった現役モデル八戒さんによるモデル講座は、彼がアトリエを訪れてから凡そ6時間ほど続いた。






「俺からしたらまだまだだけど、明日のショーくらいには出せるレベルになったんじゃねーか?」

『は、はい…あ、ありがとうございます…』

実際彼の言葉通り、私のウオーキングやパフォーマンスなどまだまだなのだろうけど、それでも八戒さんのおかげで少なくとも猫背で歩くようなことは無くなった。ぶっきらぼうな物言いとは裏腹に懇切丁寧な指導のおかげで私のレベルは一気に向上していた。
息も絶え絶えになりながら、彼から手渡されたミネラルウォーターを一気に流し込む。
なんだか同じような状況が前にもあったぞ…なんて思いながら目の前で同じように喉を潤す八戒さんを見つめる。すらりと長い腕、ハーフパンツから覗く脚には無駄な脂肪は一切無い。首元から流れる汗はきらきらと眩しい。男の人を綺麗だと思ったのは初めての経験だった。

「…何?」

『あ、えっと…綺麗だなって…』

三ツ谷さんと柚葉さんはどうやら私たちの為に遅めの夕食を買い出しに行ってくれているようで、アトリエ部屋には八戒さんと私の2人だった。そんなわけで直ぐに私の視線に気づかれてしまい、何の言い訳にもなっていない言葉が思わず口をついた。
そんな私に一瞬虚を突かれたような表情をした彼は少し思案した後、言葉を発した。

「…どうしてそう思った?」

『どうして…え、えっと、腕が長くて足もすらっとしてて、なんていうか一つ一つの仕草が綺麗で思わず見惚れちゃって』

まさか質問されるとは思っておらず、何を言おうか迷った末に正直にさっき感じたことを話す。するとくくっと喉を鳴らした彼はそのまま残りのミネラルウォーターを飲み切る。

「ぷはぁ…その言葉、そのままあんたに返すわ」

『え…』

「腕や足なんてあんただってほとんど変わらねえだろ?モデルなんてものは一種の天賦の才だ。生まれ持った体のつくりで殆ど決まっちまう。後はあんたが言った仕草、これはまだお世辞にも綺麗とは言えないけど、努力で補うことができる。」

そこで一旦言葉を区切った彼は立ち居住まいを整えた。私の目をまっすぐに捉えた。

「…本格的に、モデル目指さねーか?


…最初はタカちゃんから送られてきたあんたのへっぴり腰の写真を見て、…ダメだと思った。こいつにタカちゃんの服が着れるわけない、そう思ったし、なんなら俺が代わりに着てやろうとも思った。けど…実際に会ってみて気が変わった。真剣にタカちゃんの服に向き合ってるあんたを見て、少し付き合ってやろうと思った。基礎の基礎からできてなかったけど、今日一日みっちり付き合っただけで見れるようにはなった。あんたには並外れた集中力があって、恵まれた体格もある。どう、目指してみねーか?」


冗談のような発言とは裏腹に八戒さんの目は真剣そのものだった。声も出せず暫く見つめ合う。
すると沈黙を破るようにアトリエ部屋の扉が開き、レジ袋を片手に下げた三ツ谷さんと柚葉さんが現れた。

「八戒〜あんたが頼んでたたまごサンド、買ってきたよ〜」

「お疲れ高梨、これ夕飯に買ってきたんだ、どれでも好きなの食べていいぞ」

先刻の静けさが嘘のように騒がしくなった部屋でどう行動すべきかあたふたしていると、「まあ、考えといてよ」と、八戒さんが耳打ちをして、柚葉さんの元へと駆け寄っていく。
たまごサンドを受け取った八戒さんは間もなくして柚葉さんの手を取り「じゃ、タカちゃん、俺帰るわ。明日頑張ってね!」と告げると、「え!?今から帰るの!今日泊まるんじゃないの!?」と全く状況を理解してない彼女を引っ張って部屋を出ていった。


通常通り、また三ツ谷さんと二人きりになった私は、とりあえずレジ袋に無造作に詰められた食品たちから鮭のおにぎりを一つ選び頬張ることにする。
今朝と同様ソファに腰掛けると、また同じく三ツ谷さんも隣に腰掛け、昆布のおにぎりを頬張る。

「にしても、今日は驚いた。八戒が柚葉以外の女に対して普通に会話してるところなんて、俺、初めて見た」

『え!そうなんですか!?そうとは思えないくらい話しまくりましたし、体も触られまくったんですが!』

もはや最後は練習に必死になり過ぎて当初のセクハラ行為を忘れつつあったが、改めて思い出すだけで恥ずかしくなる。おにぎりを頬張るのをやめ三ツ谷さんの方を信じられないといった目で見ると、ぷっと吹き出した。

「そんな目で見んなよ。まあ…、あれだな、…あんたのこと気に入ったんだよ」

そう言って再びおにぎりを頬張りだす三ツ谷さんを横目に、私も再びおにぎりを頬張った。




(モデル目指さねーか?)


あの言葉と共に向けられた彼の目線は、三ツ谷さんが言うような【気に入った】なんていう生易しいものではなく、八戒さんから私への【挑戦状】のように感じた。



・・・・・・・・
時刻は午前1時。
いよいよファッションショーを数時間後に控えた私は、本番への緊張と、八戒さんから投げられた言葉に板挟みになりながらも、興奮を鎮めるべくソファに身を預けそのまま微睡の中に落ちていった。







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